第七章


訴訟

 10月3日、高田弁護士に相談してからちょうど1ヶ月が過ぎた日、弁護士事務所から1通の手紙が届いた。封を開けて中を見てみると、そこにはワープロで打たれた文書が入っていた。
その文書のタイトルはズバリ訴状だ。
 「おぉ、これが訴状かぁ…」と思わず声が出る。さっそく内容の確認だ。

訴 状

 〒住所           原告  和田 信也
 〒住所           原告  湯川 祐次
 〒右原告ら訴訟代理人 弁護士 高田

 〒(送達場所)
 〒        被告  株式会社イーストソフト
          右代表取締役 曽根 昭

和田信也湯川祐次


 未払賃金等請求事件
   訴訟物の価額   金六六七万三六〇〇円
   貼用印紙額    金  四万一六〇〇円

   請求の趣旨
 一 被告は、原告和田信也に対し金四六五万三六〇〇円、原告湯川祐次に対し金二〇二万円及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
 二 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。

   請求の原因
 一(雇用契約)
  1 原告和田信也は、昭和六二年四月一日、コンピューターソフトウェアーの開発販売を業とする被告会社に左記約定で雇用され、平成九年二月当時は開発部長として被告会社の業務に従事していた。

  2 原告湯川祐次は、昭和六三年四月一日、被告会社に左記約定で雇用され、平成九年二月当時は営業課長として被告会社の業務に従事していた。

 二(賃金債権)
  原告らは、いずれも五月三一日被告会社を退社したが、被告会社は、原告和田信也について、平成九年三月一日から同年五月末日までの賃金合計金一一四万円を、原告湯川祐次について、平成九年四月一日から同年五月末日までの賃金合計金七〇万円をそれぞれ支払わない。
 三(退職金請求権)
  1 被告会社には、就業規則の一部たる退職金規程があり退職者に対し、退職時の給与月額(基本給に能力給を加えたもの)に勤続年数(一年未満の端数は、月割とする。)に応じて定められた基準率(勤続年数九年の者は六%、同一〇年の者は一二%)を乗じた金額の退職金を支払う定めがある。
  2(1) 原告和田信也の場合、退職金は退職時の給与月額金二四万円に勤続年数(一〇年二ヶ月)と更にこれに一二%を乗じた金三五一万三六〇〇円である。
   (2) また原告湯川祐次の場合、退職金は退職時の給与月額金二〇万円に勤続年数(九年二ヶ月)と更にこれに六%を乗じた金一三二万円である。
 四 よって、原告らは、被告会社に対し、原告和田信也につき未払賃金一一四万円及び退職金三五一万三六〇〇円の合計金四六五万三六〇〇円、原告湯川祐次につき未払賃金七〇万円及び退職金一三二万円の合計金二〇二万円及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求めて本訴に及んだ次第である。

   証拠方法
  口頭弁論において提出する。
       添付書類
 一 商業登記簿謄本   一通
 二 訴訟委任状     二通

  平成九年一〇月三日
      右原告ら訴訟代理人
      弁護士  高田 穣  印

東京地方裁判所 御中

高田弁護士

 読み進めるにつれ、原告という言葉にワクワクし、被告という言葉に勝ち誇った気分になる。未払賃金等請求事件口頭弁論といった専門用語にも異常に興奮する。

 さて、この訴状が東京地方裁判所と被告の曽根に郵送され、いよいよ舞台が法廷に移る…と思っていたが、話はそんなに急に進まないようだ。被告側からの言い訳(言い分)が書かれた準備書面というものを裁判所が受け取ると、これが戦いのゴングとなる。
 私が知り合った頃から、どう考えても通らない理屈でゴリ押ししていた曽根が、裁判所に対してどんな屁理屈をこねてくるのかが楽しみなところだ。当然、我々は負ける気がしないし、裁判所もそれを認めないことを確信していた。

 訴状の郵送先は、イーストの曽根社長宛て…。その時の登記簿によるとイーストの社長は曽根だった。隠岐会長との登記簿争奪戦の谷間だ。
イーストは逃げ出した事務所を発見され、隠岐会長の下に連れ戻されていた。イースト宛の郵送物は隠岐会長の目を通ってから曽根社長に渡される。ずっと昔からそうだ。
三島真一 イースト社長
 いつものように、私たちの訴状の入った郵送物は曽根社長宛てにもかかわらず、隠岐会長の手に渡った。
その時の様子を間近で見ていた加藤が語る…。
訴状の入った郵送物を最初に手にしたのは、現在イーストの社長ではないが、イースト社長である三島社長だ。
「隠岐会長、裁判所名義で郵便が届いていますね。何でしょう?」
「さぁねぇ…。宛先は曽根君になっているようだぞ」
そう言いながら隠岐会長は訴状の入った郵便物の封を開けた。繰り返すが、宛先は曽根社長宛てである。
「訴状だね…。和田君たちの給与の件で、彼らが曽根君を訴えたようだ」
「ほう、そうですか」
その後、隠岐会長は届いた訴状を詳しく読み、読み終えると三島社長に訴状を渡しながら笑った。
「いやぁ、実に愉快だ。あの曽根のやろう、見事に訴えられているよ…。ざまぁみろ!」
 もし、私たちが登記簿を見た時、イースト社長が三島なら訴状は三島社長に送っていた。運命とはこんなものである。
我々が訴状を作成する時のイースト会社代表が曽根社長だった。ただそれだけである。
現実には曽根社長と裁判を争うのだが、三島社長(隠岐会長)と裁判をしていたらどうなっていたのだろう?どうも無いか…結果は同じだ。
それにしても、どうやら隠岐会長のほうが少しばかり運が良いようだ。いや、曽根社長のほうが運が無いのか。…結局…色々…この差か…?
とにかく、この訴状で隠岐会長と曽根社長の登記簿争奪戦は終止符を打った。

隠岐敬一郎 センチュリー社長&イースト会長&クリエイト取締役 この時期の曽根社長は隠岐会長に反抗的で、何かにつけて隠岐会長に逆らっていた。そのため曽根社長が訴えられたことがわかると、隠岐会長には愉快だったようである。私と和田は隠岐会長が喜んでいると風の噂に聞いて複雑な気分になった。
 隠岐会長はイーストを自分の下に引き戻したが、イーストの命運も残り少ないことを見抜いていた。
それは皮肉にも曽根社長の反抗がきっかけで、会社の業務や金が一元管理されていないことに起因する。所詮、曽根社長の力だけではイーストの再建はありえない。
 隠岐会長は彼のブレーンたちと相談した…。
イーストも面倒だ。曽根社長が何かと邪魔をするし、もはや会社に人材もいない。その上、イーストそのものが訴えられ、その要求額も大きい。
和田たちの訴状は曽根社長を相手にしている。これは曽根社長を懲らしめるのに好都合だし、和田たちに金も払いたくない。
 隠岐会長は、もはや魅力の無くなったイーストを見放した。曽根社長に対して、好きにやってごらんと言い放ち、裏でせせら笑うことに態度を決めた。
「結局、俺がついていなければダメなんだよ。曽根も頭の悪いやつだな。(イーストを)やれるものなら、やってごらん?どうせ失敗するんだから…。ざまぁみろ!」
この台詞が言えるだけで隠岐会長は満足なのだ。彼はイーストのことより、曽根社長との意地の張り合いに勝利したいのだ。

 私と和田にしても気持ちは同じだった。
「曽根のボケが…。いいかげんな態度ばかりとって私たちをなめるなよ。こうなったのはアンタ(曽根社長)の業だよ。ざまぁみろ!」
この台詞が言えるだけで我々は満足なのだ。我々は隠岐会長のことより、曽根社長との意地の張り合いに勝利したいのだ。
 訴訟の相手が曽根社長で良かった。もし、訴訟の相手が隠岐会長(正確には三島社長)なら、曽根社長を懲らしめる機会は永久に来ないかもしれない。隠岐会長と木藤社長はクリエイトの件がある限り、我々の手の届く範囲にいる。だが、我々が執念深いと勘違いしてもらっては困る。
私と和田は隠岐会長と木藤社長を追い詰めることを趣味にしようと決めた。チンケな2人を相手にしているほど暇でもない。つまり、この物語も趣味の一部だ。
とくに隠岐会長を追い詰める作業は自分たちの知恵の蓄積にも役立つ。我々は会社の仕組みに対して無知だったのだ。ただのサラリーマンだったのだ。

 さて、訴状の配達されたイーストはもう体力が無い。訴状をきっかけに隠岐会長が手を引いたからだ。
残念ながら曽根社長は今更イーストを奪取するにしても、資金を吸い上げられた抜け殻にすぎない。抜け殻には運転資金も無い。
それを察した大谷部長は部下数名とイーストを退社した。つまり、来月には給料が出ないだろうということだ。ついに大谷部長もイーストを見限った。
前後の見境もない曽根社長が1人残った。もはや彼を助けてくれる人材はいない。
 ヒトラーの第3帝国よろしく、末期という現象に指導者は無謀な崩壊の道を選択する。ゲームとかで自分が負けそうになると、自暴自棄な行動に出る人がいる。それと同じだ。いや、同じじゃ困る。これは現実だ。やり直しの無い現実なのだ。
それでも歴史上の権力者は物事の末期に自己崩壊を選択する。自分で築いたものは自分で壊したいという発想なのだろうか?
曽根昭 イースト社長
 これでイーストも時間の問題となった…。

 さて、私たちの訴状は無事(?)に曽根社長の手元に届いた。隠岐会長は三島社長を説得してイーストを放棄した。この瞬間に三島社長は用済みだ。
約束していたイースト社長の座はその後巡ってこなかった。噂では自宅を担保にしてイーストに資金を幾らか注ぎ込んだらしい。実際のところは闇の中だ。
 訴状が届けられた曽根社長はそれどころではなかった。資金繰りがつかないのだ。このままでは本当に社員の給与が支払えないことに気がついた。
隠岐会長が去って(正確にはまだ去ったとはいえない)、イーストには金が残っていなかった。おそらく、曽根社長にとって訴訟は2の次であったろう。
 しかし、訴訟されれば逃げることも出来ない。今まで人をバカにしたように逃げまわっていた曽根社長も今度は逃げられない。
曽根社長にとって、その事実が一番悔しいであろう…。そんな人物のような気もする…。
はてさて、彼はいったいどんな反論を携えて裁判に臨んでくるのだろうか?


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