第七章


高田弁護士

 退職直後に内容証明で請求した(労働基準監督署の頁)退職金の支払い期日が、8月31日で過ぎた。やっぱり、曽根は私たちに退職金を支払う気はないようだ。あの退職の日に支払うと約束していたにもかかわらず…。
しかし、実はこの時を待っていた。私が入社したときのイースト会社規定によれば、退職金は退職日から3ヶ月以内に支払うと書かれていた。労働基準監督署や簡易裁判所に相談したときには、退職金支払期日の前だったため未払い賃金についてだけしか相談対象とならなかったのだ。
だが、もう訴訟しかない!ということも相まって、これで心おきなく戦闘準備に入れる。
つまり、訴訟対象は未払い給与と退職金だ。

 イーストに残っている社員たちは、退職金をもらえないと思っている。それは、会社再建中に退職したら退職金は無いという隠岐会長の通達と新しい会社規定のためだ。
曽根社長も隠岐会長の手口を踏襲して退職金は支払わなくても良いと解釈している。そんなに都合良く、自分たちの思ったとおりに支払いを停止できるんじゃ社員はたまったもんじゃない。
だが、おとなしいイースト社員は従順に従っている。事実、バブル以降に会社を辞めた人で、多少なりとも退職金を受け取れた人は我々しかいない。
他の社員は、役に立たない労働基準監督署に訴えてそのままだったり、最初から泣き寝入りだ。チンケな会社は退職金を支払うことを最初から想定していない。それでも会社規定には退職金の規定がしっかり書いてあるから大笑いだ。
高田弁護士
 9月3日、以前から相談を持ちかけていた高田弁護士を訪れた。
高田弁護士は白須さんの紹介で、事務所は丸ノ内にある。白須さんには、何かあったら腕利きの弁護士を紹介すると言われており、2度ほど相談というより、雑談という形で面会したことがあった。
しかし、まだ訴訟などするつもりも無かった私たちは、「訴訟を起こさない限り、弁護士にできることはねぇよ」と言われていたのでそのままになっていたのだ。
…が、今回は違う。
 判例付き六法全書で予習を済ませていた私と和田はヤル気満々、すでに法廷に立って演説を行っている姿さえ想像しながらの訪問である。

 「ヤル気になったんかい?」と高田弁護士が口を開いた。そりゃそうだ、私と和田の目は誰が見ても血走っている。
さっそく本題に入ろうとしたら、高田弁護士から質問された。
「何を目的に訴訟を起こすんだぃ?」
普通ならここで、未払い賃金と退職金を支払わせることが目的と即答するだろう。しかし、我々の第一の目的は金ではない。
湯川祐次一言でいえば 曽根を懲らしめたい!のだ。正当な理由もなく、支払を拒絶するという違法行為を許せない正義感だ。話がここまでこじれてくると、お金なんて二の次という感情になってしまう。

 「曽根をギャフンと言わせることはできますか?」
「刑事告発するんかい?そんなことやっても1円にもならねぇし、時間の無駄じゃないか?」
「そりゃー、お金は欲しいがそれだけでは許せん!というのが私たちの気持ちです」
我々は正直な気持ちを言った。
「それはわかるが…とにかく取れるもんをとって、嫌なことはさっさと忘れちまったほうが良いよ」
子供をあやすかのように高田弁護士は優しく教えてくれた。
確かに曽根にとってはお金を支払わせることが一番の懲らしめになるかも知れないと、私は渋々了解した。

 「では、どういう手順で進めればいいのですか?」
「ことの経緯、それからイーストで働いていたことを証明できる書類、いつ退職したかを証明できる書類、あとイーストの登記簿謄本を出してくれ」
「待ってました!」
私は大急ぎで書類を広げた。必要な書類はすべて揃っているのだ。

 まずはことの経緯を書いた紙、実は前日の夜に和田と2人ですでに作成していたのだ。

・1996年10月、隠岐の悪巧みを知り、木藤と対策を検討し始める。
・1997年1月、和田が隠岐からの攻撃を受ける(事務所鍵交換事件)。曽根に相談したところ在宅勤務を認められ、2月から和田は在宅勤務扱いとなる。
・2月後半、私が隠岐からあらぬ誹謗、中傷を受け、在宅勤務扱いとなる。
・2月末日、私と和田への賃金未払い発生。
・2月末日、曽根、木藤に賃金未払いは隠岐の陰謀だと認めさせ、在宅勤務は会社の命令だと文書で確認。
・5月初、私と和田にようやく未払い金の一部が支給される。
・5月中旬、私のみ3月までの未払い残りが支給される。
・5月後半〜、働かないことを理由に曽根は賃金支払いを拒絶し始める。ここへきて在宅勤務扱いが休職扱いに勝手に変えられてしまう。
・6月初、曽根に賃金を支払うよう直談判。結果退職届を出すに至る。

 ここではかなり内容を省いたが、高田弁護士に手渡した文面にはこと細かく書いて渡した。
次に在職証明と退職証明だが、社会保険に関する手続をおこなうために「雇用保険被保険者離職証明書」や「被保険者資格喪失確認通知書」というのを会社が発行する。これに退職までの給与支払い金額等が書かれている。それをそのまま証明書とした。
 登記簿謄本は会社が登記している管轄の法務局へ行き、800円の印紙代を支払えば簡単に手にはいる。

 すべての書類を手渡したところで、「もう1つ資料があります」と別の紙を見せた。
ズルズルと未払いを続けられてはたまらないからと、5月16日付で曽根に支払予定日を書かせた紙だ。これにはこう書いてある。

…遅延している給与の支払いにつきまして、下記のような支払にしたいと思いますので、よろしくご配慮下さるようお願い申し上げます。

記、遅延している給与支払いについて

1.和田 様

支払い予定日

1)1997年2月分(残)
2)1997年3月分
3)1997年4月、5月分(休職、40%)
4)1997年6月分(通常扱い)
1997年5月21日
1997年6月21日
1997年8月1日
1997年6月27日
2.湯川 様
1)1997年3月分(残)
2)1997年4月、5月分(休職、40%)
3)1997年6月分(通常扱い)
1997年5月21日
1997年6月21日
1997年6月27日

1997年5月16日 イースト曽根
以上

 見てわかるとおり、5月16日の段階では未払い金は確かに支払うと書かれている。
それが途中で一変して、お前達が悪いから…という理由で支払いを拒否する姿勢になったことを思い出し、今現在、またまた私は腹が立ってきた。
実は内容もおかしい。仮に1万歩譲って、休職扱いだったとしても最低60%は保証しなきゃいけないと六法全書には書かれている。さらに6月から出社をすれば6月27日には通常通り支払うよという内容だ。
こうしたことを高田弁護士に話したら、「支払う意思を見せてたんだから、この紙があれば負けることはないだろうよ」と、嬉しいことを言ってくれた。

 さて裁判に掛かる費用だが、印紙代や諸々あるが、一番大きいのは弁護士費だ。
「ところでいくらぐらい必要ですか…?」と、今は無職でお金がないため少々小声で聞いてみた。
そこら辺の事情も良く知っている高田弁護士は、「金はねぇんだろ?しめて30万でいいよ」と、優しいんだかどうだかわからない金額を請求された。
「うまく金がぶんどれたら、また後でもらうよ」ということなので、たぶん安くしてくれたんだろうなって感じだ。

 「じゃあ、訴状の作成などをしておくから少し時間をもらえるかな?出来次第連絡するから…」ということで、本日の相談は終わった。
ちなみに1時間ちょっとの相談料は1万円を気持ちとして支払った。

 お金を目的に訴訟を起こすってところが、今いち納得いかない。が、とにかく1歩進んだことで満足するよう自分に言い聞かせ、お金の工面をどうしようか和田と相談しながら、その日は夜の街へ消えていったのだった。

 今回は資料も用意した。参考までに…。

最高裁判所事務総局発行資料より

Q民事訴訟とは、どういうものですか?
A民事訴訟は、法廷で当事者相補運言い分を聞いたり、証拠を調べたりして、判決によって裁判所の判断を示す手続です。訴訟を起こす方を原告、その相手方を被告と呼びます。

Q他の手続(支払命令、調停)とどのように違いますか?
A簡易裁判所において民事上のもめごとを解決する手続としては、訴訟のほかに支払命令や調停の制度があります。
 支払命令は、訴訟と違って相手方の言い分を聞いたり、証拠を調べたりすることなく、とりあえず債権者の申立てだけに基づき、その請求に一応理由があると認められれば、相手方に金銭等の支払いを命ずるものです。訴訟に比べて手続が早く、簡単なことが特色です。
しかし、債権者から意義の申立てがあると普通の訴訟になります。したがって、相手方があなたの言い分を一応認めているが、なかなかお金を払ってくれないような場合に適する手続です。
 調停は、裁判官と良識ある民間人である調停委員2人以上から成る調停委員会が、法律を基本にしながら実情にあった解決をめざして当事者を説得し、もめごとを話合いで適切に解決しようとする制度です。調停でまとまった合意が調書に記載されると、判決と同じ効力をもちます。相手方との間に話合いの可能性がある場合には、この調停手続によるのがよいでしょう。
 結局、当事者の主張が真っ向から対立し、とても話合いで解決することができないような場合には、訴訟によるのがよいということになります。

Q訴訟を起こすためには、弁護士を頼まなければなりませんか?
A訴訟は、素人の方でもできることになっていますが、ある程度法律的な専門知識が必要となります。したがって、ある程度複雑な事件については、弁護士に依頼した方がスムーズに手続を進めることができると思われるます。弁護士に相談するかどうかは最終的に自分の意思で決めるほかはありません。

Q申立てをするには、どのような準備が必要ですか?
A原告は、自己の言い分を記載した訴状を、被告の数に1を加えた通数分だけ作成し、裁判所に提出しなければなりません。そのほか、会社を当事者とする事件では登記簿抄本、未成年者を当事者とする事件では戸籍抄本等必要な書類を提出していただく場合があります。

Q訴状にはどのようなことを書けばよいのですか?
A訴状には、原告の求める言い分の結論部分と理由部分とを分けた上で、なるべく詳しく、最低限でも原告の言い分が特定できる程度の事実を書いていただくことになっています。

Q訴状は自分で作らなければなりませんか?
A裁判所に提出する書類は、原則として提出する側で作成しなければなりません。自分で作成することが難しい場合は、書類の作成を司法書士に依頼することもできます。なお、単純な事件の中には、空欄部分を埋めるだけで訴訟ができるような定型的な訴状の記入用紙が用意されているものもあります。また、口頭で訴えを起こす制度もあります。詳細は裁判所の窓口でお尋ねください。

Qどこの裁判所に訴訟を起こせばよいのですか?
A訴状は、原則的には、被告の住所地を管轄する裁判所に提出しますが、事件によってはそれ以外の裁判所にも提出できる場合があります。

Q簡易裁判所に訴えを起こすことができる事件とはどのようなものですか?
A訴訟の目的の価額が90万円以下の場合です。これが90万円を超える場合は地方裁判所に訴訟を起こさなければなりません。

Q申立てをする際の費用は、どのくらいかかりますか?
A一定額の申立手数料と書類の送達に使う切手を納めていただく必要があります。申立手数料は、訴訟の目的の価額に応じて定まっており、印紙で収めることになっています。例えば、求める価額が30万円の場合の手数料は額は3,000円です。

Q訴状を提出した後の手続はどうなりますか?
A法廷を開くための期日が定められ、当事者双方にその連絡があります。その際、被告には訴状が送達されます。

Q訴訟を起こされた相手方は、どのような準備をする必要がありますか。また、法廷に出ないとどうなりますか?
A訴状に記載されていることが事実に反する等の反論があれば、自分の言い分を書いた書面を裁判所に提出するか、期日に出頭して自分の言い分を口頭で述べる必要があります。被告がこれらの手続をしないと、原告の言い分を認めたものとして取り扱われ、不利益な判決を受けることがあります。

Q裁判所に自分の言い分を認めてもらうためには、どのようにしたらよいのですか?
A自分の言い分は、書面にして提出するか、直接法廷で述べなければなりません。裁判官や相手方の求めに応じて、必要な主張をしなければならない場合もあります。そして、事実に争いがあれば自己に有利な証拠を提出しなければなりません。民事訴訟は、当事者が法廷に提出した資料に基づいて結論を出す手続ですから、そのための資料は、当事者の方で準備しなくてはならないのです。

Q訴訟の途中で、話合い等によって訴訟を終了させることはできるのですか?
A訴訟中でもお互いに譲歩して話合い(和解といいます。)により円満に争いを解決することも可能です。なお、簡易裁判所の中には、良識ある民間人の中から選ばれた司法委員会が話合いを仲介し、和解による解決を援助しているところがあります。裁判所における和解の内容は書面にされ判決と同じ効力をもちます。また、原告は、訴訟を続ける必要がかくなれば、被告の同意を得て訴訟を取り下げることもできます。

Q判決があるとどうなりますか?
A判決がなされると裁判所から判決正本が送られてきます。もし、判決の内容に不服があれば、判決正本を受け取ってから2週間以内に控訴の申立てができます。
控訴の申立てをしないで期間が過ぎると判決は確定し、もはやこれを争うことはできません。

Q相手方が判決や裁判所における和解で決まったことに従わないときには、どのようにすればよいのですか?
Aこの場合は、裁判所に強制執行の申立てをすることになります。そのためには、個別に申立手数料を納めなければなりません。

Q訴訟にかかった費用は誰が負担するのですか?
A法律で定められた訴訟費用については、裁判で負けた方が負担することになります。ただし、弁護士費用はここにいう訴訟費用には含まれません。

Q民事訴訟について更に詳しいことを知りたいときにはどのようにすればよいのですか?
A訴訟の手続について更に知りたい方は、裁判所の窓口でお尋ねください。ただし、紛争の内容についての法律相談に応じることはできません。

ここの裁判所窓口が前話の簡易裁判所相談センターで、法律相談に話が移行すると、「知っているけど、お答えできません」となってしまう。あくまで手順の相談が原則で、それ以外の範囲を超える相談は弁護士か弁護士会に相談するしかない。


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