第三章


営業と技術者の対立

湯川祐次 イースト営業課長 もう少し「私こと湯川」に話をさせて欲しい…。

 前話でも触れたが、開発チームを含めた営業部と受託チーム(技術部)との間には深い確執があった。
何かにつけ営業部批判が出てくる。原因はズバリ、会社にお金が無くなってきたことだった。
これにより、残業代一部カット、ボーナス半減、昇級ナシという措置を会社が決定してきた。
そうすると技術部は「営業部の売上が減ったから」と批判して言うし、一方の営業部は「技術部が無駄なお金を使いすぎるし、売上目標を営業部に押しつけている」と言ってくる。

 まず営業部側の問題としては、現に売上が減ってきたことにある。
1992年度(1993年)の売上金額が約1億9千万円、1993年度(1994年)は約1億1千万円で4割減だ。
私の弁解としては、バグの多さによる未回収及び返品の多発と景気が悪くなってきたことに尽きると思う。
 Drawingの顧客は主に建築設計事務所で、1人ないしは2人で営んでいる事務所が多い。
バブルの頃は銀行もバンバン融資したおかげで、小さな設計事務所でもCADの導入はしやすかったが、いったん景気に陰りが見えるとこうもいかなくなった。
さらに、最大で2台購入してくれたとしても、また新たに別のお客様を捜さなくてはいけないとなるとかなり大変だ。
せっかく購入の意志があっても、リースが通らないというケースも目立ち始めた。こうなってはどうしようもない。

バグ Drawingがすばらしいソフトなら、ゼネコンなど大手企業へ売り込めばいいと思う人もいるかも知れないが、現実はそんなに甘くない。
なぜなら、開発元が鈴木建設だとデカデカとカタログに書かれているし、ソフトが起動するときにもやたらと社名が目立つように表示される。
そんなわけで、つまらない意地の張り合いだと思うが、鈴木建設以外のゼネコンは、せっかく担当者レベルで気に入ってもらえても、役員などの決済ではまず降りない。
ある時には、「鈴木建設という社名をマニュアルやソフトからすべて消せば買ってやる」と言われたことがあるが、これは鈴木建設との契約上できない話だった。
分相応のことをやれ!下請けの会社も同じ理由で買ってもらえないケースがほとんどだった。
 代理店にしても、やたらとバグがあるソフトを売ることに抵抗が出てきた。
いつまでたっても改良される気配はないし、パソコンの機種が新しくなるたびにまたバグが増える。
だから、「追加でもう一台ほしいとお客様が言ってきた場合だけ売るよ」と漏らしていた代理店がいた。
これではさすがの私でも嫌になる…。
 このような繰り返しで、まったく新規のお客様が減ってきたのだった。

 次に受託チーム(技術部)の問題として万年赤字体質がある。
それなのに、遅くやってきたバブルに何をトチ狂ったのか1200万円もするマシンを2台も購入し、さらに端末やネットワーク環境を構築したことで一気にその支払が回ってきた。
社員も増やして作業効率を上げるためにと考えたのだろうが、マシンが近くにあることで時間を有効に使うことを忘れ、検収に間に間に合わずに入金が遅れることも増えだした。
受託という仕事は最短で半年、長ければ1年か2年、またはそれ以上という契約を結ぶので、景気が良いとか悪いとかいう感覚は少し遅れてやってくる。
結局、彼らが気づいたときには、実は何にも仕事がないということを技術部にはわかっていなかったようだ。

 いずれにしても売上金額はあるように見えるが、実際の利益はこれ以降赤字の一途を辿ることになる。

「ねぇ、和田さんはどう見ていたの?何か意見ある?」
「はいはい、和田です」…再び和田の登場である。
「私は、この頃地方にいたので対立の詳しいことは把握していません」
ここからは和田の弁である

和田信也 イースト部長 私が技術者から良く聞かされていたことがある。
つまり、社内の技術屋や研究者が不満に思うことだ。
それは、営業の人は会社の金で接待やタクシーを使用しているのに、俺達には無いぞってやつだ。
クリエーターの待遇の良い会社なら不満も少ないだろうが、少なくともイーストでは陰で営業批判が出ていた。
おそらく、「俺達は頭を使って一生懸命徹夜までして開発しているのに、社長や営業は接待している」という言い分だ。
この発言を私が出来ると思える技術者が言えば、それなりに同情は出来るのだが、箸にも棒にもかからない技術者が言っているのには疑問が残る。
彼らには、単なる「いいなぁ営業は…会社の金で酒が飲めて…」という愚痴なのだ。
そして残念ながらイーストは「できない社員」が多くなっていた。
 できる社員(技術者)は自然に組織のあり方や資金運用にも精通するはずである。真の技術者は知識や情報に飢えている。
特にコンピュータプログラマーなんていうのはオールマイティーの知識が要求される。
プログラムが組めるだけじゃ、単なる翻訳者と同じだ。
もっと簡単に説明すると、洋画の翻訳をプログラマーの仕事としよう。翻訳は基本さえ押えれば、誰にでもできるものだ。しかし、例えば情緒を含んだ翻訳なんてのもある。翻訳者に技術ランクが存在する理由だ。戸田奈津子さんが評価される理由でもある。
したがって、単なるプログラマーにもランクがある。そして誰もがこの事実を重要視する。だが、それは如何に上手くプログラム言語に翻訳できたか?っていうレベルの話だ。
本当に大変なことは、映画の台詞を創造する作業だ。ゼロから何かを創造する能力だ。創造者と翻訳者の間には果てしない隔たりがある。
 一般の人から、「コンピュータができるんだ、凄いね」と誉められ、すぐその気になって自分は凄いんだなんて思う技術者がいる。
しかし、それは単にコンピュータの言葉を理解しただけである。結局それは誰かの創造物の追従だ。
本当はその先にある発想や設計を模索しつづけるのが技術者だ。
つまり、イーストには無から何かを生み出す能力がある技術者もいないし、テーマを論理的に分解できる能力がある技術者もいない。
それなのに自分はできる、または一生懸命やっていると勘違いしている社員ばかりだ。しかも、勘違いを修正してくれる人もいない。
 プログラムの評論家のような意見を言うプログラマーもいる。本か何かの受け売りを自分の意見だと勘違いして社内で啓蒙して歩く人だ。こういう人物はシステムの設計段階でも何故か身近にいて、やかましく意見してくる。できる設計者なら、その人の意見は既に頭の中で終わったことであり、創造との兼ね合いを模索している最中でもある。しかし、大抵の設計者はやかましい意見に負けてしまうかもしれない。なぜなら設計に忙殺される仕事が続くと、最新の情報に触れる機会も減るからだ。そして、そのブランクの間に評論家が登場する。評論家が増徴する瞬間である。

 もう一つ、彼らにはわかっていないことがある。技術屋が陥る嫉妬だ。優れた技術者でも時に陥る嫉妬なのだ。
つまり、会社というのは、稼ぐセクションがあれば、使うセクションもあるということだ。
お金を使うセクションが無ければお金も入ってこない。
使うセクションは営業であり、経営者であり、研究班だ。
稼ぐセクションは受注開発であり、出向であり、もちろん営業もだ。
問題なのは、バランスである。使うと稼ぐのバランスが重要なのだ。
 会社でなくても、バランスは必要だ。
私は技術者だから…と思い、マネジメントを人に任せきりにするのも良くないし、人を信用しないのも良くない。
唯我独尊を目指すなら、本物の技術力と洞察力を身につけなければ駄目だ。そして、もし本物なら支援は自然についてくるものだ。

 過去のイーストは営業が存在しなかった。それに受注の仕事を取ってくるのは経営者任せだった。つまり社長が受託の仕事を手配していた。
「俺達は開発者だ」なんて偉そうにいっていたが、仕事を取ってくるノウハウが無いんじゃ、どうにもならない。
そんな具合で、営業部が出来るまで使う部門は経営者(社長・木藤専務)だけだったのである(だから彼らは批判もされた…)。
営業部がイーストに出来ると、使う部門は経営者と営業部になっていった。

長井伸之 イースト「Drawing」開発部部長 長井部長は一応、技術者だが会社に金を使わせることがうまい。
すぐ、あれこれ理由を付けて何か物品を購入させていた。「あれがないと開発できない」っていう脅かしだ。つまり、研究開発が名目だ。
その影響はイースト内の技術者全員に蔓延していった事は以前書いたとおりだ。
今まで問題無く作業を出来ていたにもかかわらず、何時の間にか何か備品がないと作業できないという体質への変化だ。
私はそれを咎めはしないが、バランスを欠く事には同意できない。
つまり、イーストの使うと収入は明らかにバランスを欠いていた。
研究開発もできないのに、無駄な投資を彼らイーストの技術者に施したのだ。これは論外だ。

 百歩譲って、正常に研究開発を行ったとしても問題があった。
研究開発は見こみ決算を行う。これは研究が成功して回収に転じたときに見こまれる収益を前倒しに計上することだ。
具体的に言うと、製品が完成すると1億円の売上が見こめる製品開発を10ヶ月間続けるとする。
この場合、月々の収益には、マイナス1000万円を計上しなければならない。
全体で月に2000万円の売上があった場合、実際には1000万円しか売上は無いとするのだ。
イーストでは、この金銭に無頓着だった。
もし1億円の商品が完成しなかったら…、その時点で行き詰まってしまう。簡単にいうと、あるはずの1億円が10ヶ月後に無いのと同じだ。
だから2,000万円の売上があるから、いい気になって使うじゃなく、1,000万円しかないと思わなければいけなかったのだ。

 技術者は単純に「俺達は2,000万円売上げたから、開発設備に予算を振り分けてよ」といってしまう。
通常は経営者がしっかり判断しなければいけないのだが、これも先に書いたようにイーストでは技術者の言いなりに動いてしまう。
技術者が経営をするとロクなことが無いといわれるのは、この当たりに原因があるのかもしれない…。

さて、次回からいよいよ他人の手にイーストが落ちていく様を追ってみよう。


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