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勝山記 83-84

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勝山記 83-84

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No.9343 勝山記 83-84

投稿日:2025年11月27日23時22分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:51 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
〇永正十七季 庚辰
 此年モ賣買吉、粟四升、大豆四升
 米ハ二升、小豆二升五合、夏迄モ賣カイ候
 此年ノ三月符中ニテ以上意ヲ万部ノ法ケ経ヲ
 ヨマセ玉フ、又當郡ノサルハシ三月中ニ小山田殿
 引立テカケ給也、此季吉田上行寺ノ
 堂供養三月ナリ、法則老僧説道ハ
 冨士ノ所化、一位阿龍衆多ク参テ説法ヲ
 讃歎スルナリ、此年ノ五月當国ノ栗原(伊豆守信友)
 殿大将ト〆皆々屋形ヲサミシ奉テ一家
 国人引退玉フ、同六月八日ニ東郡ノ内
 ミヤケツカニテ軍アリ、上意ノ足衆切リ
 勝テ其ノ日ニ栗原殿ノ城ヲマク、

 此年閏六月ノ年也、其後八月十三日ノ
 夜降、十四日、十五日、十六日、十七日迄テフリ
 作毛悉損ルナリ、此年夏當国ノ
 大煩殿ヲ屋形ヨリ責給、終ニハマケテ
 大煩殿ノ城ハカウサン申サルヽ也、浦ノ殿モ
 屋形様ヘカウサンアル也、霜月大雪フリ候
 極月四尺フル、此年駿河勢数万人立テ
 甲州テ合戦有之駿河衆悉クキリ
 マケテ、福嶋一門皆々打死、甲州ヘ取ル
 シルシ数万騎、霜月廿三日未ノ尅ヨリ〆
 夜ヲ責メ玉フ、チリチリニニクルコト無限

○永正十八年 辛巳
 此年ノ二月十八日、武田殿大原舟津小林
 宮内丞殿ヘ御出有之明ル日中津森ヘ
画像管理者勝山記からコメント

〇永正十七季 庚辰
 この年も売買は良く、粟は四升、大豆は四升、
 米は二升、小豆は二升五合で、夏まで売買があった。
 この年三月、府中にて以上の意により万部の法華経を
 読ませられた。また当郡の猿橋では三月中に小山田殿が
 引き立てをかけられた。この季、吉田上行寺の
 堂供養は三月であった。法則の老僧が説道し、
 富士の所化、一位阿龍衆が多く参って説法を
 讃歎した。
 この年五月、当国の栗原〔伊豆守信友〕殿が大将として、
 皆々屋形をさびしく奉じて一家・国人が引退された。
 同六月八日、東郡内の三宅塚にて軍があり、
 上意の足衆が切り勝ち、その日に栗原殿の城を巻いた。

 この年は閏六月の年であった。その後、八月十三日の
 夜より降り、十四日、十五日、十六日、十七日まで降って
 作物はことごとく損なわれた。この年夏、当国の
 大煩殿を屋形より責め、ついには敗れて
 大煩殿の城は降参された。浦の殿も
 屋形様へ降参された。霜月に大雪が降り、
 極月には四尺積もった。この年、駿河勢が数万人立って
 甲州で合戦があり、駿河衆はことごとく切り
 負け、福嶋一門は皆討ち死にした。甲州へ取られた
 印は数万騎であった。霜月二十三日、未の刻より
 夜を攻められ、散り散りに逃げることが限りなかった。

○永正十八年 辛巳
 この年二月十八日、武田殿が大原・舟津・小林の
 宮内丞殿へ出向かれ、明くる日、中津森へ
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