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割烹 七草
富士北麓名物「富士まぶし」あります。

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Fujigoko.TVデータベースより、30件見つかりました。 (1件→30件)

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冨士御室浅間神社(里宮・本殿)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

『本宮』は富士山吉田口登山道二合目(神域10ヘクタール・勝山飛地)に鎮座し、河口湖畔の勝山に『里宮』があります。本宮創建は文武三年(699年)藤原義忠公によって勧請され、富士山周辺では最古のお宮と云われています。
戦国時代には、武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書等も数多く所蔵しております。
信玄公直筆奉納の『安産祈願状』は特に有名です。この他、勝山記等の多くの貴重な社宝があります。神社には900年以上の伝統ある『流鏑馬祭り』が伝わっています。

冨士御室浅間神社祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)本宮は富士山吉田口登山道ニ合目に鎮座し(神域約10ヘクタール・勝山飛地)富士山北室とも呼ばれています。
 神社の創建は、文武三年(699年)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中最古の神社と云われています。
この神社は、戦国の武将・武田家の祈願所としても崇敬が厚かったため、武田家三代の関係古文書も数多く残されています。

本殿は、一間社入母屋造、向拝唐破風で、透かし掘りの彫刻が特長で、豪華豊麗な数少ない桃山時代の特色ある建物として、国の重要文化財に指定されています。
昭和49年に富士山二合目から里宮境内の現在地に移築されました。
里宮は、天徳二年(958年)に村上天皇当代、大原七郷氏子の札拝儀祭の利便のため、河ロ湖畔の風光佳麗な現在地に建立されたものです。

冨士御室浅間神社(2合目)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

御師 旧外川家住宅
http://www.fy-museum.jp/

文化財 博物館 富士吉田

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富士吉田歴史民俗博物館附属施設として富士山とくらしを知る四つのゾーンに分け学芸員が訪れた個人・グループ・団体の方々のタイムスケジュールに合わせて案内してくれる。山梨県指定文化財。母家が江戸時代中期、離れが明治時代の建物で貴重な資料が多数。
2008年4月から一般公開され、ガイドの案内も付く。
富士講の盛んな時期、富士登山は御師の家に泊まり出立していった。すべての広間は97畳ある。

御師とは、神主の資格を持ち、富士信仰を広めながら、登拝者を泊める宿坊を経営する職業。

忍野八海 濁池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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湧池とならび、川と隣接、池として景観はよい
伝説 もとは澄んだ水を湛え、飲料水となっていたが、ある日、乞食のようなみすぼらしい行者がきて、池の地主の軒先に立って、一杯の水を求めたとき、その家の老婆が無愛想に断ったので、この池は急に濁ってしまったといわれています。またこの濁り水を器に汲みとれば澄んだ水に変わるといいます。
 八海めぐり第六番の霊場として、阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)を祭り、今は池に埋もれてないが、石碑には「ひれならす竜の都のありさまをくみてしれとやにごる池水」との和歌が刻まれていたといわれています。

富士小室浅間神社(下浅間神社)
http://www.fgo.jp/~yabusame/

神社仏閣 文化財

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本殿の北側にある「かつらの木」は、根廻り13m、樹高28m、枝張東西15m、南北14m、樹齢600年と推定。
社伝によると人皇第五十代桓武天皇の延暦十二年、征夷大将軍坂上田村麿が東征の折り、此の地より、遙かに秀麗なる冨士の山容を拝し戦捷を祈請、数々の苦難災いを断ち四年にして大勝のうちにその功業を収めたので神護を謝し社殿を草創したという。時に大同二年(皇紀一四六七年・西暦八〇七年)の昔である。

由来当神社への崇敬は武士、庶民の間に洽く篤く、中世は武田家の祈願所として尊信あり。

古くは上吉田及び松山三村を含む富士山北口登山道沿線の産土総鎮守(土地の守り神様)です。

「後に各村で浅間明神を一祠に祭るが、今も猶上吉田には子生まれて百日の後社参するに、先ず下宮へ参詣す」と「甲斐国志」に記されています。

当神社の社号は、最も古い記録では「宮」と記され、時代が下り近隣各村で浅間神社が祀られるようになると「下宮浅間神社」「富士下宮浅間宮」と呼称されていましたが、明治期に入り現在の「小室浅間神社」と改称されるようになりました。

「小室」とは、そこに神霊が常在するの意で、浅間信仰中独自の位置づけを持つものであり、その侭山の神、田の神信仰及び氏神信仰と重層する形で、当神社への崇敬が展開されてきたところに年間の諸祭祀が位置づけられています。

又、市内の中心に位置するところから、年間の諸祭事に参詣者多く愈隆昌のうちにある由緒深き神社であります。

魔王天神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣

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本殿が無く、拝殿のみの珍しい神社で、武神である経津主命を祀っている。
「魔王」という変わった神社の名称、おびただしい奉剣のある、神秘的な雰囲気を もった神社として、例祭日には、神楽が奉納され古代信仰の研究者がしばしば訪れます。
◆特色
祭神経津主命(ふつぬしのみこと)例祭日 4月18日。
4月18日、村では、通玄寺の大般若会と魔王天神社の祭りが同じ日に行われます。「魔王さま」では、保存会のメンバーによる太々神楽が、12座にわたり舞われます。
また、子供みこしの小学生や、保育所の子どもたちが神社の長い階段を上りお参りに訪れると、神楽人の笛の音は前にも増して高くなり、仮面劇の振りも一層大きくし、祭りの雰囲気を盛り上げます。
◆文化財指定
昭和56年9月21日 村文化財指定

日本社寺明鑑によると「八代郡下部熊野神社の亥方<西北北>十間の所にあり、承和三年(836年)に修理、大夫正信が創建。享禄元年(1528年)(*2)」神慮により現社地に遷宮す」 とある。また、この社中に古太郎坊という小祠があり、後に富士の中腹、小御岳に遷して小御獄権現と称したとある。

魔王の山をご神体として拝礼するため本殿は無い。村では魔王大六天(オダイローサマ)と親しみ、台風などで農作物に風の被害が予想されるときには風の神に無事を祈った。

春日神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 ビューポイント

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平安時代後期長元元年(1028年)の建立とされている。鳴沢村の集落を手前とした富士山の眺望はすばらしく、写真撮影の絶好ポイントである。
ひなびた神社ですが、本殿の彫刻装飾には、すばらしいものがあります。社殿裏にひっそり建つ小祠(苗字神)が村の信仰のあつさを物語ります。
◆特色  
祭神 天児屋根命 例祭日 4月18日。
鳴沢地区の産土神で「春日さま」と言われ親しまれています。本殿は長暦2年(1038)に造営され、その後、明和8年(1771) に再建されています。この社殿の彫刻は優れた技量によるものといわれています。また拝殿には、「天王さま」と「山の神」の社殿があわせて祀られています。簡素ながら古さを感じます。
◆文化財指定
昭和56年9月21日 村文化財指定

TEPCO 葛野川PR館
http://www.tepco-pr.co.jp/goto/kazunogawa/index.html

体験

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富士山麓を望む美しい自然と悠々と流れる葛野川。「葛野川発電所」は自然の恵みを活かした2つのダムに挟まれ、世界最大級の有効落差714mを誇る巨大な揚水式水力発電所。TEPCO葛野川PR館では、水と電気そして歴史に触れながら広い空間でゆったりとお楽しみいただけます。
見学所要時間
<通年>
・館内見学のみ:30分
・葛野川発電所見学:3時間(バス出発時間 9:00・13:00)
<12月〜4月の水・土・日曜日開催>
・駒橋発電所見学:1時間
「駒橋発電所見学案内」は、平成22年12月末まで改造工事のため見学範囲が変わります。
詳しくは、当館へお尋ね下さい。
尚、改造工事終了後、「駒橋発電所特別イベント」を企画致します。
詳細は、決定後HPにてお知らせ致します。
・八ッ沢発電所とその水路設備:2時間30分
(案内時間については、お問い合せ下さい。)
 駒橋発電所は、運転開始から100年を越えた桂川水系を代表する発電所です。
 八ツ沢発電所水路設備は、平成17年に国の重要文化財に指定されました。
※発電所見学には、事前に電話でのご予約が必要です。

富士吉田市歴史民俗博物館
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/div/hakubutsu/html/index.htm

博物館

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富士山麓の歴史や民族資料。富士吉田市を中心とした資料多数。
膨大な資料、民具、古文書の展示。博物館周囲には付属施設として文化財指定の住宅が復元されている。
・富士山の信仰
・地域を支えた産業
・富士吉田市の歩み
・日々の暮しと祭り
博物館活動を通した社会教育の場として活用されることを目的としている

ふじやま温泉
http://www.fujiyamaonsen.jp/

温泉浴場

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飛騨高山の重要文化財建築物「日下部住宅」をモチーフに"町屋造り"を再現し、伝統工法を駆使した釘を使わない梁組みが特徴です。
木々の織り成す和の調べの中で良質な天然温泉を存分にお楽しみ下さい。温浴棟は延べ面積約1,000uあり、中でも天井高12メートル、100坪を超す”純木造浴室”は日本一の大きさを誇ります。木材はケヤキ、ヒノキ、マツを使用、メインとなる柱は樹齢200年超と言われる直径60センチのケヤキを使用しております。

泉質
マグネシウム・カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉
※炭酸カルシウムも多く含まれ、入浴後には肌にすべすべ感が残り、温まる泉質です。一般的には炭酸水素塩泉と称します。

効能
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性婦人病 など・・・

忍野八海 出口池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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忍野八海中、最も広い面積の池。自 然的景観の比較的残っている湧水池
伝説 この他の湧水は、富士山の雪がとけて地下にしみとおって、ほこりっぼいこの世とはかかわりなく湧き出す水なので「清浄な霊水」と呼ばれ、富士登山をする行者や道者たちはこの水でけがれをはらい、登山し、また、この水を掩えることにより無事登山することができると、苦からの言い伝えがあり、堅く信じられてきていました。 このようなことから、この池の別名を精進池ともいったということです。
 石碑には「あめつちの ひらける時にうこきなき おやまのみつの 出口たうとき」との和歌が刻まれ、八海めぐり忍草第一番の霊場として難陀竜王が祭られています。

出口池の丘の上に出口稲荷社が建っています。

鳴沢の溶岩樹型
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol7/index.html

文化財 体験

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特別天然記念物。溶岩が木の幹を飲み込んで固まったもので、12ヶ発見。
西暦864年、富士山中腹より噴き出した青木ヶ原溶岩流の一部は鳴沢まで流下し、直径1メートル以上の巨木が林立していた大森林の立ち木や倒木を包み、冷却化し、燃え尽きた大木の樹幹等の形をそのまま残した。これが溶岩樹型。
昭和4年、石原初太郎天然記念物調査員により12の溶岩樹型が明らかにされ、極めて貴重な天然記念物として国より指定。
平成5年、田中収教授の再調査により溶岩樹形だけでなく、樹林帯等を流れ、水分を蒸気化し、ガス圧が高まって溶岩流を突き抜け爆発した世界的に極めて珍しく貴重な溶岩スパイラクル(溶岩水蒸気噴気孔)が明らかにされた。第11号は完全な形で見ることのできる世界的にも貴重な典型的な溶岩スパイラクル(溶岩水蒸気噴気孔)。

山中諏訪神社
http://www.suwajinja.com/

神社仏閣

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天文21年(1552)に武田信玄公が戦勝を祈願するために再建。1間社流造りの本殿を持つ貴重な文化財。別名山中明神とも呼ばれ、主祭神の豊玉姫命が安産だったことにちなんで、安産と子育ての神として信仰されている。秋の「山中明神安産祭」が有名。
人皇十代崇神天皇の御代七年(西暦104)、国中に疫病が蔓延。勅命をもって土人創杞しましたが、これが山中諏訪神社(山中諏訪明神)の起源を伝えられています。第六十二代村上天皇子御代の康和三年(966)には、村人が開墾の守護神として、諏訪大明神を奉りました。時代がさらに進んだ天文二十一年(1552)には甲斐国守護武田晴信公が、相模国北条氏との合戦に際し、当神社に御加護を請い奉らんと、本殿を造営寄進しました。貞享元年(1684)には本殿を修築、以来、安産子授けの守護神として崇敬されてきました。九月の「山中明神安産祭り」は、全国的に有名です。

忍野八海 底抜池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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泥澤深く周囲は、もみ等古木繁り、湧水片すみにあり夏でも清涼
伝説 この他は器物や野菜を洗うとき、あやまって手を離すと、渦に巻きこまれて行方不明となり、いくらさがしても見つからないといわれ、失われた物は他の底の穴をくぐってお釜池に浮かび上がってくるといわれています。
 以来、このようなことがたびたびあったため、村の人たちはこの池で物を洗うことを神様がきらっているのだということが広まり、村人は恐れていると伝えられています。
 八海めぐり第三番の霊場として裟迦羅竜王(しゃからりゅうおう)を祭り、池畔の石碑には「くむからにつみはきへなん御仏のちかひぞふかしそこぬけの池」との和歌が刻まれています。
榛の木(はんのき)資料館(有料)内に入らなければ見ることができない。

忍野八海 湧池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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底深く湧水清冽、溶岩を下底に見透す
伝説 むかし、富士山が噴火したとき、人々は焼けつくような熟のため大変苦しみ、そして、のどの渇きや、人家の火事、また野火を消すためにもと、人々が水を求めて叫ぶ声が天地の間に広がり、そして、このとき、天の−方に大変美しい声で、わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、わたし
がみんなに水を与えようといわれたそうです。
 この声の主は、「木花開耶姫命」で、その後まもなく溶岩の聞から水が湧き出し、池となったということです。人々はこの池を「湧池」と呼んで、これを飲料水や水田に用いて今日にいたっています。
また、毎年木花開耶姫命の祭りを行い、神輿をこの他の水で洗い浄めるのが恒例となっています。
 八海めぐり第五番の霊場として八大竜王の一神、徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)を祭り、石碑には「いまもなほわく池水に守神のすへの世うけてかはれるぞしる」との和歌が刻まれています。

忍野八海 銚子池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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底深く水草動揺し、側壁浸蝕、あたかも銚子に似、児童釣りをたのしむ
伝説 むかし、ある家の花嫁が厳しゅくな結婚式の最中、おならをした。その昔がすごく大きかったので、つつみかくすことができず、年若い初心な花嫁はこれを深く恥じて、結婚式の席にいたたまれ ず、すきをみて席をぬけ出し、銚子を抱いて、この池に身を投げたそうです。
 その後、花嫁のはいていたぞうりが池の水面に浮かんできました。そしてときおり、美しい女の姿が生きているように、池の底に映って見えることもあったといわれています。この悲しい伝説がもととなり、今日では縁結びの池として伝えられています。
 池畔に和博吉竜王(わしゅきちりゅうおう)を祭り、第四番の霊場で、石碑には「くめばこそ銚子の弛もさはぐらんもとより水に波のある川」との和歌が刻まれています。

忍野八海 鏡池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

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底深く水静止、水量わずか
伝説 池の水は濁った水だが、さかさ富士の姿がはっきり映るので、この名がつけられた。また、この他の水は、すべての事の善悪を見分けるといわれ、集落内になにかもめ事が起きて、事のおさまりをはかろうとするときは、争っている双方が他の水を浴び、身を清めて祈願した。
 八海めぐり第七番の霊場で麻那斯竜王(まなしりゅうおう)を祭り、今はない石碑には「そこすみてのどけき池はこれぞこのしろたへの雪のしづくなるらん」との和歌が刻まれていたといわれています。

河口浅間神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 文化財

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創建は865年。稚児の舞が奉納される「孫見祭り」は4月25日。「太々御神祭」は7月28日、境内の7本杉は県の天然記念物。
富士山は歴史を遡るとたびたび噴火を起こしているが、貞観六〜七年(864〜866初頭)には富士山の大噴火がおこり、人民への多大な被害があった。この噴火では、青木ヶ原溶岩流が流出し、富士山北面青木ヶ原にあった古大湖である、せの海が埋没し本栖湖・精進湖・西湖がほぼ現在の形となった。

噴火の様子を甲斐の国司より朝廷に奏上したところ、翌貞観七年の勅命に依り浅間明神をこの地に奉斎し、富士鎮火祭を行ったのが、河口浅間神社の由来である。そして、醍醐天皇御宇、延喜の制に依り明神大社(延喜式式内社)に列せられる。

境内には樹高40mを超える7本の大杉があり、山梨県の天然記念物に指定されている。

北口本宮冨士浅間神社
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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垂仁天皇の御代、救命をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったのがはじまり。
延暦7年創建。老杉のうっそうと茂る杜には荘厳華麗な本殿と東宮、西宮本殿(三殿とも国の重要文化財)や60年に1回建て替える朱塗りの大鳥居、巨大な杉のご神木(天然記念物)などを拝している。

景行天皇40年(110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといい、また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。

元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集めた。

忍野八海 お釜池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

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周囲水田、池の口径わずか、底深く推量豊富
伝説 むかし、この池のほとりにあった家に、年老いた父親と二人の美しい娘が住んでいた。
 父親は百姓をし、娘たちは裁縫や、洗濯をしていた。ある日、妹娘が洗濯をしていたところへ、突然大暮が一匹あらわれて、その娘を強引に水中に引き込んでしまった。
 それを知った姉娘は、泣き叫んで近所の人たちの助けを求める一方、畑仕事に出ていた父親を呼んで、妹娘の救出をはかったが、いつまでたっても娘はかえらず、いくら探してもその遺体は浮かんでこなかったということです。
 それ以来、父親と姉娘は命ある限り、お釜池のほとりにある家にとどまって、不幸な妹娘のめい福を祈りつづけたということです。
 八海めぐり第二番の霊場として、政難陀竜王(ばつなんだりゅうおう)を祭り、今はない、石碑には「ふじの根のふもとの原にわきいづる水は此の世のおかまなりけり」との和歌が刻まれていたといわれています。

忍野八海
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国の天然記念物。富士山の伏流水によって生じた8つの湧水池桂川の上流水源。
湧池、お釜池、濁池、鏡池、銚子池、底抜池、菖蒲池、出口池の8つの池からなる。全国名水百選。
 忍野八海は、富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池(湧池、出口池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池、銚子池)から構成されている。
現在の八海は、それぞれ湧水量は異なって、ほとんど沼地化したところもあって八つの池が全部昔の面影をとどめていない。
また、八海から湧出した水は、桂川の最上流の水源地として遠くは相模湖まで通じ、京浜地方の大切な給水源として大きな役割を果たしている。
なお、忍野八海の湧水は、富士山の高地に降った雪や雨が、古いものは、20年以上の時間をかけ、地下水としてロ過されてきたものであり、池の水はいつも澄んでいる。
昭和60年には、水質や水量、保全状況や景観に優れ、古くから地域住民に親しまれているということで、環境庁より全国名水百選に選定。
通常の観光コースは集中している7つの池を巡り、離れている出口池はコースから外れている。
1987年には湧池にてテレビ朝日系番組取材で潜水したダイバー2人が死亡している。
国指定天然記念物 指定年月日 昭和9年5月1日

船津胎内樹型
http://www.town.kawaguchiko.yamanashi.jp/kanko/field1.html

文化財 体験 洞窟探検

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国の天然記念物。胎内とは、男性と女性の胎内のような洞窟と肋骨に似ているからである。
溶岩樹形とは、富士山の噴火の際、溶岩が流れる途中に木の幹を取り込んだ形のままで固まったできた井戸穴のような空洞。特にこの樹形は世界的に珍しいので、現在ハワイと富士山麓のみに見られる地質学上貴重な資料。昭和4年に国の天然記念物に指定。フィールド周辺には大小約100個以上の溶岩樹型が点在。

精進の大杉
https://www.fujigoko.tv/tdet.cgi?code=6057

文化財 ビューポイント

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国の天然記念物。諏訪神社の入口にそびえる別名「千年杉」。高さ45m、根回り13.6m。山梨県で一番の大きさで全国的にも有数。
昭和3年1月、国の天然記念物に指定。
諏訪神社の社有で、樹齢1200年、根元の周囲12.6m、目どおりの周囲12m。
枝張りは東西18.8m、南北19.5m。
樹高は40m。

鳴沢氷穴
http://www.zo88.com/icecave/icecave.html

文化財 体験 洞窟探検

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国の天然記念物。1130年程前、864年、富士山の長尾山の噴火で溶岩が下ってできた洞窟。
青木ヶ原樹海にあり、総延長約152mで内部に2つの大広間がある。内部には溶岩鍾乳石面や、溶岩樹形が認められる。また、内部の氷池には富士山伏流水による見事な天然氷が見られる。
内部の気温は平均3度と低く、一年中氷におおわれていることから、この名がついた。 天井からしみ出した水滴が凍ってできた氷柱は特に見もので、4月ごろに最も成長する。

忍野八海 菖蒲池
https://www.fujigoko.tv/viwp/hakkai/

文化財 ビューポイント

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現在沼地と化し、昔日の影なく、萱、菖蒲混せい、漸く池型をとどめる
伝説 むかしこの池の近くに仲のよい若夫婦が住んでいた。ところが、不幸にも夫が肺病にかかり、妻はできるだけの力を尽くして食事や医薬の世話をしてやったが、大の病は重くなるばかりであった。妻はもう神仏に助けを求める以外にないと考え、この他の水を浴びて身をきよめ、一心不乱に祈願した。すると、ちょうど37日目に「池の菖蒲をとって夫の身に巻けば、夫を苦しめている病魔は必ず退散する」という神のお告げがあった。
 妻はお告げのとおりにしてやると、重病だった夫の病も日増しに熱が下がり、食物も食べられるようになって、起きて出歩くようになり、1カ月たたないうちに全快したといわれています。
 毎年旧正月14日には筒粥の神事をこの池で行い、年内五穀の豊凶を占ったともいわれています。
 八海めぐり第八番の霊場で、優鉢羅竜王(うはらりゅうおう)を祭り、石碑には「あやめ草名におぶ池はくもりなきさつきの鏡みるここちなり」との和歌が刻まれています。

八王子神社
http://www.katuyama.info/

神社仏閣 文化財

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建立は1186年(文治2年)。本殿は「すさのうおのみこと」と八王子(5男3女神)が祀られている。
文治元年に、地方政情の巡視に京都からこの地に来ていた八検使のうち2名は、滞在中八王子権現を深く崇拝。その心を尊重し、死後に住民の小七郎が八王子権現を祀ったと伝えられている。

尾県郷土資料館
http://www.ne.jp/asahi/to/koichi/

博物館 役所

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フジTV系放送の「合い言葉は勇気」の役場の撮影場所。旧尾県学校校舎。
役所広司さん、香取慎吾さん、鈴木京香さん、他による三谷作品のロケ地として話題に。
明治10年(1877年)に建てられた藤村式建築の尾県学校。昭和16年3月に廃校となっていた校舎の復元工事が昭和48年に行われ、その後は郷土資料館として開館。昭和50年には山梨県の文化財の指定を受けました。
館内には、明治時代の教員室、教室、裁縫室が復元されているほか、明治から昭和までの教育に関する貴重な資料 約 2,000 点 が展示されています。イベントなどを支援する資料館・協力会も組織されています。

妙本寺
http://www.katuyama.info/

神社仏閣 文化財

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1261年(弘長元年)6月に村の住人助四郎が本堂を建立。
開基日法上人、2世は村の住人「妙本入道」と伝わる。日法上人(日蓮の直弟子)直筆の「板まんだら」が保存されている古刹です。

フジマリモ
https://www.fujigoko.tv/furusato/bunka/

文化財

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山中湖・河口湖・西湖に生育する山梨の天然記念物。
北海道の阿寒湖が有名ですが、山中湖で発見されたとき世界中から注目された。毬藻は高緯度の寒冷地に生育しているからだ。今では南限のマリモとして知られている。「フジマリモ」と命名。

富岳風穴
http://www.fujikyu.co.jp/cave/01.html

文化財 体験 洞窟探検

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国の天然記念物で、平均気温は3度。昭和初期までは、蚕の卵の貯蔵に使われていたという天然の冷蔵庫。
この洞穴は、青木ヶ原にあり、総延長201mで、内部には堅緻な溶岩が層状を呈し、一部には縄状溶岩や磁気をおびた溶岩もある。またほぼ全面にわたって溶岩鍾乳面、溶岩棚が現れ、氷の池の奥には夏でも大きな氷柱がある。

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