富士五湖TV 凱風快晴(冨嶽三十六景)
葛飾北斎の富士山
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凱風快晴 冨嶽三十六景(1831〜1833)より
 富士山を描いた葛飾北斎の冨嶽三十六景の中でも「神奈川沖浪裏」・「山下白雨」とならび人気の高い作品で、通称「赤富士」と呼ばれています。「凱風」とは南から柔らかく吹く風を意味しており、このことから夏の富士山を描いたものと認知されています。

 しかし、このように有名な作品であるにもかかわらず、この浮世絵の視点は不明であるとされており、三ツ峠周辺・富士吉田市・静岡沼津周辺と様々な説があります。まず、三ツ峠周辺や富士吉田市からの視点ではないかとする説の根拠は「赤富士」と山頂の形に由来しています。

 赤富士という現象は近年のカメラマンが富士山を撮影する際に夏の早朝、富士山の東肌に朝日が当たり富士山が赤く染まる様を言い、有名な撮影スポットとして滝沢林道が挙げられます。しかし江戸時代の文献を紐解いてみても「赤富士」という記述は見当たらず、特に注目されていなかったのではないかと思われます。

「凱風快晴」の詳細はwikiで

 では何故、「凱風快晴」は赤色なのか?という疑問があると思いますが、「凱風快晴」の初期摺りの版では「富士山はそんなに赤くありません」。こげ茶色という表現が近いかもしれません。その後、版を重ねるごとに富士山は赤みを増し、ふもとの木々は青から緑へと変化していきます。

 次に静岡側の根拠ですが、同じ北斎の「冨嶽百景二編9丁(1835年)」の中に「快晴の不二」という画があり、これが「凱風快晴」の元になったという説があります。この画の富士山は斜面についた雪の量が「凱風快晴」より多く、手前に愛鷹山を従えています。、また、下に目を移せば何艘かの船が海に浮かんでいる様子が見えます。このことから、この画の視点は沼津千本松沖であると思われます。

 さて、謎の多い本作品の視点ですが、私も最初は三ツ峠周辺から忍野地区のどこかだろうと思いシミュレーションを重ねました。そして、忍野地区の二十曲峠付近が最も山体の様子と残雪の具合が似ており、考察を一度終えたのでした。
誰もが陥る間違った解釈例の考察過程
(忍野二十曲峠西尾根付近)

 しかし、そんなある日、他の浮世絵の富士山を検証するために私が保有している富士山ライブカメラ(http://www.fujigoko.tv/live/)の通年画像のすべてを閲覧中に一枚の画像が目に留まりました。その一枚というのは「富士市茶畑ライブカメラ(所在地:富士市大渕)」の5月分です。以下の画像がそれです。
富士市茶畑から見た富士山
(
http://live.fujigoko.tv/?n=21
     
4月22日 拡大 凱風快晴
 残雪の形状に注意してみてください。
いかがですか?印象的なY字を逆さまにした残雪の形状が「ほぼ同じ位置」に観察できます。これは、つまり、富士市から見た富士山がモチーフになっていると考えられます。しかし、今まで富士市から見る富士山が選考に漏れていた原因として富士山右に見える宝永火口と山頂の形状が違うことが挙げられます。この解釈が北斎の富士を難解にしている原因ですが、北斎のいくつかの作品を俯瞰的に眺め続けた結果、自身のスケッチ・デッサン集の部品を加工して配置する手法が北斎作品だと理解するにあたり真実に近づけたような気がします。

 葛飾北斎のスケッチ力は非常に優れており、ほとんどの作品で富士の稜線と残雪は実際の状態に近いと私の中で確認されています。したがって、道理に合わないスケッチの狂いは当方の解釈に間違いがある場合がほとんどだと理解しています。

 そこでまず、ライブカメラに写っている残雪の位置を確認し、山体シミュレーションソフトのカシミールで富士山の沢に相当する部分を特定しました。富士山の残雪跡は木の無い噴出物周辺や瓦礫の沢といった部分に筋を残します。その筋と北斎の画に残っている残雪跡のズレから50m範囲のステップで検証し横方向の位置を特定しました。

 この時のヒントは北斎の画にある富士山の左斜面の残雪が大沢崩れに残った雪であると特定することでした。次に視点の縦方向の特定ですが、実際のところ判定の方法がありません。しかし、画の持つ裾野の広がりから平地にて見上げていると想像でき、東海道のどこかであると仮定することで一点が決まりました。

 別解として、富士市茶畑ライブカメラの残雪位置と北斎の「凱風快晴」の残雪位置は山頂を中心に9度ズレています。富士山頂とライブカメラの距離は18Kmですので、tan9×18=約2.85Km離れた場所の延長線上となります。その延長線上と東海道の交点でも同一点が求まりました。

ズバリ、その場所は「静岡県富士市本市場」と「富士川河口」の線上です。

 歌川広重の「吉原山川白酒」という浮世絵が総合庁舎前に掲げられていますが、この画の富士山の構図はまさに北斎の残雪と一致します。東海道間宿(あいのしゅく)本市場は吉原宿と蒲原宿の間にあり、多くの茶屋が建ち並んでいたそうで、「白酒」や「葱雑炊肥後ずいき」などが知られ、広重の画もこの様子だそうです。まずはこの風景を念頭に当時を偲びたいと思います。 


 さてこれまでは残雪の模様からポイントを絞りましたが、実は富士山の山頂と稜線が一致していません。しかし以下の処理を施したいと思います。ちなみに富士山との実寸比は縦方向に1.8倍です。

傾けて移動
GoogleEarth画を普通に重ねると以上のようになる   時計回りに6度傾け宝永火口を枠外に持っていく

 GoogleEarthでシミュレーションした結果が上図です。北斎の富士山を検証していくと分かりますが、北斎は宝永火口を描きたがりません。唯一描いた作品は冨嶽百景の中に一枚あります。それにしても上手い具合に火口を枠外に配置して描いていると思います。

 さらに富士山の左の稜線に注目すると、起伏がほぼ一致しています。画の左下にあるでっぱりは富士山の寄生火山の塒塚(とやづか)です。特定地点を静岡県富士市本市場に設定するとこの塚は実際の画より大きく見えることになります。よって北斎の画に表現された塚の大きさを検証すると現在の富士川河口付近周辺に限定されます。従って北斎の見た富士山の視点は当時の富士川河口から海に出た船の上かもしれませんが、ここでは仮定として東海道視点を採用します。しかしながら、他の北斎の浮世絵を見ますと田子の浦沖、沼津沖と船上から描いた作品も多くあり、実際の「凱風快晴」は現在の富士川河口付近の船上から描いた可能性もあります。

カシミールによる富士市視点の考察過程
(現在の静岡県総合庁舎付近)

 季節は5月初旬の日中、前日までの雨が嘘のようにあがり爽やかに晴れ渡たった夕暮れ、富士川河口が作り出した平野の向こうに富士山を見る。その時一陣の南風が北斎の頬をなで筆を運ばせた。

 いかがでしょうか?今までのイメージとだいぶ違いますね。北から見る富士山の赤富士という現象にこだわると夏の早朝の富士山のイメージですが、南(富士市周辺)から見た場合の富士山の斜面が赤っぽく、裾野が緑鮮やかに映える日がどういう時か富士山を観察している人なら知っています。

 ちなみに、空に浮かぶ通称「鱗雲」は秋のイメージですが、空気の澄んでいる日なら一年中見られる現象です。鱗雲が出ると天気が乱れるので、秋の好天が続いた後に台風が近づくと特に印象に残るので、鱗雲は秋のイメージになっているにすぎません。仮に北斎の画のように残雪がここまで残るには積雪がかなりあった後でなければなりません。つまり、もし秋なら11月中旬以降で、しかもかなりの積雪があった年ではないかと思います。こういった意味でも晩夏説は否定されるべきだと思います。参考写真は富士市茶畑ライブカメラ(2015年5月8日)が捉えた雲の様子です。

 先に紹介した通り、現在の静岡県総合庁舎には歌川広重の「吉原山川白酒」が掲げられています。もしかすると今後、葛飾北斎の「凱風快晴」も掲示されるかもしれないでしょう。私は最初、山梨の新観光名所を探すつもりで考察をはじめましたが思いかけない結果になりました。偶然にも静岡の人たちと打ち合わせするときによく使用していた施設はこの総合庁舎なのです。こんなことなら庁舎窓から富士山を撮影しておけばよかったと思っています。
 もちろん、富士山頂と現在の富士川河口を結ぶ線上のどこでも視点の候補になりますので、どこか展望の良い場所を名所にすることを祈っています。

「凱風快晴」と「カシミール」の検証用合成画
(現在の富士川河口、富士川緑地付近)

こちらの方がより「凱風快晴」の構図に近くなる。

富士総合庁舎〜富士川河口の間周辺

 最後に傾けて欠けた山頂はどこから持ってきたのでしょうか?
「凱風快晴」の山頂の形を見ると頂が5つ見えます。これは南東から北東の間の特徴で、きれいな等間隔に頂が並ぶ形状は東から見た富士山となります。とすれば、北斎が描いた東から見た富士山の画を見れば検証できます。北斎はいくつか東から見た富士山を描いていますが、例として分かり易い「甲州三嶌越」を見てみます。この画は現在の山梨県と静岡県の県境にある籠坂峠から見た富士山を描いていますが、その山頂を見ると5つの頂が等間隔で書いてあります。全く同じ形状ではありませんが、富士山の稜線のでこぼこの起伏は下図の「甲州三嶌越」との合成で赤い枠線の範囲でシンクロしています(分かり易いように「甲州三嶌越」の画は一回り大きく富士山の稜線は白く合成してあります)。
 冒頭で記した「凱風快晴」のモチーフは「快晴の不二」ではないのか?という説がありますが、「快晴の不二」の富士山の頂は4つになっています。これは南東から南西にかけて見える富士山の頂の特徴でもあります(まれに南から見た富士山の頂を5つだという人もいる)。ちなみに南西から北東にかけて富士山の頂は4つから3つになり、再び東寄りになると一気に5つになります。

 北斎はなぜ山頂の数を5つにしたのか分かりません。富士市から見た富士山なら3つの頂を描かなければなりません。しかも一番左は剣ヶ峰の鋭くとがった頂が突き抜けているはずです。もしかすると、これが北斎の美意識に触れたのかもしれません。北斎は富士市から見た富士山を「ああ、宝永火口と山頂が無ければ美しいのになぁ」と思ったのかもしれませんし、「山頂は見慣れた江戸からの形にしよう」と思ったのかもしれません。もしかすると「凱風快晴」は北斎の仕掛けた謎なぞだったのかもしれません。一部の人の中には「もしかしたら北斎は富士山を見ないで描いたのでないか?」という見解もありました。ともあれ、200年近く解けなかったのですから北斎にとって「してやったり」なのかもしれません。

 「凱風快晴」の浮世絵は私自身が想像したことと違う結果が出ましたが、他の北斎富士でも定説通りではない結果が出ていますので驚きは少なかった印象です。葛飾北斎を一躍世界の天才に仕立てた「凱風快晴」の富士山ですが、その印象的な「赤富士」というモチーフは現在の評価であり、当時の北斎も摺師も意図していなかったかもしれません。現在の評価が独り歩きした感がありますが、それでも人々を感嘆させた構図と色遣いは葛飾北斎の名声を落とすことはないでしょう。

 定説を信じていた人には驚きかもしれませんが、本項が再検証され賛否が北斎研究を進めるきっかけになればと思っています。

 では最後に構図の考察もきちんと行います。
「凱風快晴」の構図は単純で、対角線と1/3点のシンプルな構図です。富士山は縦方向に引き伸ばされていますが、初夏手前の残雪と麓の新緑が鮮やかです。宝永火口は絶妙に隠され、残雪上部から「1」の方向へ視線を移し新緑を楽しみます。その後、大きくあいた左上空間「2」の雲の一群に思いを馳せます。

 そして、タイトルの「凱風快晴」の文字を見て、爽やかな南風を感じながら富士に思いを寄せます。タイトルに地名が無いことから北斎は富士山の雄大さを感じて欲しかったのではないのでしょうか?

【追記】
 実際に現地の画像を当てはめてみました。「凱風快晴」の左下雰囲気を見る限り、富士川河口付近〜蒲原手前付近が有力で、断定しても良いと思います。


本市場合同庁舎より


富士川河口より

「凱風快晴」の視点は富士川河口付近のスケッチを傾けた画と(100%)断定いたします。

絵・写真・動画・文:久保覚(富士五湖TV)
資料:国立図書館・国土地理院・wikipedia
使用ソフト:カシミール・GoogleEarth
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