富士山周辺と富士五湖の総合情報-Fujigoko.TV

ビューポイント 文化財

富士レークホテル
富士と湖と温泉の宿。静かなくつろぎとやすらぎを。

by Fujigoko.TV

ホーム /Web検索 / 検索結果

富士五湖.TVに広告を出してみませんか?

Fujigoko.TVデータベースより、14件見つかりました。 (1件→14件)

 検索結果にキーワードを追加

Top

冨士御室浅間神社(里宮・本殿)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

『本宮』は富士山吉田口登山道二合目(神域10ヘクタール・勝山飛地)に鎮座し、河口湖畔の勝山に『里宮』があります。本宮創建は文武三年(699年)藤原義忠公によって勧請され、富士山周辺では最古のお宮と云われています。
戦国時代には、武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書等も数多く所蔵しております。
信玄公直筆奉納の『安産祈願状』は特に有名です。この他、勝山記等の多くの貴重な社宝があります。神社には900年以上の伝統ある『流鏑馬祭り』が伝わっています。

冨士御室浅間神社祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)本宮は富士山吉田口登山道ニ合目に鎮座し(神域約10ヘクタール・勝山飛地)富士山北室とも呼ばれています。
 神社の創建は、文武三年(699年)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中最古の神社と云われています。
この神社は、戦国の武将・武田家の祈願所としても崇敬が厚かったため、武田家三代の関係古文書も数多く残されています。

本殿は、一間社入母屋造、向拝唐破風で、透かし掘りの彫刻が特長で、豪華豊麗な数少ない桃山時代の特色ある建物として、国の重要文化財に指定されています。
昭和49年に富士山二合目から里宮境内の現在地に移築されました。
里宮は、天徳二年(958年)に村上天皇当代、大原七郷氏子の札拝儀祭の利便のため、河ロ湖畔の風光佳麗な現在地に建立されたものです。

冨士御室浅間神社(2合目)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

忍野八海 濁池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

湧池とならび、川と隣接、池として景観はよい
伝説 もとは澄んだ水を湛え、飲料水となっていたが、ある日、乞食のようなみすぼらしい行者がきて、池の地主の軒先に立って、一杯の水を求めたとき、その家の老婆が無愛想に断ったので、この池は急に濁ってしまったといわれています。またこの濁り水を器に汲みとれば澄んだ水に変わるといいます。
 八海めぐり第六番の霊場として、阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)を祭り、今は池に埋もれてないが、石碑には「ひれならす竜の都のありさまをくみてしれとやにごる池水」との和歌が刻まれていたといわれています。

忍野八海
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

国の天然記念物。富士山の伏流水によって生じた8つの湧水池桂川の上流水源。
湧池、お釜池、濁池、鏡池、銚子池、底抜池、菖蒲池、出口池の8つの池からなる。全国名水百選。
 忍野八海は、富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池(湧池、出口池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池、銚子池)から構成されている。
現在の八海は、それぞれ湧水量は異なって、ほとんど沼地化したところもあって八つの池が全部昔の面影をとどめていない。
また、八海から湧出した水は、桂川の最上流の水源地として遠くは相模湖まで通じ、京浜地方の大切な給水源として大きな役割を果たしている。
なお、忍野八海の湧水は、富士山の高地に降った雪や雨が、古いものは、20年以上の時間をかけ、地下水としてロ過されてきたものであり、池の水はいつも澄んでいる。
昭和60年には、水質や水量、保全状況や景観に優れ、古くから地域住民に親しまれているということで、環境庁より全国名水百選に選定。
通常の観光コースは集中している7つの池を巡り、離れている出口池はコースから外れている。
1987年には湧池にてテレビ朝日系番組取材で潜水したダイバー2人が死亡している。
国指定天然記念物 指定年月日 昭和9年5月1日

春日神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 ビューポイント

Click→詳細情報

平安時代後期長元元年(1028年)の建立とされている。鳴沢村の集落を手前とした富士山の眺望はすばらしく、写真撮影の絶好ポイントである。
ひなびた神社ですが、本殿の彫刻装飾には、すばらしいものがあります。社殿裏にひっそり建つ小祠(苗字神)が村の信仰のあつさを物語ります。
◆特色  
祭神 天児屋根命 例祭日 4月18日。
鳴沢地区の産土神で「春日さま」と言われ親しまれています。本殿は長暦2年(1038)に造営され、その後、明和8年(1771) に再建されています。この社殿の彫刻は優れた技量によるものといわれています。また拝殿には、「天王さま」と「山の神」の社殿があわせて祀られています。簡素ながら古さを感じます。
◆文化財指定
昭和56年9月21日 村文化財指定

忍野八海 出口池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

忍野八海中、最も広い面積の池。自 然的景観の比較的残っている湧水池
伝説 この他の湧水は、富士山の雪がとけて地下にしみとおって、ほこりっぼいこの世とはかかわりなく湧き出す水なので「清浄な霊水」と呼ばれ、富士登山をする行者や道者たちはこの水でけがれをはらい、登山し、また、この水を掩えることにより無事登山することができると、苦からの言い伝えがあり、堅く信じられてきていました。 このようなことから、この池の別名を精進池ともいったということです。
 石碑には「あめつちの ひらける時にうこきなき おやまのみつの 出口たうとき」との和歌が刻まれ、八海めぐり忍草第一番の霊場として難陀竜王が祭られています。

出口池の丘の上に出口稲荷社が建っています。

忍野八海 底抜池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

泥澤深く周囲は、もみ等古木繁り、湧水片すみにあり夏でも清涼
伝説 この他は器物や野菜を洗うとき、あやまって手を離すと、渦に巻きこまれて行方不明となり、いくらさがしても見つからないといわれ、失われた物は他の底の穴をくぐってお釜池に浮かび上がってくるといわれています。
 以来、このようなことがたびたびあったため、村の人たちはこの池で物を洗うことを神様がきらっているのだということが広まり、村人は恐れていると伝えられています。
 八海めぐり第三番の霊場として裟迦羅竜王(しゃからりゅうおう)を祭り、池畔の石碑には「くむからにつみはきへなん御仏のちかひぞふかしそこぬけの池」との和歌が刻まれています。
榛の木(はんのき)資料館(有料)内に入らなければ見ることができない。

忍野八海 湧池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

底深く湧水清冽、溶岩を下底に見透す
伝説 むかし、富士山が噴火したとき、人々は焼けつくような熟のため大変苦しみ、そして、のどの渇きや、人家の火事、また野火を消すためにもと、人々が水を求めて叫ぶ声が天地の間に広がり、そして、このとき、天の−方に大変美しい声で、わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、わたし
がみんなに水を与えようといわれたそうです。
 この声の主は、「木花開耶姫命」で、その後まもなく溶岩の聞から水が湧き出し、池となったということです。人々はこの池を「湧池」と呼んで、これを飲料水や水田に用いて今日にいたっています。
また、毎年木花開耶姫命の祭りを行い、神輿をこの他の水で洗い浄めるのが恒例となっています。
 八海めぐり第五番の霊場として八大竜王の一神、徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)を祭り、石碑には「いまもなほわく池水に守神のすへの世うけてかはれるぞしる」との和歌が刻まれています。

忍野八海 銚子池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

底深く水草動揺し、側壁浸蝕、あたかも銚子に似、児童釣りをたのしむ
伝説 むかし、ある家の花嫁が厳しゅくな結婚式の最中、おならをした。その昔がすごく大きかったので、つつみかくすことができず、年若い初心な花嫁はこれを深く恥じて、結婚式の席にいたたまれ ず、すきをみて席をぬけ出し、銚子を抱いて、この池に身を投げたそうです。
 その後、花嫁のはいていたぞうりが池の水面に浮かんできました。そしてときおり、美しい女の姿が生きているように、池の底に映って見えることもあったといわれています。この悲しい伝説がもととなり、今日では縁結びの池として伝えられています。
 池畔に和博吉竜王(わしゅきちりゅうおう)を祭り、第四番の霊場で、石碑には「くめばこそ銚子の弛もさはぐらんもとより水に波のある川」との和歌が刻まれています。

忍野八海 鏡池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

底深く水静止、水量わずか
伝説 池の水は濁った水だが、さかさ富士の姿がはっきり映るので、この名がつけられた。また、この他の水は、すべての事の善悪を見分けるといわれ、集落内になにかもめ事が起きて、事のおさまりをはかろうとするときは、争っている双方が他の水を浴び、身を清めて祈願した。
 八海めぐり第七番の霊場で麻那斯竜王(まなしりゅうおう)を祭り、今はない石碑には「そこすみてのどけき池はこれぞこのしろたへの雪のしづくなるらん」との和歌が刻まれていたといわれています。

北口本宮冨士浅間神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

垂仁天皇の御代、救命をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったのがはじまり。
延暦7年創建。老杉のうっそうと茂る杜には荘厳華麗な本殿と東宮、西宮本殿(三殿とも国の重要文化財)や60年に1回建て替える朱塗りの大鳥居、巨大な杉のご神木(天然記念物)などを拝している。

景行天皇40年(110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといい、また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。

元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集めた。

忍野八海 お釜池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

周囲水田、池の口径わずか、底深く推量豊富
伝説 むかし、この池のほとりにあった家に、年老いた父親と二人の美しい娘が住んでいた。
 父親は百姓をし、娘たちは裁縫や、洗濯をしていた。ある日、妹娘が洗濯をしていたところへ、突然大暮が一匹あらわれて、その娘を強引に水中に引き込んでしまった。
 それを知った姉娘は、泣き叫んで近所の人たちの助けを求める一方、畑仕事に出ていた父親を呼んで、妹娘の救出をはかったが、いつまでたっても娘はかえらず、いくら探してもその遺体は浮かんでこなかったということです。
 それ以来、父親と姉娘は命ある限り、お釜池のほとりにある家にとどまって、不幸な妹娘のめい福を祈りつづけたということです。
 八海めぐり第二番の霊場として、政難陀竜王(ばつなんだりゅうおう)を祭り、今はない、石碑には「ふじの根のふもとの原にわきいづる水は此の世のおかまなりけり」との和歌が刻まれていたといわれています。

精進の大杉
https://www.fujigoko.tv/tdet.cgi?code=6057

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

国の天然記念物。諏訪神社の入口にそびえる別名「千年杉」。高さ45m、根回り13.6m。山梨県で一番の大きさで全国的にも有数。
昭和3年1月、国の天然記念物に指定。
諏訪神社の社有で、樹齢1200年、根元の周囲12.6m、目どおりの周囲12m。
枝張りは東西18.8m、南北19.5m。
樹高は40m。

忍野八海 菖蒲池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

Click→詳細情報

現在沼地と化し、昔日の影なく、萱、菖蒲混せい、漸く池型をとどめる
伝説 むかしこの池の近くに仲のよい若夫婦が住んでいた。ところが、不幸にも夫が肺病にかかり、妻はできるだけの力を尽くして食事や医薬の世話をしてやったが、大の病は重くなるばかりであった。妻はもう神仏に助けを求める以外にないと考え、この他の水を浴びて身をきよめ、一心不乱に祈願した。すると、ちょうど37日目に「池の菖蒲をとって夫の身に巻けば、夫を苦しめている病魔は必ず退散する」という神のお告げがあった。
 妻はお告げのとおりにしてやると、重病だった夫の病も日増しに熱が下がり、食物も食べられるようになって、起きて出歩くようになり、1カ月たたないうちに全快したといわれています。
 毎年旧正月14日には筒粥の神事をこの池で行い、年内五穀の豊凶を占ったともいわれています。
 八海めぐり第八番の霊場で、優鉢羅竜王(うはらりゅうおう)を祭り、石碑には「あやめ草名におぶ池はくもりなきさつきの鏡みるここちなり」との和歌が刻まれています。

Top

ホーム /Web検索 / 検索結果

Copyright (C) 2001 Fujigoko.TV. All Rights Reserved.