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勝山記 141-142

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勝山記 141-142

勝山記

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No.9374 勝山記 141-142

投稿日:2025年11月27日23時28分

表示回数:25

投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日17:06 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/60
 御満足大慶此事候

〇天文廿五年丙辰
 此年ノ春ハ賣買一切ヤソシ、乍去世間
 ツマル事不及言説ニ、銭ケカチニテ御座候
 此年小林尾張守殿サタチカイトヲ
 田ニ御ホリ候、又小山田弥三郎殿御ヒクワン
 タンタイ御座候テ、地下衆ナケキモアリ
 喜ヒモ御座候、コトサラ尾州吉田衆ヱヒフン
 ヲ丶ク候間、廿人ヒキハカサリ、其内ニ御家人
 マサリ谷村へ下、久敷張候へ共、御サハキナク
 候トテ府中へ越被申候、屋刑様ノ御意ニテ
 悉ク廿人衆ノ道理ニ御サハキ候、去程ニ尾張
 被官ヲハヤシキカラミハラハレ申候、此年吉田

 廿人ノ寄子モハナシ弥三郎殿ノ馬マワリニ
 被成候、其上於下吉田、小林和泉殿
 ヨリ非分多ク候間、百余人談合申シ
 小山田殿ヱ下リ被申候處ニ、サカイノ弾正
 殿ヲ頼御申、一日ノ内ニ使ヲ三度マテ
 下シ、下吉田衆ヲ留メ候テ給候ヘト、色々
 詫言被成候ヘ共、更ニ理ヘンツキ、不申候間
 小林文三殿八月ヨリ、来正月マテ
 府中ニツメラレ候、去間小山田弥三郎
 殿、色々佗言晴信サマヱ御□□□□□
 申次候テ、文三殿ヲモ郡内ヱ□□□□□
 去程ニ谷村ヱ、下吉田地下衆ヲ
 ヨヒ下シ、ケツハラサセラレ、弥三郎殿
 御意ニテ、小林和泉守殿「出合不候」
 乍去、和泉寄子被官ヲ「押シ放シ候」

※注:前二行「 」内、文化十年小佐野越後守正秀覚書ニヨル
画像管理者勝山記からコメント

 御満足・大慶このことであった。

〇天文廿五年丙辰
 この年の春は売買はいっさい安かった。されど世間は
 困窮すること言葉に尽くせず、銭は高値であった。
 この年、小林尾張守殿が境界を
 田に掘られた。また小山田弥三郎殿の引き判
 短躰があり、地下衆には嘆く者も
 喜ぶ者もあった。とくに尾州吉田衆へ被分
 が多かったため、二十人が引き離され、その中で御家人は
 勝り谷村へ下り、久しく張ったが、裁きがなく
 府中へ越えた。屋形様の御意により
 ことごとく二十人衆の道理に裁かれた。そうして尾張
 被官は速やかに絡み払われた。この年、吉田

 二十人の寄子も離され、弥三郎殿の馬廻りに
 付けられた。そのうえ下吉田において、小林和泉殿より
 非分が多かったため、百余人が談合し
 小山田殿へ下ろうとしたところ、境井の弾正
 殿を頼み、一日の内に使者を三度まで
 下し、下吉田衆を留めてほしいと、さまざまに
 詫び言を述べたが、さらに理に合わず、承られなかった。
 そこで小林文三殿は八月より、来る正月まで
 府中に詰めさせられた。その後、小山田弥三郎
 殿が、さまざまに詫び言を晴信様へ□□□□□
 申し次ぎ、文三殿をも郡内へ□□□□□
 移された。そうして谷村へ、下吉田地下衆を
 呼び下し、結束を解かせ、弥三郎殿の
 御意により、小林和泉守殿は「出合いはなかった」。
 されど和泉の寄子・被官を「押し放した」。

※注:前二行「 」内は、文化十年小佐野越後守正秀覚書による。
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