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御師 旧外川家住宅
http://www.fy-museum.jp/

文化財 博物館 富士吉田

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富士吉田歴史民俗博物館附属施設として富士山とくらしを知る四つのゾーンに分け学芸員が訪れた個人・グループ・団体の方々のタイムスケジュールに合わせて案内してくれる。山梨県指定文化財。母家が江戸時代中期、離れが明治時代の建物で貴重な資料が多数。
2008年4月から一般公開され、ガイドの案内も付く。
富士講の盛んな時期、富士登山は御師の家に泊まり出立していった。すべての広間は97畳ある。

御師とは、神主の資格を持ち、富士信仰を広めながら、登拝者を泊める宿坊を経営する職業。

富士小室浅間神社(下浅間神社)
http://www.fgo.jp/~yabusame/

神社仏閣 文化財

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本殿の北側にある「かつらの木」は、根廻り13m、樹高28m、枝張東西15m、南北14m、樹齢600年と推定。
社伝によると人皇第五十代桓武天皇の延暦十二年、征夷大将軍坂上田村麿が東征の折り、此の地より、遙かに秀麗なる冨士の山容を拝し戦捷を祈請、数々の苦難災いを断ち四年にして大勝のうちにその功業を収めたので神護を謝し社殿を草創したという。時に大同二年(皇紀一四六七年・西暦八〇七年)の昔である。

由来当神社への崇敬は武士、庶民の間に洽く篤く、中世は武田家の祈願所として尊信あり。

古くは上吉田及び松山三村を含む富士山北口登山道沿線の産土総鎮守(土地の守り神様)です。

「後に各村で浅間明神を一祠に祭るが、今も猶上吉田には子生まれて百日の後社参するに、先ず下宮へ参詣す」と「甲斐国志」に記されています。

当神社の社号は、最も古い記録では「宮」と記され、時代が下り近隣各村で浅間神社が祀られるようになると「下宮浅間神社」「富士下宮浅間宮」と呼称されていましたが、明治期に入り現在の「小室浅間神社」と改称されるようになりました。

「小室」とは、そこに神霊が常在するの意で、浅間信仰中独自の位置づけを持つものであり、その侭山の神、田の神信仰及び氏神信仰と重層する形で、当神社への崇敬が展開されてきたところに年間の諸祭祀が位置づけられています。

又、市内の中心に位置するところから、年間の諸祭事に参詣者多く愈隆昌のうちにある由緒深き神社であります。

富士吉田市歴史民俗博物館
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/hakubutsu/html/index.htm

博物館

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富士山麓の歴史や民族資料。富士吉田市を中心とした資料多数。
膨大な資料、民具、古文書の展示。博物館周囲には付属施設として文化財指定の住宅が復元されている。
・富士山の信仰
・地域を支えた産業
・富士吉田市の歩み
・日々の暮しと祭り
博物館活動を通した社会教育の場として活用されることを目的としている

ふじやま温泉
http://www.fujiyamaonsen.jp/

温泉浴場

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飛騨高山の重要文化財建築物「日下部住宅」をモチーフに"町屋造り"を再現し、伝統工法を駆使した釘を使わない梁組みが特徴です。
木々の織り成す和の調べの中で良質な天然温泉を存分にお楽しみ下さい。温浴棟は延べ面積約1,000uあり、中でも天井高12メートル、100坪を超す”純木造浴室”は日本一の大きさを誇ります。木材はケヤキ、ヒノキ、マツを使用、メインとなる柱は樹齢200年超と言われる直径60センチのケヤキを使用しております。

泉質
マグネシウム・カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉
※炭酸カルシウムも多く含まれ、入浴後には肌にすべすべ感が残り、温まる泉質です。一般的には炭酸水素塩泉と称します。

効能
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性婦人病 など・・・

北口本宮冨士浅間神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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垂仁天皇の御代、救命をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったのがはじまり。
延暦7年創建。老杉のうっそうと茂る杜には荘厳華麗な本殿と東宮、西宮本殿(三殿とも国の重要文化財)や60年に1回建て替える朱塗りの大鳥居、巨大な杉のご神木(天然記念物)などを拝している。

景行天皇40年(110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといい、また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。

元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集めた。

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