富士五湖TV 浮世絵の中の富士山
あの富士山はどこから描かれているのか?
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葛飾北斎考察が2021年4月21日のNHK歴史探偵にて放送されます
(2017年NHK歴史秘話ヒストリア放送済み)
浮世絵の中の富士山

葛飾北斎と歌川広重
両人200年間の謎を解く
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葛飾北斎の富士山 歌川広重の富士山
浮世絵の3D模型を作成しました

■浮世絵ってなんだ?
 一般的に浮世絵と言われるものは江戸時代を通して当時の風俗や人気者、そして旅情風景など、いわゆる浮世を描いた多色刷りの木版画を指します。もちろん、画家が実際に筆で描いた肉筆画と呼ばれるものも浮世絵の一部です。浮世絵にきちんとした定義はないのですが、江戸時代初期(〜1750年頃)の浮世絵は肉筆画と単色刷りが主で、それが1800年頃になると多色刷りの錦絵と呼ばれる鮮やかな作品が出始めます。また、浮世絵の制作過程も、版元・絵師・彫師・摺師などの分業化がなされ、絵の構図も遠近法が多様多用されるようになってきました。さらに時代が下って幕末から明治になると西洋化や中央集権化に伴い絵の題材も質も変化していき、現在の絵画や宣材に繋がっています。

 日本国内ではこのような変遷をたどった浮世絵ですが、海外に目を向けると事情が違ってきます。明治維新によって海外との貿易が盛んになると日本の焼き物や茶などが輸出されるようになりましたが、その梱包材に現在の新聞紙よろしく浮世絵を丸めて押し込みました。その梱包材である浮世絵を目の当たりにした当時の外国人は、その構図の大胆さ、その色使い、その表現力に触れ大変驚いたのです。特に現在でも名の知られた欧米の印象派を代表するゴッホやマネなどは自身の作品の中で模写もしています。


■浮世絵と富士山
 さて、ここで取り上げる浮世絵は1800年〜前後の浮世絵中期の作品を中心に富士山との関係を考察していきたいと思います。富士山を描いた浮世絵の多くは名所絵と呼ばれ、今でいうと風景画や旅行案内図のような役割がありました。特に旅行案内図的な名所絵は今のように旅行が一般的ではない主に江戸の人々の好奇心を高める役割もありました。

 江戸時代の富士山は富士講と呼ばれる信仰の対象でもあり、皆で講を組み代表者が実際に富士登山を行うために江戸から富士山まで歩きました。その際に参考になるものが道中案内絵であったり、名所絵の浮世絵でした。これらの絵は現在の出版社にあたる版元が企画し、絵師が絵を描き、彫師が版を作成し、摺師が紙に印刷して出版されました。そして富士山の浮世絵として、葛飾北斎の冨嶽三十六景(1823年〜1835年)と歌川広重の不二三十六景(1852年〜1858)が特に有名です。

葛飾北斎の富士山 歌川広重の富士山


絵・写真・動画・文:久保覚(富士五湖TV)
資料:国立図書館・国土地理院・wikipedia
使用ソフト:カシミール・GoogleEarth
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