第三章


軍門に下る

湯川祐次 イースト営業課長 いよいよ話が核心に触れてきた…。
続けて湯川君どうぞ。

「了解、了解」

 1994年1月18日、隠岐社長がまず最初に仕掛けた攻撃は、Drawingの仕切値を下げさせることだった。
イーストとセンチュリーが代理店契約を結んだときに決めた金額からさらに20%も値切ってきたのだ。
今までイーストとデータトップが直接取引していたのを、正常な(センチュリーからデータトップへ卸す)商売に戻すためというのが理由だ。
曽根社長は隠岐社長がもともと嫌いなので、そんな条件をのみたくはなかったのだが、何せ負い目があるということでしかたなく承諾した。
このおかげで、まだ東京ホーユーがポツポツだが販売を続けていたため、実は倒産寸前だったセンチュリーは少し盛り返した。
隠岐社長の会社はこの時期、本当に危なかったようである。これもイースト奪取の原因の一つか?

木藤浩次 イースト専務 1994年2月6日、今度はDrawingで使用するタブレット(入力装置)をセンチュリーから仕入れるよう要請してきた。(Drawingはタブレットを必ず必要とするシステムなのだ)
今まではタブレットの製造メーカーから直接イーストが仕入れて代理店へ卸す仕組みだったのを、センチュリーを経由させて仕入れろというのだ。
あまりにも勝手な要求に曽根社長は激怒し、断るよう木藤専務に指示したのだが、木藤専務はそれを聞き入れなかった。
データトップの件が発覚して以来、経営のことなども包み隠さず隠岐社長へ相談を持ちかけていた木藤専務は、もはや隠岐社長の言いなりとなっていた。
ここでもう一度繰り返すが、木藤専務にはポリシーが存在しない。きわめていいかげんで、誰の味方にもなれる。
結局、木藤専務が曽根社長を説得し、この話も承諾することになった。
こうなると、どの代理店からDrawingが売れようと、センチュリーへお金が入る仕組みが完全にできあがってしまった。
イーストの売上も落ちてきている上に、仕切値を下げられ、ハードの売上も搾取されたので、イーストは兵糧攻めにあっているようなものだ。

 1994年3月6日、もうイーストだけで生き残る知恵も力もなかった。
借金取りからの矢のような催促に曽根社長も有馬部長も疲れ果てていたそんな矢先、隠岐社長は最後の仕上げに取りかかった。
まず木藤専務を使って、曽根社長の方から隠岐社長にイースト救済の力を貸してくれと頼むようにしむけた。
要するに、木藤専務が曽根社長に入れ知恵して、「隠岐社長がイーストを救ってくれるらしいから条件を聞いてくれ」と言うことだ。
いくら大嫌いな隠岐社長とはいえ、冷静な判断ができる状態ではなかった曽根社長にとっては渡りに船の内容だったらしい。

隠岐『イーストからの救済依頼内容』
 1.鈴木建設へ支払うDrawingのロイヤリティ費用(約1,000万円)の借用。
 2.今後のイーストの経営指導。
 【解説】
  1.Drawingが1台売れると、ロイヤリティとして20万円を鈴木建設に支払う契約だったが、1年ほど前から支払えなくなり、そのまま借金となっていた。
実は実際に販売した台数をごまかしていたため、正規に支払わなければいけない金額は2,000万円を越えていた。
また、救済依頼としては支払うお金を借用したいとのことだったが、隠岐社長は最後までイーストへ1円も出さなかった。
  2.曽根社長としては隠岐社長に経営参加をしてほしくなかったが、もはや木藤専務は隠岐社長を信じ切っていたため押し切られてしまった。
「社長、お金を出してもらうんだから経営指導を認めないと…」か「社長、隠岐社長ってプロの経営者ですよ…」ってな具合だろう。

『隠岐社長からの条件』
 1.イーストの全株式の内、51%の無償提供。
 2.イースト本社(蔵前)をセンチュリーがあるビル(神田)への移転。
 3.全社員が辞めることなくすべてを遂行すること。
 【解説】
  1.イーストの株式は曽根社長一族が100%保有していた。
木藤専務や退職した水上部長といった重役でさえ株式を持たせなかった(曽根社長の頭の悪さがイーストをここまでしてしまったのだろう)。
また、51%も無償提供するのであれば、曽根社長はイーストを辞めて別の事業でもした方が彼のためだったように思える。
あくまで自分で設立した会社にこだわった曽根社長はこの段階で廃人となった。
株式の無償提供は「赤字会社の株式は0円だ」という隠岐社長の論理による。
ちなみに、株式51%の本当の意味を曽根社長を含め、私や和田も知らなかった。後に思い知ることになる…。
  2.隠岐社長の目が届くところにイーストを置いておくことと、イーストの家賃をセンチュリー経由で大家へ支払うことでピンハネできるようにしていた。
  3.センチュリーには技術力や営業力が全くなかったため、10年以上の経験を持つイーストの社員は必要だった。
また、全員そのまま移転するだけということであれば、イースト社員も疑問を持たないだろうという読みのようだ。
しかしイーストが倒産寸前だったことさえ気づかない社員ばかりだったので、これは取り越し苦労だったが。
この要求は東海林社長の提案で出てきたと思われる(後述)。隠岐社長にとって使えない社員はどうでも良いからだ。

 これから約1ヶ月間、曽根社長、木藤専務、有馬部長、そして隠岐社長の4人は過去3年間のイースト経理内容を洗い出し、金の流れすべてを隠岐社長にさらけ出す作業をおこなった。
おそらく、この時の提出資料が曽根社長資料で、修正資料が隠岐会長資料であろう(これらの資料は赤字体質で記述済み)。
この短期間で曽根社長の薄い頭はさらにハゲ上がり、トドのようだった木藤専務のウエストは15cmも減ってしまった。

土下座する曽根社長経理状況の洗い出し作業がほぼ終わりをむかえた頃、有馬部長がまたまた辞表を提出した。
これで自分の仕事は完了したという心のケジメと、胡散臭い隠岐社長とは今後付き合いたくないという思いからだった。
東海林厳一 スワンズ社長これを聞いた隠岐社長は激怒し、曽根社長と木藤専務に、有馬部長が辞表を思いとどまるよう説得を指示した。
しかし、有馬部長の退職の意志は固く、曽根社長らだけではどうしようもないと思った隠岐社長は行きつけのスナックに、曽根社長と木藤専務、それに有馬部長を呼び出した。
そして、曽根社長と木藤専務に他のお客さんもいる前で、「土下座して有馬部長にお願いしろーーッ!!」と彼らを怒鳴りつけた。
このとき隠岐社長側に同席していたのがスワンズ設計の東海林社長とコワイお兄さんで、散々恫喝された(東海林社長の事務所は隠岐社長の事務所の一角に存在している)。
借金返済できない人が臓器や○玉を取られた話や、取立てで狂った人の話を延々曽根社長と木藤専務に聞かせた。
 この結果、曽根社長は隠岐社長に無条件降伏をし、隠岐社長の要求を全て受け入れたのである。
もはやプライドを失い、渋々土下座した曽根社長だったが、「あの時ほど隠岐社長が憎く思えたことはない」と後に語っている。
しかし一方、まったくプライドというのを持ち合わせてない木藤専務にとって、「土下座なんてぇのは普通に謝るのと大差なかった」とニヤけていた。
有馬部長も事の当事者として同席していたため、最後までイーストを辞めることができなくなった。

 そして1994年4月3日、何も知らされていないイースト社員たちは神田へ移転した。

ちなみに和田所長は、1994年4月2日に結婚式を挙げてた…。
もちろん、イーストの主だった人たちは結婚式に参列していた。
当然、曽根社長も…?


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