第五章


内容証明郵便

 白須さんと高峰さんとの会見があってから、私と湯川は自分達の身の振り方を考えるようになってきた。今すぐではないにしても、近い将来には会社を辞める決心もついた。
しかし、白須さん高峰さんを信じていたわけではない。突然姿をあらわして、僕達を信用して…と言われてもピンとこない。
私達にとって、信頼と信用は思ったより根の深い問題だった。そりゃそうだ。この時期の私達は沈んでいた。社内改革だ!と鼻息を荒げていたが、隠岐会長の前で踊っているだけだったからだ。
つまり、自分の自信が揺らいできていたのだ。自信が無いときに信用してと言われても困ってしまう。
 それはそうと、問題なのは辞め方だ。会社を辞めた瞬間に無職となり、収入が断たれてしまう。
なんとか次が保証されてから辞めたほうが賢いというものだろう。この場合の保証というのは、自分達の会社のことだ。会社設立までには、やらねばならないことがたくさんある。もちろん、資金も要る。
和田信也 イースト部長&クリエイト取締役
 もう1つ、厄介な問題もある。それは私がクリエイトの役員に就いていると言う事だ。湯川の場合は、いつでも会社を辞められることはわかってる。
しかし私の場合は、次の準備をしてから会社を辞めた場合、隠岐会長に何をされるかわかったものじゃない。背任だと言われかねないのだ。
 私と湯川はイーストの社員で、クリエイトに出向扱いだ。隠岐会長と木藤社長がクリエイト発足時に言っていた、クリエイトの社員に移行するという約束は未だに守られていない。
…これは好都合だ。
何故なら、湯川はイーストを辞めればケリがつく。私もイーストでは社員なので辞めれば良い事だ。社員の立場からいえば私達はクリエイトと一切関係ない。
やはり問題なのは、私のクリエイト役員という立場だ。
 ちなみに役員の任期は2年ある。とても2年は待てない。
それに私の場合、DrawingのWindows版を仕上げる使命があるので、クリエイトを辞めるという事は、会社に不利益となる。もし、私が新しい自分の会社でDrawingの開発をした場合、面倒な事になりかねない。鈴木建設と私の間では合意が取り付けられているが、隠岐会長は黙っていないだろう。
 一度役員になると、病気なのでやむをえない事由以外で、会社にとって不利益な時期に辞めたことによって会社に損害を与えたときは、その賠償責任を負わなければならないのだ。
こんなことで隠岐会長に攻撃されたくない。
私の取るべき道は、クリエイトの役員を辞任してイーストの社員に戻る事だ。まずは、それが先決だろう。
1996年11月末、私は木藤社長に役員を辞任すると文書で伝え、登記簿から除外するようにお願いした。
木藤社長は、いったいどうしたの?という態度だったが、私が隠岐会長に不信感を持っていると知っているだけに、あっさりと受理した。

取締役辞任届

私は、今般一身上の都合により、本日付で
取締役を辞任致しますのでお届けします。

1996年11月20日
株式会社クリエイト 代表取締役 木藤弘治殿
取締役 和田信也

 取締役辞任届を提出してから2週間後、私はクリエイトの会社登記簿を確認した。しかし、私の名前は登記簿から消えていない。
このままじゃ、事情を知らない善意の第3者に退任の事実を主張できない。もし、クリエイトに何かあった場合にも責任を追求される恐れがある。
役員の辞任は簡単に出来ない。
 例えば、辞任する事によって取締役の法令・定款の員数を欠く場合だ。
この場合は新しい取締役が選任されるまでの間、辞任した取締役も取締役としての権利や義務を継続しなくてはいけない。
新しい取締役が選任されるまで辞任の登記も許されない。従って、会社がわざと新しい取締役を選任しないと、いつまでも取締役の責任を免れない。
この場合は裁判所に対して、仮取締役の選任を申請する必要がある。
だが、幸いな事にクリエイトでは役員の員数が法令・定款を満たしていた。しかし、会社は登記簿を申請してくれないのだ。
とにかく、クリエイトの役員という肩書きを外さない事には先に進めない。もう、取締役辞任届は受理されているので、会社としては辞任を認めたのだろう。
木藤浩次 イースト専務&クリエイト社長木藤社長に提出して良かった。隠岐会長では、なにやら法律を持ち出して受け取らなかっただろう。こんなときの木藤社長は役に立つ。
木藤社長は物事を深く考えないので制御しやすい。問題は登記簿だ。
隠岐会長の思惑なのか、木藤社長のいいかげんさなのか理由はわからない。木藤社長に登記簿を変えてと要求しても一向にラチがあかない。

 1996年12月15日、私は最終手段として、内容証明を送る事によって辞任した事の証拠を保全することにした。
内容証明は第3者に書いてあることの証人となってもらうことが第一で、通常は内容証明郵便を使用し、郵便局に文章の証人となってもらう。
良く、もめごとの解決のために内容証明を使えば良いと思っている人がいるが、単なる文章であり、単なるお手紙であることを認識しておく必要がある。
何を書こうが、法的拘束は無い。あくまで解決したいのなら裁判しかないのである。内容証明は裁判のときに、誰が、何時、誰に書いたという証拠に役立つのだ。
私の場合も、役員を辞任したという証拠が欲しいのだ。そのために内容証明郵便を用いて、身の安全を保障するのだ。

 さて内容証明だが、記述するためには特別の用紙を使用する。文具店で、内容証明に使用する用紙をくださいと言えば手に入る。この時、気をつけることは、3枚つづりのカーボンになっている用紙を購入する事。
1枚は自分が保管し、1枚は郵便局(内容証明郵便の場合)、1枚は相手に送る。
また、書き方も文字数が重要なので慎重に書く必要があり、訂正もルールに従って行う必要がある。通常は購入した内容証明書に記述法が載っているので参考にすると良い。

取締役退任登記請求通告書

 平成八年十一月二十日付けで、私があなたに「取締役辞任届」を提出したのにもかかわらず、未だに登記手続を終えていません。
 ついては、本書到着後二週間以内に登記手続きを完了していただくよう、通告いたします。
 なおその間、私にとって不利益を与える行為は全て無効とし、登記手続と合わせて万が一、やむを得ない場合が生じたら、法的手続きをとらざるを得ませんので了承ください。
 平成八年十二月十五日

(付記)差出人
地方住所 和田信也

受取人
東京住所 株式会社クリエイト代表取締役 木藤弘治殿

 用紙3枚に文章が写っているのを確認すると、各用紙の自分の名前の場所に印鑑を押して終了だ。
私は出来あがった内容証明を持って郵便局に出向いた。
「あのう、内容証明郵便を送りたいのですけど?」
「はい、封筒は持ってきましたか?」
「持ってきました。配達証明の速達でお願いします」
以上のやり取りが終わると郵便局員は私の書いた文章を読み始めた。本当は文字数の確認だけで良いのだけれど?…私は少し恥ずかしかった。
 郵便局員の手続きが終わると、私は持参した封筒の中に用紙を入れ、しっかり封をした。
ちなみに持参する封筒には相手の住所と自分の住所を記入していくと良いだろう。
 配達証明というのは、郵便物が実際に相手に届いた事を証明するものだ。つまり、私の送った内容証明は確実に相手に届いたと言う証拠になる。
配達証明が無いと、俺はそんな文章をもらっていないぞと言われかねないのだ。
内容証明を郵便で送る場合には、配達証明も一緒に手続きをしよう。
相手先で郵便物を本人が受け取ったら、以下のようなハガキが差出人に配達される。

thrdd.gif (3419 バイト)

郵便物配達証明書

受求人の氏名 木藤弘治 様

引受番号 123456 号

上記の郵便は、15日
配達したのでこれを証明します。

 この郵便物をもって、私は木藤社長が内容証明を受け取ったと判断し、期限の2週間後を待つことにした。
しかし数日後、木藤社長が向こうから電話をしてきた。
「和田君、登記簿書き換えたから…」
これで私はクリエイトと一切の関係を断ちきり、新たな行動の機会を得たのだった。


一つ前へ ホームへ戻る|五章登場人物|読み物目次 一つ後ろへ