第三章


さらば東京

 事務所新設の許可がでてから、私は社長に東京に出てきている同郷の社員の求人を依頼した。
その理由は、事務所を新設した場合の地元での雇用問題に対処したかったからだ。
おそらく、地元ではソフトハウスも少なく、CAD系のプログラムを作成できる人材がいないと思われ、東京に出てきている人材の中から探す目的と、教育を兼ねたかった。
そして、ゆくゆくは地元にユーターンさせ、私の参謀になって欲しいという願いがあった。
 程なくして職業安定所の求人情報を見た社員が入社してきた。
面接は曽根社長が行った。まただ、何故、私に関係のあることなのに彼が面接を行うのだ?しかも知らないうちに…。
私は突然に曽根社長から新人を入れたと報告があった。
「和田君、君の言っていた社員を入れたから…、今度の人はとんでもなくできるよ」といつものパターンだ。
「え、入れたんですか?どうして面接に私を呼ばないの?」さすがに今度ばかりは呆れた。
「いや、年齢は35歳でプログラム経験も豊富そうだし、履歴書も凄いんだよ」と社長特有のいいわけが入った。
しかも、年齢が重要みたいだ。
「そんな優秀な人は早く決めてあげないと居なくなるからね」と更に社長は続けた。
私は、「はっきりいって社長の見る目は無いからね」と恒例行事のような会話で話を閉めた。もう入社させたのなら仕方の無いことだからだ。

中野英治 イースト開発部課長 入社してきたその社員は中野英治といい、長井部長に配属になった。しかも課長職だ。
私は興味を持って新人中野さんと会話を試みてみた。
しかし会話を5分もすると、使えないということがわかった。
会話が成立しないのだ。コンピュータの話ではない。
おそらく10人のうち8人は、この人おかしいと思えるような人なのだ。
一体どんな面接をしたのだ?
今度ばかりは簡単にわかりそうなものなのに…。

 さすがの長井部長も彼には呆れたらしく、1週間もすると仕事を与えなくなった。
本当に何も与えないのだ。どうやら何を頼んでも駄目らしいのだ。
 吉田部長と飲みに行って私がその話をすると、「本当に出来ない人はいない」と、いつもの口調で言うので、「じゃぁ、吉田部長が面倒見ますか?」と訊ねてみた。
「ああ、見るよ」と吉田部長が返答した。
面白いことになってきた。吉田部長の人類皆平等説がどこまで通用するのか興味が出てきた。
それに、中野課長はいずれ私の下に就く事になる。長井部長は彼を無視する作戦に出ているので、これじゃ進歩はしない。
ここは吉田部長に預けて鍛えてもらうことにした。

 話は簡単にまとまった。長井部長は彼を切りたがっているので、長井部長と私とで社長の所に行き、中野課長の技術部行きを決定した。
そして彼は吉田部長の率いる技術部に移った。
吉田賢治 イースト技術部部長それから2週間後、吉田部長と飲みに行ったときのこと…。
「和田ぁ、中野さんって変だゾ」と切り出してきた。
「使えないでしょ?」と私が言うと、いつもなら「使えない人は世の中にいない」と返答するところを「使えないわぁ」と答えてきた。
「こんなに使えない人を俺は見たことが無いぞ」と吉田部長は話を続けた。
「何があったのですか?」と聞くと、100行ほどのFORTRANのプログラムを渡し、「チェックライト(ディバッグ文)を外して」と頼んだらしい。
「俺は忙しくて1週間程相手していられなかったんだわ」と吉田部長は語り始めた。
「で、1週間後、中野さんどうですか?できました?」と聞いたところ、「あの、FORMAT文って何ですか?」と言われたらしい。
吉田部長は「あの人、何ですぐに聞いてこないんだ」と頭を抱えながら私にいってきた。
「1週間の成果がゼロなんだぜ…」と更に話を続け、「そして今度はきちんと細かく指示して、もう1回頼んだんだわ」とビールを飲みながら一息ついた。
「そして、今日、また1週間経って、中野さん何やっていますか?と作業を覗いたら、全然関係無いプログラムのディバッグをしているんだ」と嘆き始めた。
つまり、頼んだプログラムにサブルーチンがあったらしいのだが、中野課長は、そのサブルーチンを追いかけ始めたらしいのだ。
「俺が頼んだのは、チェックライトを外せなのに、何でそのプログラムの解析をやっているんだ?」と遂に吉田部長も呆れていた。

 結局、中野課長は営業部にまわされ、Drawingを操作してバグを見つけるという仕事に就いた。
それは名目の話で、仕事でもなんでも無い。
彼は私が東京を去った後も東京に数年残り、その後私の元にきた。
それから私は彼を指導するのだが、はっきり言って胃が痛くなるような人物だ。
しかし私は、その後2年も辛抱強く指導を続けた。挨拶の仕方からプログラムまで…。
後年、吉田部長に会ったとき、「私のほうが人を辛抱強く指導できますね」といった。そうなのだ、私は本当は優しいのかもしれない。

 本題のテーマから話が大分それてしまった。
それだけ彼には苦労をさせられたから思いが募ってしまった。おそらく彼が私の部下になってから私の仕事の半分以上を彼に費やした。
その為、自分の作業は深夜に及ぶことが多かった。私より7歳も年上なのに情けない人だ。いや、年齢は関係ない。
私が彼を怒る時に、彼は正座をして怒られている。私が強要しているわけではない。彼が自ら正座をするのだ…。もうわからん…。
さらば東京ええい、話を本筋に戻そう。きりがない。

 事務所開設の話があってから半年後、私がいよいよ東京を離れるときがきた。
思えば高校を卒業してから10年もの間、東京に居た事になる。
色々なことがあった。田無、蕨、荻窪、池袋、川口と住居も変えてきた。
池袋では、私の住んでいるアパートのちょうど真下の階下で死体が発見されたこともあった。
様々な友人や女性とも知り合った。
就職した。世の中に残る仕事もした。バブルも経験した。社内恋愛もした。
もう、十分だろう…。
今度は人材育成に重点を置いて、35を過ぎたら彼らに養ってもらおう。
コンピュータは柔らかい頭脳を必要としているのだ。
そろそろ私の出番ではない。

さらば雑踏、さらば町の灯、さらば東京…


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