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勝山記 125-126

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勝山記 125-126

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No.9366 勝山記 125-126

投稿日:2025年11月27日23時27分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日17:02 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/60
 去ル程ニクリ御造リ候

○天文廿年辛亥
 此年ノ春中、去年ノ餓死ニ人ノツマル
 事言語道断無申計リ、人ノカツヱ
 死ル事無限、ハラヒヲ貳月ヨリ〆
 五月マテホリ申候、大カイハラヒニテ
 物ヲ作リ申候、大麦廿分ニ能御座候へトモ
 春ノツマリカ打ツゝキ候間、四配入ニテ
 六升賣申候、小麦三升十文ツゝ、
 賣買申候、此年マテモ信州當国
 取合不止、八月朔日御陣立申候
 此ノ年ノ正月廿四(日)ニ松山ノ宿焼ケ候


 刑部殿ノ家ハ焼不申候、此年ノ世ノ中
 悪ク御座候テ、猶ヲ世間ツマル事無限、此ノ
 年ノ霜月信州小笠原ニテヒラセ(平瀬)ノ要
 カイヲセメヲトシ給、去程ニ當所ヨリモ
 弥三郎殿ハ御ヒ官衆番積リニ陣立
 申候、又此年地下衆、過料銭ヲ御懸候
 中々地下衆ナケキ無申計候、皆々
 所ヲアケ申候

○天文廿一年壬子
 此年ノ正月廿三日ニ、小山田出羽守殿
 御死去被成候、同ク廿五日申尅ノ送リ、
画像管理者勝山記からコメント

 そうして栗を作った。

○天文二十年辛亥
 この年の春中、去年の餓死により人が尽きる
 ことは言語道断で、言い尽くせなかった。人が飢えて
 死ぬことは限りなかった。灰を二月より始め、
 五月まで掘った。大きな灰原で
 物を作った。大麦は二十分ほどによくできたが、
 春の欠乏が続いたため、四配入りで
 六升で売った。小麦は三升十文ずつ
 売買した。この年までも信州と当国の
 争いは止まず、八月朔日に陣立てがあった。
 この年の正月二十四日に松山の宿が焼けた。

 刑部殿の家は焼けなかった。この年は世の中が
 悪く、なお世間で人が尽きることは限りなかった。この
 年の霜月、信州小笠原にて平瀬の要害を
 攻め落とされた。その後、当所よりも
 弥三郎殿が御被官衆の番積りで陣立て
 された。またこの年、地下衆に過料銭が
 課され、地下衆の嘆きは言い尽くせなかった。皆
 住まいを明けた。

○天文二十一年壬子
 この年の正月二十三日、小山田出羽守殿が
 死去された。同じく二十五日申の刻に送り出された。
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