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▼Fujigoko.TVデータベースより、2件見つかりました。
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富士北麓(富士吉田・河口湖以西)の富士山八合目下に見られる雪の鳥の形。 |
通常は農作業の始まる季節(春4月〜5月)に出現する。 標高2,600mから2,700mにかけて現れ、鳥の形をしていることからこう呼ばれ、富士吉田市や河口湖町の人たちは昔から農鳥の現れる時期によってその年の天候や吉凶を占った。 かつて1月中に現れると凶作になると言われた。現在ではこの地方の春を告げる風物詩となっている。 |
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富士吉田西裏にある立派な建築物。贅を尽くした構造物は一見の価値あり。 |
1928年(昭和3年)に建築され、当時甲斐絹の織物の町として栄えた富士吉田市で接待をする高級料亭として使用されていた。1943年に廃業し、その後1945年から現在の施主の祖父が初代院長として角田医院(1986年移転)を開業し、地元の診療を行う場となった。
外観は神社仏閣のような造りであり、雨戸などにも彫刻が施され、通りから覗ける部分だけでもその姿は異彩を放つ。延べ床面積340平方メートル、二階部分は料亭当時の雰囲気を残しており、障子や襖の寄せ木細工風の松風菱などの細工に目が奪われる。天井は漆塗りの二重格天井で古い照明が下がっている。また、立派なイチイの木の床柱があり、正面には山梨中央銀行(当時第十国立銀行)から送られた中村不折の大きな書が目を引く。部屋の反対側には忠臣蔵の一場面、撞木町で遊びほうける大石内蔵助のシーンが再現された彫刻がある。
一階部分は診療所と使われていたが、大きなケヤキの一枚板を使用した玄関は往年の風情を忍ばせる。また玄関入り口の鯉をあしらった彫刻など立体的な造形は心奪われるほど見事。ちなみにライオン宰相として有名な濱口雄幸首相がその場で書いたといわれる書もある。
とにかく、芸術文化に乏しい富士吉田の中でも異彩を放つ物件であることに間違いはない。 |
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