第一章


保守的体制

 クリエイティブな業務をする会社は特にそうだと思うが、如何に社員にやる気を出させ、如何に技術力や発想力を高め、会社の資産として温存していくかが大切だ。
特にコンピュータ業界のように若く、常に変化を求められる業種は硬直した日本式体質からの脱却を計らなければならない。
強引に結論を付けてしまえば、その対応策は以下にある様にイースト内の意見相違の様になるだろう。

和田信也主任 イースト社員和田・湯川湯川祐次 イースト営業 曽根昭 イースト社長社長・吉田吉田賢治 イースト技術部課長
社員にやる気: 給与・待遇で差別 <-> 落ちこぼれをなくす
技術力向上: 社内評価表の作成 <-> 勉強会を開く
発想・新技術: 社内コンペで特別賞与支給 <-> とりあえず、和田・湯川に同意(コンペに賛成)
会社資産化: ライブラリー等の電子化・必要な人物の厚遇 <-> とりあえず、和田・湯川に同意(君らがやれ)

 木藤専務は、私達といるときは私達に賛成し、社長といるときは社長に賛成するカメレオンだ。それで結局、会社の方針としては社長の考えに傾くのだが…。
別に社長の考えに会社が傾倒することはいけないことではない。それが社風なのだから。
会社の考えが気に入らなければ会社を去れば良いだけのことだ。

 しかし、あくまで、その考えは社員としての立場を自身で自覚している人に限る。ゆくゆくは会社の経営に携わりたいと言う野心家は違うのだ。
また、その野心家にも2通りあって、1つは組織内部にいて改革を実行していくタイプ、もう一つは外に出て自身で改革するタイプ。
まぁ一般的には外に出てパフォーマンスをする方がわかりやすい話ではある。

 問題なのは現時点において、あるいは将来において、どうなるのか?のシミュレーションのパターンを幾つか用意しておかないことだ。
このパターンが貧弱なほど、何も考えていないことであり、現状維持に満足する。
 やはり、トップに立つべき人間は現状維持も含めた数々のチャンネルを常に考えている必要がある。
これが出来なければ上に立つべきではない。はっきりいって、周りや下に迷惑をかける事になる。
そう言う彼らにとって、改革を実行するほうが迷惑だろう?と思っているが、実際は逆なのだ。考えのパターンが少ないから本人は正論だと思っているに過ぎない。

 私の発想は、物事を極論するところにある。自分の中に極論を展開する白男さんと黒男さんがいる。いるだけじゃ駄目だ。両者とも、とことん突き詰めたアイディアを求めるように訓練する必要がある。
議論の途中で私の極論が出ると周りはビックリするが、上下の極論の幅に開きがあればあるほど、多くのパターンを想定しているということだ。そして、その幅の中のどこに着地させるかが私にとって問題なのだ。
逆に極論の幅が小さければ、着地する地点も極めて不安定になるということだ。

 上記の対応表で顕著なのが、私と湯川が、賞与・待遇と、それによる差別によって飴と鞭の方向性なのに対し、社長と吉田課長は、平等主義で社員全員を信じているという構図だ。
しかし、社員の技術力やセンスというのは差があって当然だ。
また、技術力がある人は、人知れず努力していることも忘れてはいけない。それなのに、全てを平等に扱うという考えでは突き出る人間は孤立してしまう。
出来る人間は孤立しても特に困らないのだが(会社を辞めるにしても決断できるし)、会社に対して不信感を持ってしまうといけない。
これでは出来る人材が社内に残っていかない。会社に残るのは、自分の居心地良さを感じる野心の無い人間だけになってしまう。

 出向体制で、社外に人が出ていた頃なら問題は無いのかもしれない。会社は人さえ確保できれば、他の会社に高く売れる努力をしていれば良いからだ。
しかし、社内開発となると状況は違ってくる。
それは今まで説明した通り、開発サイクルの谷間になるときの余剰人員の問題だ。相対的に技術力が無ければ、その人材は特定の作業以外に使えず、遊んでしまう。
つまり、Drawingのリリース時に将来の対応が見えているか、いないか、のシミュレーションの深さの違いだろう。
 結論からすれば、和田たちの予測が当たるのだが、当の本人も会社の景気の良さに押し切られ、根拠の無い発言と見られてしまった。
また、当時の和田と湯川は強く発言できる役職でもなかったのだ。そう、イーストは年功序列で役職が決まるのだ。しかし、ただ黙っていたわけではない。
会議の席、酒の席を通して、如何に会社を持っていくか?の持論は展開してきた。ただし、会社が考えを採用するか、しないかは別問題だったようである。
長井伸之 イースト開発部課長
Drawingがリリースされてから一人の新人が中途採用された。
以前、機械の図面を描いていたという長井伸之だ。
年齢は入社時、29歳。吉田課長と同年だ。
 吉田課長は私達の意見には、とりあえず、「まだ君らにはわからない」と反論するが、長井には反論しない。
その理由は簡単だ。
年齢のこともあるが、長井は若い頃結婚していて、現在2人の子供がいるからだ。
とにかく吉田課長と言う人物は、活字に書いてあることとか、状況で物事を判断するという典型的な日本型教育に侵された人だ。
しかし、プログラムの技術力があり、他の社員には好かれている。それはそうだ、みんなお友達という態度で人生を送っているからだ。

 吉田課長とも良く飲みに行った。
世間話や技術論に興じている時の吉田課長は大変気さくで面白い人物だ。
現在も趣味にしている釣りを教えてもらい、良く一緒に海なんかにも行った。
また雑学もかなりあり、私と良く張り合ったりもしたし、プログラマーとしても一流だ(時々長期無断欠勤をするが…)。
しかし私や湯川が、人間に優劣を付けようとしたり、世間の常識(活字)に異議を唱えると人が変わったように怒鳴る。
「世の中に出来ない人間はいない」とか、「おまえ達の常識はおかしい」とかになり、「おまえ達にはまだわからない」に落ち着く。
いつも最初に機嫌が悪くなるのは湯川だった。
私は湯川より少し優しいみたいだ。
吉田賢治 イースト技術部課長
 当時会話していた話を振りかえろう…。
吉田課長は歴史小説が好きだ。特に坂本龍馬に心酔している。
ある日、湯川が「あくまで小説でしょ?実際に私が会ってみるまで本の内容は信用できない」といった。
「おまえに、あの凄さはわからない。あの当時に龍馬は…」と吉田課長は熱弁したが、湯川が「小説ではね」と反応した瞬間に吉田課長が怒った。
「おまえのようなワカラン人はもういい!」
 私はといえば、坂本龍馬関連の資料を5冊ほど購入し、色々な角度からの意見を読んでみることにした。すると、小説で語った事件にも不明な点が多いと知った。例えば江戸での剣術試合なんかだ。
もちろん、私は調べた結果を吉田課長に報告した。確かに参考書を読んでの答えだが、5冊読むと自分の意見になる。
心酔はいけない。幅広く情報を集め、自身で昇華することが必要だと思う。こうなると、吉田課長の発言は弱くなる。
「青い空は無いかぁ…、わからねぇもんな」
「でも、あのシーンで曇り空じゃつまらないね」と私は素直に答えた。そうなんだ、物事はきちんと立場を把握して分析する事が必要なんだ。
 一方でこんな楽しい議論もあった。
「和田、英雄ってなんだろう?」
「え、英雄ですか?」
「英雄ってのは1人でも流れを変えられる奴かな?」
「三国志で言うと曹操みたいな?」
「河でたとえると、突然大きな石が出現するような…それによって時代も変わる存在だと思うんだわ」
吉田課長がそういうと私は何か違うと思った。
「私は小さな石だと思いますよ。私達と同じ…」
「小さな石に何かを成し遂げることはできねぇだろう?」
「いや、河の起伏か何かに、たまたま石の形が良くて引っかかった程度だと思います」
「でもな、きっかけだけじゃ歴史に名は残らないだろう?」
「引っかかった石は次の石をせき止めるでしょ?それが次第に大きくなって河の流れを変えるって…」
「そうか、時と場所も必要だからね…それに賛同者か」
珍しく吉田課長が私の意見に賛同している。
「ええ、歴史って結果だと思うんですよ。後世の人が英雄って思う人とか、運良く名前を残せた人は最初の石の確率が高いでしょ?」
「英雄になる要素があっても、運悪く引っかかった石がまた流されれば何も残らないってことか…」
「ですねぇ。もちろん最初の石に角がいっぱいあるっていうのも重要な要素ですし、引っかかりが大きくなる環境も」
「乱世の干雄、治世の能臣か…和田ぁ、俺達はどっちなんどろうね?」

 そんな吉田課長も後に、彼は彼の考え方の変換を強いられ、猛烈に悩む事になる。
考えが変わらなかったのは曽根社長と木藤専務だけだ。
それは後の話である。


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