第六章


潮時

 1997年5月中旬。相変わらず会社は私と湯川に給与を支払う気が無い。私達は在宅勤務という正当制を主張して会社には行っていない。
「給与を支払えば何時でも会社に行きますよ」っていうやつだ。
しかし、私と湯川は影で自分達の会社設立の準備を密かに進めていた。これは当然の考えだ。
一方ではイーストに残るような態度で給与の支払いを要求する。一方では次の事も考えておく。これが私達の信義だ。

 今まさにイーストは崩壊前夜。これはイースト内部からは見えにくい。現にイースト崩壊時まで気づかない社員もいた。
ものごとは俯瞰して見ないとわからないこともある。とにかく、崩壊の足音に気づいていないのはイーストという会社そのものだ。
 さて、イースト再生を夢見ている大谷部長が登場する。大谷部長は曽根社長に提案した。
「社長、隠岐会長のそばに居てはいけませんよ。影響を受ける社員もでてくるし、また何か嫌がらせを受けますよ」
それを聞いた曽根社長は事務所移転を決心した。

 密かにイースト事務所移転の計画は進行され、5月の某休日、社員の協力のもと、イーストは麹町に移転した。
私と湯川はイースト移転に関係していなかった。会社に行っていないからだ。しかし、刻々とイーストの情報は入ってくる。
この時、大谷部長は阿佐ヶ谷に新人育成センターの開設を曽根社長に迫り、阿佐ヶ谷にマンション1室を得た。
大谷部長の言い分はこうだ。
 現在いるイーストの社員では、イーストの再生を望めない。くさったミカンは元には戻らないということだ。
従って、現在の社員は出向に行って外部で鍛えてもらうしかない。そのかわり、新人は大谷部長が責任を持って人材育成をするということらしい。
だが、阿佐ヶ谷の新人育成センターなるものは1度も機能しなかった。大谷部長も何かが見えていなかったように感じる。いや、イースト内部にいるからこそ見えなかったのだろうか?
隠岐敬一郎 センチュリー会長
曽根昭 イースト社長 さて、麹町に引っ越したイースト…。
しばらくは平穏に過ぎていくように見えたが、社員の半数は仕事をしていなかった(この頃より社員数も減少を始める)。
というより、仕事が無かったのである。仕事をやっている部隊は加藤課長率いる帝都建託の出向だけになっていた。
つまり、イーストの収入源は帝都建託の出向だけということになる。ここに帝都建託の金をめぐる醜い争いが起こったことはいうまでもない。
 曽根社長は必死だ。曽根社長には金がほとんど無い。ここで帝都建託から入金が無ければ大変な事になる。強引に隠岐会長から事務所を移したのだからしょうがないが…。
帝都建託の出向の仕事としては順調だった。しかし、連日のように隠岐会長と曽根社長が出向いて、自分の口座に入金してくれというので帝都建託としては迷った。
帝都建託の担当者もヘタに入金できないので事態を保留していた。迷惑な話である。

 とにかくこの時期、隠岐会長と曽根社長は、入金、手形、登記簿、実印、等々の奪取に明け暮れていた。
もう、社員のことなど考えていない。もちろん、私と湯川の給与の件も保留だ。
私と湯川は外部からイーストを傍観していたが愉快だった。もう、イーストの事は他人事でいられる。TVか何かのドラマを見ているような感じだった。
しかし、留まっている社員にしてみれば、これもまた迷惑な話だ。…いや、迷惑と感じていた社員がいるかどうかもわからない。 それに、イーストの社員は会社に行かない私と湯川を無視していた。
大谷圭吾 イースト技術部部長
 ところが、大谷部長は無視していなかった。大谷部長の正義感は私達の行動に批判的になっていた。
まず、会社に出社もしていないのに給与を支払うべきではないと曽根社長に進言した。また、阿佐ヶ谷の新人育成センターの物品を私の事務所の物品で間に合わせようとした。
 私に言わせると、給与の件は、曽根社長が支払わないから出社しないだけだ。しかし、曽根社長は本来の順序を捻じ曲げてきた。自分に都合の良い意見が真実だと錯覚する曽根社長は、私達が会社に行かないので給与を支払わないと通告してきた。つまり、大谷の意見を採用したようだ。
 まったく…、吉田さんに対して行った行動と一緒だ。曽根社長がそのような言動をする事はある程度予想が出来ていた。予想が出来ていれば対策も取ってある。
曽根社長が給与を支払わない旨の念書をいくつか用意してあったのだ。これで何が真実かわかるだろう。
 一方、1997年6月2日。私は私の事務所の危機感を感じた。そこで、自分の私物を保全しようと久しぶりに事務所を訪れた。
しかし、鍵を開けて部屋に入ると、そこには何も無かった。きれいに立ち退いてある。1歩遅れたようだ。
部屋にあるはずの備品は全て阿佐ヶ谷に持ち去られていた。私の私物であるパソコン数台や自費購入した書籍やソフトがだ…。
 1歩遅れたとはいえ、私は事務所の主要な備品だけは以前に保全しておいたのでショックは少なかった。まぁ、パソコンといっても既に時代遅れになっているパソコンなのが主な理由ではあるが…。
でも、それって窃盗じゃないの?その後、阿佐ヶ谷にあるはずの私の備品はイースト崩壊とともに何処へなく消えた。今だに行方不明である。この件は、私がいつか暇になったときに、曽根社長をイジメル材料として胸の中に納めてある。
 さて、私の事務所には社員が1名残されていた。どうやら彼は在宅勤務のイースト社員ということになったようである。事務所が無くなったので当然の事だったが、イースト崩壊まで仕事が無かったので、ゆっくり遊べた事だろう。…と私には思うしかない。

 どうやら、私も湯川もイーストを去る時期が近づいてきたようである。
一向に給与は支払う気が無いようだし、支払わない理由を私達が悪いと責任転嫁し始めている。
曽根社長がアホだから、イーストから給与を貰えるうちはイーストに在籍しようという計画も、イーストが給与を支払わないんじゃ意味が無い。
それにしても曽根社長の責任転化は許せない。全てを自分の良いように解釈する考えを懲らしめないとイーストにいた10年間が空しくなる。
 私と湯川はイーストに対して、お灸を据える作戦を模索し始めた。ついでに隠岐会長も…。
私達がイーストを去ったら、イーストには崩壊してもらうつもりだ。隠岐会長も曽根社長も頑張って意地でも張り合っているがいいだろう…。

 1997年6月4日。私と湯川はイーストを退職する潮時を感じたのだった。

 さて、麹町に移ったイーストの時系列を2ヶ月進めて…1997年7月頃。
イーストの麹町事務所は大谷部長の管理下で、隠岐会長も移転した事務所内部には手が出せなかった。隠岐会長が行うことといえば先に記した通り、入金の奪取や嫌がらせが主だった。
 ところがそんなある日、反曽根社長派の細田が裏切った。彼は曽根社長を恨んでいる。できれば隠岐会長の方がイーストにとって良いと考えている。
細田は麹町のイースト事務所の鍵を隠岐会長に渡した。イーストの鍵を受け取った三島社長はある日曜日、運送会社と供にイースト事務所にのり込んだ。そして備品を全て運び出し、イーストを元の場所に引き戻した。

 翌日、社員の女性が朝一番に出社したが、そこには何も無かった。
当日、私は既にイーストを退社していたが、所用がありイーストに電話をかけていた。
「もしもし、和田ですけど…大谷部長いますか?」
「あっ、はい…えっと…、和田さん今それどころじゃないんです…」
「どうしたの?」
「私が会社に来たら部屋に何も無いんです。みんな大騒ぎして…。どうやら私以外は神田の前の事務所に出社するみたいなんですけど…?」
「なんだそれ?じゃ、あなたは何をするの?」
「私は大切な電話があるかもしれないので、この事務所に残って電話番です」
「はぁ…、でもそこには何も無いんでしょ?」
「はい、ダンボールの上に電話があるだけです…」
とまぁ、このような会話がしばらく続いた。
 私は受話器を置いた後、この面白い状況を湯川に話さなくては…と思い湯川に電話した。思った通り、湯川も面白がっていた。
イーストは相変わらず漫才のような日々を送っているようだ。
何も無い事務所の中にダンボールと電話。それに電話番の女性。コントじゃないんだから…。
どうやら、その状態は1週間続いたようだ。結局イーストは隠岐会長の下に引き戻された。

 話を戻して、1997年6月6日。私と湯川はイーストに辞表を提出することにし、イーストが逃げた麹町に向かった。
私も湯川もイーストがどこに逃げたのか知らない。

とうとう私達の潮時が来たのだ…。


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