第七章


やっておくべきこと

 ここから物語の進行は和田に移る。
和田信也
 イーストは、何の事前連絡も無いまま社員を解雇した。しかし、イーストの言い分は調整解雇という名目だ。
調整解雇とは、会社の崩壊が見えた時に行われる会社救済策だ。通常、経営者に過分の落ち度が無い限り認められる策らしい(もちろん社員の総意も考慮される)。
これにも手順があって、人員調整が必要な理由があり、希望退職者を募集する。それでも駄目なら、解雇通告をする。その時、解雇者人選が妥当であり、協議が十分なされることが条件だ。
イーストの場合、給料が出ないから辞めてくれと一方的に言いながら、世間的には希望退職を促したということだ。事実、イーストの社員が、一方的だと文句を言うことなく辞めていったので解雇通告という名目に至っていない。
 ここで社員が抵抗すれば、労働時間短縮や賃金の引き下げ、一時帰休が実行される。もちろん社員の同意無しには実行できないものもある。
 社員全員を解雇し、身軽になったイーストは会社再建のため、商法上の会社整理を申請した。これによって債権者会議が開かれ、会社再建の意志を債権者に説明した。もちろん、最後までイーストにいた給与未払いの社員は、この債権者の中に入らない。債権者になるには、未払い給与が債権だと会社に認めさせなければならないのだ。そして、その方法は裁判に頼らなければならない。
高田弁護士
 社員の未払い給与は全額保証は無理だが、国が一部を補償してくれる。その申請が労働基準監督署に提出する未払い賃金立替払だ。
私達はこの申請を高田弁護士と一緒に労働基準監督署に出向いて行った。
 ところで、弁護士と一緒に労働基準監督署に出向くと、明らかに監督署職員の態度が違う。湯川の話にもあったが、我々だけで労働監基準督署に出向いた時には気の無い返答だった。
ところが、私たちが弁護士と一緒に労働監基準督署に出向くと、監督署職員は我々の持参した資料にも目を通す。ふ〜ん、こんなものなのかなぁ…。
 本来なら、最初に我々が労働基準監督署に出向き、未払い給与があると相談した時に何故?未払い賃金立替払の制度があると教えてくれなかったんだろう?
しかも、申請期間は会社退職後6ヶ月以内というではないか…。ん?退社したのが5月末、ダーッ!今は11月だぞ!
 まだある。イーストは隠岐会長の時代に社員規約を退職金無しと変更した。そのことは労働基準監督署も知っており、イーストの社員に未払退職金の申請は無理ですと言い放っていた。そのため、隠岐会長時代以降に会社を辞めたイーストの社員で、退職金を受け取った社員はいなかった。イースト崩壊後も、その方針は変わっていなかった。
ところが、我々が持参した入社時の社員規約を見ると、「未払い賃金立替払に退職金も書いてくれ」と言った。この変化は何なんだろう?
 この事実を知った私は、同じように退職金を受け取っていない大谷に連絡して、君も申請をした方が良いよと教えてあげた。イーストに関わらせた大谷には悪いことをしたと思っているからだ。こうして大谷も未払い賃金立替払(退職金)を申請した。

 本当かどうかは知らないが、不況の影響で国から出す保証金の支払いが渋くなっているとのこと。労働基準監督署はその方策の片棒を担いでいるということだ。

 一方、イーストの曽根社長は私たちの申請に対して、労働基準監督署に反論した。彼らの給与に未払い給与分は無いという言い分だ。
まぁ、過去を振り返ってみると、曽根社長はこう言うだろう…。
大谷女史 私たちに給料よこせ!と訴訟をされているから認めるわけにもいかないだろうし、なにより、曽根社長のプライドが許さないのだろう。
あの昼下り、私たちがイーストを退社する時に、訴えるんならいつでも来い!と見栄を張ったこともあるのだろう。

 「とにかく困っています…」
労働基準監督署の大竹女史が電話を何回も入れてきた。
「曽根社長に連絡しましたらね…あいつらは社員でもなんでもないし、給与も支払う必要は無いと言ったきり、次から電話をしても、俺には関係ないと話を取り合わないんです」
「そうですか…。また逃げていますか。もう、そちらもわかっていると思いますけど…大変ですね」
「そうなんですよ。あの人はいつもそうなんですか?とにかく曽根社長が否定しているし、連絡も取れないので当方としても認定が降りないのです」
「認定が降りないって…?」
「つまり、そのぉ…申請したお金が出ないということです。今裁判をしていますよね?その判決が出るまで難しいかもしれません。判決が出れば事実関係もわかりますから、認定されやすいですよ」
はぁ…。いったい曽根社長という人はどこまでも迷惑な人なんだ。

 さて、私と湯川にとってイーストの問題は趣味だと決めた。こんなことに振り回されていてもしょうがない。曽根社長には、あなたより私たちのほうが上だよと見せつけてサヨナラしたい。ただそれだけだ。
入社した会社にイーストを選択したことが人生のマイナスと思える事実が嫌だ。どうせならプラスにしたい。他人の見る目ではない。自分の目でだ。
そのモヤモヤした気持ちは曽根社長を公の場に引っ張り出し、逃げられなくし、彼に敗北を宣告することで晴れそうな気がするのだ。
大畑社長
 1997年11月から12月にかけて、私と湯川は多忙だった。やらなければいけないことが沢山あった。労働基準監督署の件など我々には小さなことだ。
そう、我々は次のステップである新会社設立に着手し始めていた。
白須さん高峰さんの協力の下、徐々に新会社の青写真が具体性を帯びてきた。だが、相変わらず我々には資金が無い。とにかく、情けない…。
 資金の無い我々は有限会社を300万円で設立することにした。出資は白須さん高峰さんに出世払いで…ということにした。出世払いかぁ…。
また経理一般を扱ってもらう人を紹介され、新会社の社長に就任してもらった。
その人は白須さんの開業医仲間で大畑さんという。大畑さんには自分の医院と私たちの会社の経理を一括して行ってくれる手はずになった。
また、顧問弁護士を高田弁護士にお願いし、イーストの訴訟と同時進行をお願いした。
 考えてみれば、短期間でイースト以外の新しい顔ぶれになっていた。人生とはこのようなものなのだろうか?ある殻の中に留まっているときには、その殻に合った人脈。殻を出れば新しい人脈。そして自分たちで築くであろう新しい殻には更に素晴らしい人脈ができるのだろうか?
とにかく、この時期、我々は新会社設立を1998年と決めて行動していた。過去に決別して1からのスタートだ。

 そんな、1997年12月のある日、裁判所に対して曽根社長の書面が届いた。
そして、この書面をもって我々は法廷闘争に突入したのであった…。


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