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日本の気象観測の象徴ともいえる富士山レーダーは、気象観測の大切さを広く知ってもらうための展示施設として、ここ富士吉田市で第二の人生を送っています。 |
昭和30年代、日本は度重なる大型台風の上陸により甚大な被害に見舞われていました。富士の山頂に気象観測施設を設置すれば、レーダー探知半径が広がり、南方洋上から接近してくる台風を早期に発見できるようになる。標高3,776mの富士山頂にレーダーを設置することは、気象関係者にとって永年の悲願でした。 昭和38年(1963)6月、富士山頂への気象レーダー建設に着手したものの、工事は困難を 極めました。標高3,776mという史上例のない高地での大規模工事、そして乱気流 が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大ドームの空輸・・・。しかし、関係者の情熱と使命感は次々と起こる問題や難作業を克服し富士山レーダーを完成へと 導きました。 昭和39年(1964)9月10日、ついに念願の富士山レーダー完成。翌昭和40年(1965) 3月からは本格的な運用を開始し、「台風監視の砦(とりで)」として日本の空を休みなく見つめ続けてきました。台風をいち早く察知し、天気予報や災害防止にその威力を発揮した富士山レーダーは、気象観測技術の発達とともに台風監視の役割を気象衛星や新気象レーダーに引き継ぎ,平成11年(1999)11月、35年間の観測業務の幕を静かに閉じました。 |
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