第六章


支離滅裂

 1997年4月。私と湯川は完全に会社に行かなくなっていた。曽根社長と約束した給与を一向に支払う気が無いからだ。
我慢にも限度が来た私達は再度、曽根社長に給与の支払いを迫った。

4月中旬。東京の事務所、社長室にて、まず湯川が言う、
「どうなってんよ?給与は?」
「いや…。あの、お金の手配が出来てないので、もう少し待ってください」
「待て、待てって、いったい何時まで待たせんのよ?」
「ごめんなさい。資金繰りがつかなくて支払いに回せないんですよ」
「そんなことは関係無いやん。支払いを停めてでも給与を払いなさいよ」
「そんなことをすると会社が潰れてしまうんですよ。社長の役目は会社を潰さない事ですから…」
「良く言うよ…」と私はそっと呟いた。そして、
「こんな死にかけの会社なんか早く潰した方が良いんじゃない?あと半年も持たないから。その前にきちんと給与は払ってね」と言ってやった。
「社員はあなた達だけじゃないんです。他にもいるから払えないんです」
「ちょっと待って、他の社員には給与を払っているんでしょ?私達はマイナスから始まっているんですよ。他の社員の給与を停めて私達に支払うことはできないの?」
「いや、そんなことはできないです」
「その前に、あなたを信用している社員がいないじゃないですか?一体誰を助けるの?」
「……」
「自分でしょ?会社が潰れると自分が困るんでしょ?まったく社長のような小心者の考えそうなことですね」
「………」
「………」
 私は自分の言いたい事を告げるとしばらく黙ってしまった。
今度は湯川が曽根社長に何か言っている。しかし、私は湯川が隣で何を言っていたのか覚えていない。会社の末期症状を目の当たりに見て、ふと昔のイーストの事を思い出していたからだ。
まだ若かった頃、吉田課長や他の社員とテニス合宿をしたり、朝まで飲みに行ったりしたことなんかだ。
あの当時には想像もしていなかった現実が今ここにある…。
そういえば昔、勤めていた会社が潰れた経験のある社員がイーストに入社してきた。
「和田君、会社がね…いよいよ危ないってなったらね、皆、クモの子を散らすように会社を去るんだよ」
私は、当時入社してきた社員の言葉を思い出していた。

 どのくらいの時間が経ったのだろうか?急に眼と耳の焦点が合ってきた。湯川と曽根社長の姿と声がピントを得て鮮明になった。
「社長、いったいどうしてくれんのよ?私はアパート代が払えていないんですよ」
「湯川君の場合は大変だよね」
「大変って言うとるだけじゃ何の解決にもならんでしょ?払うもんはきちんと払ってよ」
「じゃ、こうしましょう。湯川君には1.5ヶ月分、和田君には1ヶ月分をすぐに振りこみます。残りはもう少し待ってもらえますか?」
こうして、湯川には1.5ヶ月分、私には1ヶ月分の給与が支払われる事になった。それ以外の交渉は相変わらずだ。
「無い物は払えない」という論理にしか回答がいかない。
給与が払えない時点で会社はおしまいなんじゃ?とも思えた。しかし、現実はそうでもない。公にならなければ社内の問題ということだろう。結局、社員の立場っていうのは不利だ。
和田信也 イースト部長
 以前、イーストで労働組合をたちあげる案が浮上した。
1度目は隠岐会長が現れる前。そのときは会社も順調だったので、何とはなしに酒の上での話で終わっていた。
2度目は隠岐会長が現れた時。私が隠岐会長に「労働組合を認めますか?」と質問した事があった。
隠岐会長は、「僕はそんなものは認めない」という返答だったので、つぎに私は社員総会に問題を提起してみた。
「あなた達は労働組合を結成する気がありますか?」と社員全員に呼びかけたのだが、責任が各人に及ぶと理解した社員達の意見はNOだった。
その前に、良くわからないという考えが正直な意見なのだろう。その後、私はイーストを見限った。そのような社員を救う気持ちも存在しなくなった。なるようになれば良いだろう?どうせ私には関係の無い事だ。いずれ淘汰されればそれで良い。と…。
その後のイーストは記述した通り。
 ボーナスカットも、退職金停止も、残業カットも、給与カットも、隠岐会長によって勝手に実行された。
社員は数日間、文句を言うが、しばらくすると沈静化する。
曽根社長にしても、会社の金を節約する方法を隠岐会長から学習したのか、隠岐会長に反抗しながらも金銭に関する部分は隠岐会長の手口を踏襲した。
だれもが都合の良い考えを前面に出して、本質に目を覆った。それは、イーストという会社そのものが生き物のように性格を得て、意思を持っているように存在していた。
 会社を人格として見る法人という考えがよくわかる。会社も生き物なのだ。そしてイーストとは、法人として信用の出来ない、いい加減な体質の会社になり下がっていたのだ。人なら、あいつ信用できないからね…っていう人格だ。まさに曽根社長や木藤専務そのものじゃないか…。そして、隠岐会長の加入で大胆さも加味された。
平気で嘘をついて、いい加減、その上ずうずうしく、罠にはめる…私ならこんな人は嫌だ。
曽根昭 イースト社長
 曽根社長が給与を私達に支払わない理由は他にもある。おそらく、木藤専務が曽根社長に余計なことを話したのだろう。
「あいつら(私と湯川)は、イーストを辞めて会社を興す相談をしていた」とでも曾根社長に密告したのだろう。
木藤専務が失踪する前、いいかげんな対応しかしていない木藤専務を私達は激しく非難した。
クリエイトの社長である、木藤社長の対応についてだ。関連各社の催促に対して無視を続けるという大人げの無い木藤社長に対してだ。
こうなると社長も専務も関係ない。私達は木藤さんに対して、人間として間違っていると叱咤した。
 木藤さんは人に意見されると責任を転嫁し始める。そして曽根社長に密告したのであろう。
辞めるやつに給与は支払いたくない。その気持ちはわかる。しかし、それじゃ経営者として犯罪行為だ。
経営者とは、どんなに気に入らない人間でも労働に対する対価を支払う義務があるはずだ。その根本を軽視している経営者はもはや経営者とは言えない。
 曽根社長も木藤社長も隠岐会長に責任転嫁しているが、彼ら2名の罪はそれ以上だ。負け犬がボスの顔色をうかがって行動しているのとなんら変わらない。都合の良い部分だけボスに真似て、ありもしない権力を行使している…。
いや、権力はあるのだろう。その方向性が良くない。つまり、自分達より弱い立場であると無意識に理解している社員に対して奇妙な権力を行使しているのだ。
隠岐敬一郎 センチュリー会長
 隠岐会長も彼ら曽根社長と木藤社長と根本的に大差は無い。しかし、決定的に違う点がある。それは行動力だ。
時には恫喝し、時には怪文書を流布し、時には会社登記を変更する。それらのことを面倒だと思わずに行動できる。
曽根社長や木藤社長がオロオロしている間に行動を起こす。いや、私や湯川がシミュレーションしている合間に行動を起こす。
 唯一、Drawingのデータ保管の時だけが、隠岐会長より私達の行動が早かっただけだ。隠岐会長の鍵交換の1日前だ。
だが、隠岐会長には状況を最後まで読みきる能力が無いと思われる。鍵の件にしても激情して行動しただけだ。
その後のことなんて考えてないような気がする。頭にきたから行動したという事件が多すぎる。
ただ手口が威圧的なので周囲が服従してしまうのだ。人間というのは1度服従してしまうと慣れが生じるらしい。服従していれば責任感が薄まるためか、安心感が首をもたげてくるようだ。
 ある意味、サラリーマンという職業は服従の代償に安心感を得ている。しかし、企業とて未来永劫として存在するわけではない。安心感の崩壊は常に潜んでいる。今まで見えにくかっただけなのだ。
三島真一 イースト社長
 1997年5月。曽根社長はまたしても給与を私達に支払わなかった。
もう、同じことを何度も書く気にもならないが、理由はこうだ。
 隠岐会長が三島社長に命じて、関連各社に手形を乱発した。関連各社の支払いを手形で代用したのだ。
各社に対して、イーストの支払いは遅れていたものの、催促には至っていなかった。だが、隠岐会長は全ての支払いを迅速に処理していった。その支払方法が手形だったのである。
 手形の所持人は、支払期日がくると銀行に行って現金化する。もしその時、振出人もしくは裏書人の資金が銀行に無く現金化できないと、その手形は不渡りとなる。銀行は不渡りを出されると一切の銀行取引を停止する。事実上、銀行の信頼を失った企業や人は破産という事になるのだ。
 銀行口座を押さえられている曽根社長は、取引銀行に対してなにもできない。振り出した手形は隠岐会長の押さえている銀行の手形だ。曽根社長にあるのはイーストの別の口座だけだ。
曽根社長が隠岐会長の押さえている銀行に金を振りこんで不渡りを回避しても、隠岐会長に金を引き出されては如何様にもならない。
残された道は手形の支払期日前に手形を買い戻すことだ。
 しかし、手形をどこに振り出したのかわからない。そこで、曽根社長は心当たりのある場所に対して、手形の買戻しをさせてくださいと手紙を送った。
イーストの恥部(僕は隠岐君にいじめられています)を正直に書いて、是非とも買い戻させてくださいと…。
隠岐会長から嫌がらせの手紙が来るし、曽根社長から隠岐会長の悪事と供に手形の件の手紙がくるようでは、誰の目にもイーストの状態がわかるというものだろう。
 結局、曽根社長は隠岐会長(三島社長)の振り出した手形を全て回収した。その資金が500万円。
つまり、500万円ほど手形の回収に使用したから私達の給与が払えないということだ。
 手形の件は事実だ。しかし、それを理由に給与が支払えないというのは筋が違う。他の社員には給与が出ているからだ。
まったく私達もナメラレタものだ。

 もう、イーストは無茶苦茶だ。
隠岐会長にしてもイーストが欲しいのか欲しくないのか良くわからない。三島社長も何を考えているのかわからない。
もし、手形が不渡りになったらイーストはどうなったのだろう?隠岐会長も三島社長もイーストを失うのではないのか?
特に三島社長はイーストの社長になるときに私財を提供している。
隠岐会長にしても、関連各社に対して支払い拒否を実行しているためクリエイトには手が出せない。残るはイーストだけのはずだ。

 隠岐会長の考えがまたわからなくなってきた。クリエイトの資金を停めたのは隠岐会長自身だし…?
たんなる意地で全ての行動を実行しているのだろうか?それとも何か徳になるようなことがあるのだろうか?
 木藤専務も良くわからない。彼には生涯を通して意地が無いのだろうか?ただヘラヘラと誰かに付き従っているだけなのだろうか?そして最後には自ら逃げてしまう。逃げる事が問題解決なのか?
 曽根社長は中途半端な意地しかないのだろうか?周囲から見れば妙なプライドの持ち主に見えるとわからないのだろうか?小さな世界で威張っている蛙のような存在だ。
 じゃ、イーストの大多数の社員は?長井さんは?吉田さんは?去っていった多くの人々は?

湯川と話した、「もしかして変なのは私達じゃ…?」


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