第六章


締め付け

 1997年2月。
池田幸一弁護士イースト社内で無視されつづけていた曽根社長は、大谷と加藤の協力を取りつける事で少しだけ元気を取り戻した。
私と湯川は何食わぬ顔でイーストの社員を演じている。クリエイトは業務を何もしていないようだった。
そんな最中、曽根社長が動いた。例の池田弁護士の指示による行動だ。
 曽根社長は隠岐会長に対して、恐喝による株式取得は認められないと警告文を送った。
やっと、曽根社長は池田弁護士にスナックでの株式取得の話をしたようだ。曽根社長が聞いた池田弁護士の話によると、そのような経緯では譲渡は無効だという事だ。
私は、この話が本当かどうかは知らない。だが、曽根社長は隠岐会長への株式譲渡が無効だという前提で行動したようである。
株式は自分の所有物だと解釈した曽根社長(あるいは池田弁護士)は、会社の実印返還を隠岐会長に迫った。

 一方、大谷と加藤は現在イーストにいる社員に、隠岐会長が行っている金の流れを説明した。
しかし、曽根社長批判が根強いイースト社員は話半分で聞いていたようだった。
東京に在籍している湯川も、隠岐会長不正の証人として、イースト社員に実態を語った。だが、湯川も私もイーストを裏切ったと思われているので、効果はあまり無かった。
それでも、イースト社員の半数以上は隠岐会長の排斥に同意した。これは同時に、イースト社内が明確に分裂した事を意味する。
 隠岐会長を擁護するのは、曽根社長にキツイ仕事を要求され、納期を逃した事で叱咤された経験を持つ細田だ。
細田は曽根社長を心底憎んでおり、一種の反曽根社長派を築いていた。それが発展して、現在は隠岐会長派という事だ。
 大谷は曽根社長を擁護しているが、曽根社長の経営能力に疑問を持っている。ここに大谷の苦しい立場がある。
曽根社長を利用して、隠岐会長の手からイーストを奪取したいのだが、奪取に成功しても曽根社長を立てることが出来ない。よって、イースト社員を曽根社長に協力させたくても、根拠が弱い。
だが事実はある。隠岐会長の下では、確実に全員がやせ細っていくという事だ。自然に弱っていくか、意図的に弱っていくの違いしかないとしても…。

隠岐敬一郎 センチュリー社長&イースト会長&クリエイト取締役 隠岐会長が反撃してきた。
まず、曽根社長の自宅へ、例のスナックのママとの件を暴露した手紙を奥さん宛に送りつけた。
暴露といっても、曽根社長に男女の関係があったわけではない。
曽根社長が語ってくれた手紙の内容は、
・曽根社長には経営者としての資質が無い。
・イースト社員に嫌われている。
・個人的な借金がある。
・スナックのママに入れ込んでいたことがある。
等の内容が延々と書かれていたようである。私は、「書かれている事は、あっているんじゃない?」と曽根社長に言った記憶がある。
もちろん、曽根社長はこの手紙も恐喝の証拠にすると語っていた。
 ところが、この手紙はイーストの取引先各社にも送られていたのだ。
手紙を送られたどこの会社も、手紙が送られた事実をしばらく黙っていた。しかし、手紙はこれ1通で終わらなかった。
隠岐会長の手紙攻撃はイーストが崩壊する前夜まで執拗に続けられた。その間に、いいかげん頭にきた会社が手紙の事実を曽根社長に話したのだ。それで手紙の件が発覚した。
その手紙の最後には、同様の手紙は以下の各社にも送ったと記されていた。その以下の各社というのは、イーストの取引先会社の全てと取引銀行だった。
三島真一 イースト社長 そして、差出人はイーストの三島社長だ。隠岐会長の名前は出ていない。
これ以降、隠岐会長と三島社長の締め付けがエスカレートしていった。
そして、手形乱発や会社登記簿争奪戦に移行していく。

 さて、話を戻して1997年2月末。
私と湯川の給与が振りこまれなかった。
曽根社長に給与の件を確認すると、木藤専務が管理していると言う。
そこで、木藤専務に確認すると、「君たちはクリエイトと関係が無いから給与を払うな」と、隠岐会長に言われたと答えた。
もはや木藤専務を信頼していない私と湯川は、あの人に言ってもどうにもならないと諦め、再度、曽根社長に訴えた。
 すると曽根社長は、「君たちに支払う給与は別のルートになっているため、少し待って欲しい」と返答してきた。
私と湯川は、「私達はイーストの社員ですよね?何故、支払えないのか?」と激しく詰め寄った。
社長も自由になる金が無いようで、「とにかく、給与の件は何とかするから待ってください」としか言いようがないようである。
私と湯川は、給与が払えるまで在宅勤務を認めてくださいと交換条件を出した。
そして、在宅勤務を認める覚書を曽根社長と交わしたのだった。

 クリエイトでは私達の給与を停止しただけでは無かった。
なんと、一切の銀行取引を含む金銭の移動を停止してしまった。木藤社長の話では会社の実印が無いからだそうだ。
「あんた、社長でしょ?なにをやっているの?」と木藤社長に詰め寄っても空しいだけだ。もう、十分わかっている。
地方の私の事務所も、東京のクリエイトの事務所も金銭の移動が止まった。
まずは、「NTTですけども、振りこまれていません…」から始まり、私の事務所の大家さんが、「家賃が入っていません」に発展してきた。
更には、事務所で揃えた事務用品の支払いから、過去に仕入れた物品の支払いにまでに及んだ。隠岐会長は徹底してクリエイトの金の動きを止めたようである。
 木藤社長がしっかりしていれば、このような事態など、如何様にも解決できるはずだ。しかし、相手は木藤社長。自らこの状況を打破しようとする人物じゃない。成り行きを静観しているだけだ。
 私はクリエイトと一切の関係が無いと思っているから静観していた。しかし、地方事務所の事務用品は私の友人の会社から仕入れていた。その金額は事務用品だけで70万円以上。
実質的に、私が仕切っていたと思われていた私の地方事務所では、私の信用で物品を購入していた。その支払いが止まったのだ。私を信用していた友人にも、事務用品会社にも、迷惑をかけることとなった。
木藤浩次 イースト専務
 3月を過ぎてもクリエイトは一切の金銭を支払う気配を見せない。
私は何度も木藤社長に、社長として誠意のある行動をするように迫った。しかし、相変わらず隠岐会長を恐れて何も行動を起こさない。
何も誠意を示さない木藤社長に東京の関係業者も痺れをきらした。
木藤社長は私に接していた態度と同じように他の業者にも接していたのだ。連日、のらりくらりと返答するさまは大人の行動ではなかったであろう。
いいかげん頭にくるのが正解だ。東京では烈火のような支払い催促の嵐にまでに及んだ。

 ここで木藤社長の採った行動は、失踪だ…。
ある日、行方不明になった。

 木藤社長の自宅は羽村市にある。しかし、自宅にも不在だ。色々な業者も私に報告してくる。
「和田さん、木藤社長はどうしたんですか?自宅に連絡しても居ないのですけど…?」
 おそらく、木藤社長は騒ぎが沈静化するまで姿をあらわさないだろう。いや、ずっと逃げ回っている気なのかもしれない。
とにかく、木藤社長が姿を消してから現在に至るまで、木藤社長の行方は不明だ。ある日、湯川が木藤社長にクリエイトの株主総会を求める内容証明を送ったが、本人不在で郵送物は差し戻された。
仮にも、会社の社長である木藤社長は、こんなことで責任が回避できると思っているのだろうか?
 一緒にクリエイトの株主になったDrawing代理店の佐々木社長は言う。
「君達(私と湯川)、100万円は捨てるんだね。そんなことより商売したほうが良いよ。僕は忘れるから…」
佐々木社長もクリエイトに100万円を出資している。
湯川祐次 イースト営業課長湯川が言う。「いいや、私達はあきらめませんよ。あのボケを追い詰めて、責任っていう言葉を教え込まんと…」
私も湯川の言う通りだと思った。
何といっても、私達はクリエイトの大口株主だ。今はクリエイトに関わっている暇は無い。しかし、逃げれば許されるというパターンが通用しない事を何時の日かはっきりさせるつもりだ。

 その後、木藤社長の噂を時々聞いた。
個人的にDrawingのメンテナンスをしているとか、会社整理後の曽根社長と会社を始めたとか、家族と別れて伊豆方面のホテルで住み込みをしているとかだ。どうやら生きているらしい。
まぁ良い。どこに居てもその日が来たなら、姿を現さざるを得ないだろう…。
木藤社長は、クリエイト代表取締役とイースト取締役の肩書きを持ったまま失踪した。
彼の個人的な借金がどうなったのかは知らない。

ここで、木藤社長は物語から退場することとなった…。


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