第二章


事務所拡張

 浅草橋に事務所を移転してから新しい出会いもあった。
それは、浅草橋駅近くにある居酒屋酔楽で、私と湯川が新しい土地での飲み屋さん捜索の果てに見つけた居酒屋さんだ。
イーストそのものは景気が良いけど、社員の給与は相変わらず低い。
鈴木建設の高木課長にも、「和田君、Drawingで相当の給与が出たんじゃない?」と聞かれるが、私の給与は新人の給与に役職手当が多少付いた程度。
会社に言わせると、バランスを欠いた給与体系にはしないそうだ。
私も湯川もアパート住まいで、貧乏生活だ。親元から通勤している社員は金のかかることが無いため、暮らしは私達より良い。
このような時、中小企業は厳しい。大企業なら、社宅とか厚生とか色々あるだろうが、自分で会社を選択した手前文句も言えまい。

 その頃は若さも手伝って、飲む金に事欠かなければそれで良かった。従って、給与のほとんどは飲食代に消え、貯金残高は月末になると厳しいものがあった。まぁ、バブル時期の金の循環の通りだ。
居酒屋「酔楽」夫妻 そんな最中、居酒屋酔楽を発見したのである。
このお店は安くてボリュームがある肴が出るので、会社の帰りには必ず立ち寄った。そして、いわゆる常連になった頃には店の経営者夫婦とも懇意になり、毎日の栄養バランスまで任せたような状態になった。嘘ではなく、1週間に5日は立ち寄っただろう。
つまり毎日。会社は週休2日なので、会社に行くときは必ず立ち寄った事になる。まさに私と湯川にとって、東京の親。湯川に至っては、後に自分の結婚式を関西で行うとき、旅行付きで居酒屋夫妻を招待した。
 この酔楽の経営者夫婦がまたおもしろい。年齢が30歳以上離れた夫婦なのだ。この話題でTVに出演して、おもしろい夫婦を演じた事もあった。
話によると、マスターが50歳ぐらいのとき、祭の夜店をしていたら、当時20歳のママから声をかけられたと言う事だ。いわゆる逆ナンパだ。

 行きつけになった頃いた夫妻の娘さんは当時小学生。それが今ではもう立派な大人の女性だ。それから数年後の1997年夏、居酒屋酔楽も30周年パーティーを盛大に行い、その会場に私も湯川も招待された。会場の舞台では大人になった娘さんが日舞と太鼓を演奏していた姿が印象的だった。とにかく、酒が毎日飲めて食事まで出来る酔楽は私と湯川の憩の場所だった。
 酔楽で夫婦喧嘩があったときなど、ママが「もう、店をやる気が無い」と言い、真っ暗な店内でお金を私達に手渡した。
「コンビニでビールを買ってきて、つまみはラーメン屋の出前とキュウリの糠漬け」と言われ、餃子と丸々1本のキュウリ、それにママの愚痴を肴に飲んだ事もあった。
 この店には曽根社長も木藤専務も良く来た。そんな時は店のママが私達に気遣って、高価な食材を出してくれた。
つまり、「お金は社長が出すだろうから、こんな時にいっぱい食べておけ」という親心だ。まぁ、商売だからといわれればそれまでだけど。

 さて、会社の事業が順調に移行していたこの頃、プログラムの開発部隊は2つあった。
1つは、水上部長の率いる、汎用機のプログラムと出向チーム(技術部)。
1つは、木藤専務の率いる、Drawingを主としたパソコン開発チーム(開発部)。
Drawingが完成するまで会社の主たる収入は、水上部長の技術部だったが、Drawingを境に新設した開発部が会社の収入を担うようになっていった。
すると技術部と開発部の社員の間にも、「俺達が会社の金を稼いでいる」という対抗意識が芽生えてきた。
私にいわせれば、どっちもどっちもなんだが、会社に対して、どちらが我侭(まがまま)を通せるか?ということが彼らにとって重要らしい。

 例えば、双方で社内開発を推進していきたいというテーマを扱う場合。
技術部の吉田部長は、汎用機を導入してくれるように要求。
開発部の長井部長は、各個人にパソコンを導入して欲しいと要求。
吉田部長は、俺達のほうが金を稼いでいるというプライドが強く、汎用機の社内開発を推進していきたいという理由が見えるが、長井部長の要求は、自分に開発能力がないから、ワープロでドキュメントを作成するふりをするために欲しがっているのだ。
見かけ上、どちらの要求も的を射た要求だと思うが、長井部長の要求根拠は会社を良くするための要求ではない部分が目立った。
それは後々にわかってきたことだという事をここで補足しておきたい。

 会社の対応といえば、彼らの要求を全て満たそうとするのだ。
先のことなんか考えていない。現在の社員に良い顔が出来るか?が重要なのだ。
それに社員の要求は当然、水上部長と木藤専務の要求という次元に行く。
曽根社長とすれば、どちらにも良い顔がしたいので、要求を受け入れていく羽目になる。困り果てた社長は、技術部と開発部を物理的に切り離し、双方の要求を満たすことにした。つまり事務所分けだ。
通常こんな場合は独立採算的な制度を多少とも双方に任せて、その予算の中からやりくりするように指示するのもだが、社長は他人に権限が少しでも移ることを極端に嫌う性格なので、そうはしなかった。
 本社事務所は、Drawingのショールームがあるので、汎用機主体の技術部は新事務所を別のビルに開設した。
また、それと同時に「営業マンがいると仕事に集中できない」という長井課長の要求で営業専門の事務所も別のビルに開設した。
これでイーストの借りている事務所は3箇所になった。
今まで1つの事務所で問題無く業務が出来ていたのに、社員のおごりが引き金となり、事務所3箇所の負担となったのだ。
事務所が3箇所ということは固定費も3倍かかるという事を計算できなかったのだろうか?

長井伸之 イースト開発部課長 とにかくイーストの社員(特にDrawingチーム)は自分のテリトリーを主張するだけで、自分にとって関係の無いものは早く切り離したいのだ。
それが結果的に上層部にまで影響して行きイーストを分断した。
現在、原因を突き詰めて考えると、全て長井部長の我侭(わがまま)が通った形となっている。
当時は、Drawingチームが会社に金を入れていたということは事実である。正確には営業なんだが。
Drawingチームは長井部長を筆頭に技術者の素人集団だ。
逆に技術部は仕事に対しても厳しい水上部長を筆頭に、出向経験者も踏まえて本当に仕事が出来る。
そういった技術部を排斥することによって、Drawingチームは、自分たちの仕事がどの程度できるのか?の判断基準を失った。
しかも、Drawingのメンテナンスを主な仕事にしたので、Drawing以外の開発も出来ないし、外での打ち合わせもほとんど無いので、井の中の蛙になっていった。

 私は組織上は開発部だが、Drawingチームから離れ、別の開発についていた。
切れ者の徳田は、最初Drawingチームにいたが、やはり長井部長の提案で私と同じように別の開発についた。
 つまり、こういうことだ。
長井部長は自分より仕事の出来る人間をすべて本社事務所から切り離してしまったのである。この瞬間からDrawingチームは素人集団となってしまった。
長井部長はプログラムなんてほとんど出来ないから、ドキュメント整理と称して数年もの間を通して、意味の無い文書を大量に生産する事になる。
実際のプログラムの指揮を取るのは、これまた素人の市原だ。

 その後、新人の配属される部署で大きな差が出てきた。
技術部に配属されると、仕事をきちんとこなす気力が植え付けられ、プログラマーとしても技術力が上がる。
しかし、開発部のDrawingチームに配属されると、仕事を仕上げる重要性がわからず、自らも技術力向上をはかろうとしなくなる。
中には、できる新人もDrawingチームに入るが、長井部長に疎んじられ、他の部署に行くか会社を辞めている。
この状況下に人が置かれると、数年後には腐ったみかんチームになってしまう。
そして、それは伝染するのだ。
 私にしても、「何故、できない彼らより給与が低いか?」に疑問が出てきてしまった。
つまり、私は残業なんてDrawingを新規に開発していたとき以外にしたことはない。さっさと酔楽に行ってしまう。
しかし、現在のDrawingチームは、何故か?(本当に疑問である)残業が多い。故意に残業する人もいる始末。
私や徳田や技術部の仕事量の1/10程度の作業に莫大な時間をかける。そして残業。結局、月々の給与で大きな差が出てしまうのだ。
しかも、ボーナスはイーストにある平等主義で個人差はほとんど無い。
これじゃ「やる気も出なくなる」のが正直な私の感想だ。


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