第二章


バブルに踊らされて

 イーストにも遅れてバブルがやってきた。
スナック一般的なコンピュータ業界はどうやら遅れてやってきたようだ。
理由は簡単、企業の余ったお金は社内のOA化に向けられる。今までは、年配者の「俺の頭の中にデータはある」という一言がOA化を妨げてきた。
しかし、お金が余ってくると、OAに費やす経費に余裕が出てくるのだ。
皆、頭では、OA化すると時間の短縮に繋がるだろうと思っていても、従来の業務は順調に行われてきているので、今一つピンと来ない。
その代わり、ソフト業界(特にイースト)は、バブルが去ってもなかなか気づかなかった。バブルが遅れてきた分、去るのも遅かったのだ。

 そんなバブルの頃、私は良くDrawingの顔として色々な会合(飲み会)に参加する機会が多かった。
例えば、鈴木建設の「Drawingよかったね会」にも、那須の鈴木建設社員保養所を利用して招待されたり、銀座の会員制高級クラブにも出入りした。もちろん、お金なんか払ったことは無い。
コッソリ誰かに「ここの会計ってどのくらいなんでしょう?」なんて訊ねると、「ボトル1本で新人の給料が飛ぶぐらいかな?」とか言われる。
「え!?すると今日の飲み代は新人2人分かい?」なんて地方出身の私なんか相場の違いに驚かされる。
打ち合わせのため昼食に招待されても、「寿司ってこんなに高いの?」なんて会計のとき驚いてしまう。
湯川も良く招待されているが、「どうせ、会社の金で招待されているのだから…」と、気にするなみたいなことをいう。
どうも私はどこかに小市民的な部分もあるようだ。
DJ
 新Drawingのショーを通して欠かせない女性にも出会った。
それは、Drawingの紹介を担ってくれるコンパニオンだ。
最初、彼女はコンパニオン派遣会社から紹介されたが、その声の良さから鈴木建設や木藤専務が気に入り、Drawing専属のコンパニオンにしてしまったのだ。
彼女は佐伯慶子と言う。
声も良いはずである。彼女は普段、某地方局のDJとして専属の番組を持っていた。
DJをしている事は後から知ったのだが、活発で人見知りしないが共通した見方だった。
そんな彼女は、Drawing関係の宴会には必ずと言って良いほど招かれるようになった。
それはそれで私も、中年のおじさんがたむろしている宴会よりは良いと思っていた。

 それにしても、私の手を離れたDrawingは私の知らないところで様々な人を巻き込んでいる事実に気がついてきた。
もはや、イーストの1人の開発員の問題では無くなっている。
イーストには、商品サポート部隊と営業部が関わっている。
鈴木建設には、Drawing支持者の計算機部と設計部が関わっている。
代理店には数多くの関係者が関わっている。
その他、沢山の人達がDrawingを通して通じ合っていると感じた。

 それを顕著に感じたのは、大阪で行われたショーに同行したときである。
湯川は代理店と懇意になっているので、大阪で会う人物を次々に、私に紹介するのであった。
例によって佐伯さんも同行しての大阪入りだった。
てっぽう
 ショーの前日に大阪入りした私達を出迎えたのが、ショーに使用するブースを設計製作した大阪の業者さん。
会場を案内され、会場とブースの雰囲気を掴むと大阪の夜の町へ。
まずは軽くふぐ料理。何故「てっさ」と言うのかの話から始まり、お酒を飲んで談笑。
会話の中で私が、「関西の方はハモを食べるんですよね?」というと、「次はハモを食べに行きましょう」と答えてきた。
私は後日の事かと思っていたが、その業者さんは会計を済ますとタクシーを店に呼んでくれた。
すると、「おい運ちゃん、ハモのおいしい店紹介したって」とタクシーの運転手に指示し、ハモ料理店へ。
ここでまたお酒を飲んで最後はスナックへ直行。季節感も何もあったもんじゃない。
明日はショーなんて事を忘れて深夜まで飲み明かしてビジネスホテルへ。

 翌日、ショーの途中で木藤専務が合流。
その夜は大阪の代理店の人たちに接待される。
なんか有名な、おでんやさんを皮切りに、最後は深夜の新地のスナックへ(とんでもなく高かった)。
ビジネスホテルに着いた私はヘトヘトになりマッサージを呼ぶ始末。
2日目も代理店から接待を受け深夜まで。今度は湯川とサウナに入り2人でマッサージを受ける。

 ショーの最終日、鈴木建設から木課長、イーストの曽根社長も合流。
そう、打ち上げがあるのだ。
大きなパルテノン神殿のような柱があるビルの最上階で、大阪の夜景を見ながら和食の宴会。総勢20名ほどか?
どうやらここはイーストと鈴木建設主催の宴会らしい。
途中でイーストの曽根社長が、よく力士の優勝時に出てくるような鯛を余興として何匹かテーブルに並べた。
 宴会もお開きになって帰る人たちが帰ると、コンパニオンの佐伯さんが「おいしい餃子のお店があるんだって」と会話を切り出した。
すると、鈴木建設の木課長が「食べに行こう」という事になり、餃子屋さんへ。
想像したより小さな餃子(と言うよりラビオリか?)を幾つか食べて、またまた新地のスナックへ。
最後はどこかの小料理屋で朝まで飲み明かした。
その夜(朝)も湯川と一緒にサウナに行ってマッサージを受けたのは言うまでも無い。

 翌日の夕方、嵐のような接待攻勢にあった私と湯川は新幹線で東京に向かうのだったが、私も湯川も舌に吹き出物が…。
「贅沢をしすぎて舌に吹き出物が出来たなんて」と言いながら大阪を後にした。

佐伯慶子 「Drawing」担当コンパニオン あの時、日本中がこうだったのでは無いだろうか?
「日本はアメリカを抜いた」なんて町のあちこちで聞いたし、「このまま行ったら日本には世界中の金が集まるね」なんていうのも聞いた。
大阪の話は象徴的な話だが、東京でも似たような出来事は日常的に起きていた。
私は、営業でもなんでも無いが、湯川や木藤専務とも良く飲んでいたので、自然に代理店の人たちとも飲む機会が多かった。
それに開発者の肩書きが都合良かったのだろう。
とにかく、私も湯川もバブルに踊ってしまった。
ヨイヨイサーッ!って感じだった。

 今考えるとバブルの時って、先の不安感が無い特殊な状況なんだ。まちがって金を使い切っても不安が無い。自身の資産に関係なく金が使える状況だから世間に金があふれる。しかし、金を使っているから金があるように感じているけど、実際のパイは変わっていないんだ。
実際の資産より錯覚で資産が膨らんでいるように感じる…バブルとは本当に良いネーミングだ。

 後日、コンパニオンの佐伯さんは、アルバイト扱いでイーストに入社した。もちろんDJは続けながら。
そう言えば良くリクエストをお願いして、メッセージ付きで放送してもらったっけ。
今でも当時もらった、放送をスタジオ録音したオリジナルテープ(こんなのがあるんですね)を眺めてはバブルの頃を思い出すときがある。
それにしても、何と大勢の人達がDrawingの為に動いていることか。


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