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勝山記 89-90

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No.9346 勝山記 89-90

投稿日:2025年11月27日23時23分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:53 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 御堂モ、當年丁亥ノ年建立、六月三日ニ
 信州ト當国ト、トモノ殿殿見ツキ候テ御立候
 処ニ和睦ト云云、當国ト駿河ト和睦、為ニ
 其ノ一国ノ内ヲ走馬ヲ御フレ候、国中万部ノ
 法ケ経ト御フレ候、御堂三年ト申常在寺
 立メサレ候、此年菊月立正寺ノ旦方、山中
 大郎左衛門五十人ニテ御本寺へ御参詣被申候
 下向ニハ河口ニテサウシ〔精進〕至候

〇大永八季 戊子開元
 此年ハ以ノ外ニ大日テリ候、六月七月八月マテ
 テリ候、此年ノ五月十六日ニ、大雨フリ候テ十
 七日ニ大水出テ悉ク田畠ヲ、損サスナリ、
 此年ノ三月大原へ久速ヨリ、円乗坊ト
 申学頭ヲヨヒ越申候テケイコメサレ候
 人数十七人、其ノ時分ヨリ日国上人ハ、クワン

 ラク候テ七月マテ色々ニ御ヤミ候テ、七月
 六日丑尅ノ御死去、サル間 弟子中力
 落無限、野辺へ御供ノ弟子三十余人
 道師ハ御弟子ノ内二戒蔵坊、又三日ノ
 御時キ一日頓写御座候、然ハ野辺ニテハ
 クワンケン〔管絃〕メサレ候、此年ノ霜月廿四日ニ
 本能坊日近死去被申候、賣買ハ
 米ハ二升五合、粟四升、大豆四升、
 小豆ハ二升五合賣候、此年御上意
 ヨリ地下へ、三年サキハヲシツフシ、其ノ以後ヲハ
 本ナシト御フレ候、サル間地下衆ナケキモ
 アリ喜ヒモアリ大概ハナケキ被申候
 此年武田殿諏訪殿ヲ見ツキ候テ、一
 国ヲ皆々御立候、サカイニテ合戦アリ
 サル間武田殿マケメサレテ、其ノ時ヲキワラ
 備中守打死ス、九月晦日ニカンセン也
画像管理者勝山記からコメント

 御堂も当年丁亥の年に建立され、六月三日に
 信州と当国で、伴殿と対面されて立たれた
 ところで和睦となったという。当国と駿河も和睦し、そのため
 一国の内を走馬して触れを出され、国中に万部の
 法華経を唱えるよう触れが出た。御堂は三年と申して常在寺が
 立てられた。この年菊月、立正寺の旦方が山中
 太郎左衛門ら五十人で御本寺へ参詣された。
 下向の際は河口にて精進が行われた。

〇大永八季 戊子開元
 この年はことのほか大日照りで、六月・七月・八月まで
 照り続いた。この年五月十六日に大雨が降り、
 十七日に大水が出て、田畠はことごとく損なわれた。
 この年三月、大原へ久速より円乗坊という学頭を
 招き越されて稽古が行われた。
 人数は十七人であった。この頃より日国上人は

 患われ、七月までさまざまに病まれ、七月
 六日丑の刻に死去された。そのため弟子たちの
 落胆は限りなかった。野辺への御供は弟子三十余人、
 導師は弟子のうち二戒蔵坊であった。また三日の
 御時忌に一日で頓写が行われた。野辺では
 管絃が奏され、この年霜月二十四日に
 本能坊日近が死去された。売買は
 米は二升五合、粟は四升、大豆は四升、
 小豆は二升五合で売られた。この年、御上意により
 地下へ三年先は押し潰し、その後は
 本無しとの触れが出た。そのため地下衆には嘆く者も
 喜ぶ者もあり、大概は嘆いた。
 この年、武田殿は諏訪殿と対面され、
 一国を皆立たせた。境にて合戦があり、
 その際、武田殿は敗れられ、
 その時、置原備中守が討ち死にした。
 九月晦日に感染があった。
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