富士五湖TV

富士山・富士五湖なんかの投稿画像

勝山記 103-104

富士レークホテル
富士と湖と温泉の宿。静かなくつろぎとやすらぎを。

by Fujigoko.TV

ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 103-104
勝山記 103-104

勝山記

最新の投稿画像集へ

No.9353 勝山記 103-104

投稿日:2025年11月27日23時24分

表示回数:45

投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:57 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/60
 去程ニ一国ノ奉行衆悉ク他国へ越被申候、
 此年浄泉ノ田地ヲ六郎左衛門殿承取被申候
 此年小林形部左衛門殿松原サキヲ屋敷
 御立候、次ニ相模ノ青根(アヲヱノ)、カウヲチラシ被食
 足シヨハヲ百人計御取候、蓮真坊寺焼申候

○天文六年丁酉
 此年正月アタゝカニ候、疫病ハヤリ申候
 殊更言語道断餓死至候テ賣買ナシ
 此年貳月十日、當国ノ屋形様ノ御息女様
 駿河ノ屋形様ノ御上ニナヲリ被食候、去程ニ
 相模ノ氏縄色々ノサマタケヲ被食候へ共成リ
 不申候テ、ツイニハ弓矢ニ成候テ駿河国ヲ

 ヲキツ(興津)マテ焼き被食候、去程ニ武田殿モ
 須走リ口へ御馬ヲ出シ被食候、此年御宿殿
 此国御越候、出陣ノ安内者ニナリ被食候、此年
 尾曽殿マンサニテ打タレ玉ウ、此年春風
 細々吹事無限、此年常在寺御堂拾月
 十日卯剋ニ立チ申候、次ニ河越殿サカミノ屋形ニ
 城ヲトラレ給、去程ニ松山ヲコシラヱ御座候、
 此年童子共モヲ致候事無限、然ハ拾月十六
 日ヨリ雪フリ候テサムキ事近年無シ、下吉田ク子キ(クネ木)
 皆々御切リ候、駿河屋形ト氏縄ノ取合未ダ不止

○天文七年ツチノエ戌
 此年ノ正月十七日ノ夜大風吹キ候テ、其ノ後
 貳月三月大風度々�$\候、去間冬ノサムサニ
画像管理者勝山記からコメント

去るほどに一国の奉行衆はことごとく他国へ移られた。
この年、浄泉の田地を六郎左衛門殿が引き受けられた。
この年、小林形部左衛門殿が松原先に屋敷を
構えられた。次に相模の青根を攻め散らされ、
足軽を百人ほど捕えられた。蓮真坊の寺が焼失した。

○天文六年丁酉
この年、正月は暖かく、疫病が流行した。
とりわけ言語道断の飢饉に至り、売買はなかった。
この年二月十日、当国の屋形様の御息女様が
駿河の屋形様の御上に嫁がれた。その後、
相模の氏綱がさまざまな妨げを行ったが成らず、
ついには弓矢となり、駿河国を

興津まで焼き払われた。その後、武田殿も
須走り口へ御馬を出された。この年、御宿殿が
当国へ来られ、出陣の案内役となられた。この年、
尾曽殿がまんさ(乱戦)にて討たれた。この年、春風が
細々と吹くこと限りなかった。この年、常在寺の御堂が
十月十日卯の刻に建立された。次に河越殿が相模の屋形に
城を奪われ、その後、松山を築かれた。
この年、童子どもも病むこと限りなかった。しかるに十月十六日
より雪が降り、寒さは近年にないほどであった。下吉田では
くね木を皆切り払った。駿河屋形と氏綱の争いは、いまだ止まず。

○天文七年ツチノエ戌
この年の正月十七日の夜、大風が吹き、その後
二月・三月にも大風がたびたび吹いた。そのため冬の寒さに
ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 103-104

本画像は富士五湖.TV以外での使用に制限があります。
画像使用についてはお問い合わせください。