第七章


法廷闘争

 1997年12月14日。東京地方裁判所13階、建物内の長い廊下で高田弁護士と待ち合わせをした。
廊下にはパイプ椅子が幾つか並んでおり、何人かの人が椅子に座って裁判の順番を待っているようだった。
ここに来る人は皆、裁判をするために来ている。何があったのか知らないが、若いサラリーマン数名や、どこかの作業着を着た業者風の人たちまでが入り混じって法廷に入るまでの順番を待っている。私と湯川もその一員になっていた。
 裁判で争う人たちが同じ廊下で待っているのである。当然、鉢合わせになるだろう。憎しみが高揚して廊下で喧嘩でも起こるんじゃないだろうな…なんて、くだらない光景を想像しながら高田弁護士を待っていた。
池田幸一弁護士
 「曽根社長は今日来るやろか?」
湯川も周りの光景に刺激されて曽根社長との鉢合わせを想像していた。
「来るんじゃないの?なんていっても裁判所に呼ばれたんだから」
「あのハゲ、どんな態度でくるんやろ?ペタペタとペンギンみたいにやってきて、勝ち誇った顔をしているんやろか?」
「ありえるねぇ…。でも、どう考えてもこちらの言い分のほうが正しいんだから」
 そんな話をしていると曽根社長の弁護士である、池田弁護士が現れた。
「どうも、こんにちわ。あのぅ…今日、曽根社長は?」
私たちは池田弁護士と以前に面識もある。吉田専務が例の隠岐会長に乗り込もうとしていた時に1度会っている。
「ああ、曽根社長は来ませんよ」
「ははぁん。またお得意の逃げでしょ?大変ですよね。」
ギクシャクした雰囲気の中、ギクシャクした間で、ギクシャクした話題になった。しばらく世間的な話を終えると、池田弁護士は少し離れた場所の椅子に座った。

 それから数分後、高田弁護士が助手を伴って廊下に現れた。
「やぁ、元気かい?外は雨が降り始めたね。今日は相手の言い分を聞くだけだからすぐ済むよ…」
そう言いながら法廷に通じる受付に入っていき、本日の出席者の氏名を書き、提出した。
 手続から少し時間が経つと、いよいよ私たちの順番がきた。椅子の置いてある廊下から受付に入っていき、受付前の通路を経てちょっと狭い廊下のある区画に立ち入った。
その区画には廊下をはさんで幾つかの会議室のような部屋が並んでいる。どうやらこれが法廷のようだ。私たちはドアの開いている部屋にゾロゾロ入った。
 私は、TVで見る答弁台のある裁判所の様子を想像していたのに、実際に行ってみると単なる会議室だった。部屋の大きさも10畳ほどだろう。テーブルには会議用の安っぽいテーブルが使われていた。
正面のテーブルに裁判長(判決の時には書記官も同席)。左が原告である私と湯川と高田弁護士、それに助手の計4名だ。右が被告である池田弁護士、1名。曽根社長の姿が見えない。やっぱり来ない…。
 とにかく裁判が始まった。池田弁護士が用意した書面を読み始める。やたら古く難しい文字を使用してある書面だ。こういう書体を使用しなければ弁護士としての体裁を保てないのだろうか?

準備書面

原告 和田信也 外1名
被告 株式會社イーストソフト

池田幸一弁護士平成9年12月1日
右被訴訟代理人 辯護士 池田幸一

東京地方裁判所
民事訴訟11部ろ係 御中

請求の原因に對する答辯

  1. 第1項 原告和田信也が、昭和62年4月1日、原告湯川祐次が、昭和63年4月1日、いづれも被告會社に雇用されたことは認めるが、その餘は全て否認乃至爭ふ。
  2. 第2項 原告等が現在退社してゐることは認めるが、その餘は全て否認乃至爭ふ。
  3. 第3項 被告會社に原告等主張のやうな退職金規定があることは認めるが、その餘は全て否認乃至爭ふ。
  4. 第4項 爭ふ。

被告の主張

  1. 原告和田は、平成5年から、DrawingのWindows版の作成を行つてゐたが、完成しないまま、平成8年4月以降株式會社クリエイトの社員となり、引き続きDrawingのWindows版の製作を行つてゐた。以降被告會社の仕事は殆どしてゐない。
  2. 同被告は、その後、右クリエイトの取締役となり、同じ仕事を續け、被告會社の仕事は殆どしてゐない。ただし、同原告の給與は、次の事情により被告會社の名前で支拂されてゐた。
  1. 平成6年バブル崩壊後、被告會社が一時經營困難になつたとき、訴外株式會社センチュリーの社長隠岐敬一郎が一億圓乃至二億圓を出資して援助すると約束し、その見返りに被告會社の株式の殆どを所有していた被告代表者の曽根から被告會社の株式51%を無償譲渡させた
  2. 右隠岐は、平成6年5月28日、自ら被告會社の代表者に就任し、曽根には殆ど相談なく被告會社の經營を壇斷するやうになつた。隠岐は、被告會社の代表印、銀行印、通帳、小切手帳、手形帳、その他會社經營に必要なものを所持して、曽根には全く内容を見せなかつた。
  3. また、株式會社クリエイトは、元々曽根が設立した會社であり、名義変更を含めて全株式を曽根が所有してゐたが、その名義株をその名義人の所有扱ひとし、更に増資して自己が多数を所有して、実質的に自己の所有會社とした。そして、原告等をクリエイトの從業員又は役員として働かせ、賣上はクリエイトのものとし、經費や與与は被告會社名義としたのである。
  4. 曽根は何回も隠岐の右措置に抗議したが、隠岐は取合わないばかりか、文句をいへば被告會社をつぶしてやるなどと脅迫したのである
  5. 原告和田は、請求原因に對する答辯で述べたやうに、當初被告會社に雇用されたのであるが、クリエイトの従業員乃至役員として被告會社に損害を與えてきたものであり、被告會社に對する損害賠償支拂義務はあるが、被告會社の從業員ではないのであるから、原告和田には被告會社に対する賃金請求権など存在しない。
  6. また、原告和田は被告會社の從業員としてであれ、クリエイトの役員としてであれ、平成8年12月下旬から全く出社してをらず、何の仕事もしてゐない。それ以前もDrawingの仕事の成果を被告會社には全く引き渡さず、自分で會社を設立して外部に販賣しようと計畫した。從つて、被告會社に對する賃金請求はない。
  1. 原告湯川も、平成5年から、原告和田と組んで、DrawingのDos版の販賣のメンテナンスを行つてゐたが、平成8年4月、クリエイト社員となり、引き續き同じ會社のDrawingのDos版のメンテナンスを行つてゐた。以後被告會社の仕事を殆どしてゐない。但し、同被告の給與は、原告和田の場合と同様の事情で、被告會社の名前で支拂はれてゐた。原告湯川も、クリエイトの從業員として被告會社に損害を與えてきたものであり、被告會社に對する賃金請求など存在しない。被告會社の從業員であれ、クリエイトの從業員であれ、平成8年12月下旬から全く出社してをらず、何の仕事もしてゐない原告和田と共謀して別會社を設立して外部にDrawingの成果を外部に販賣することを計畫していた。從つて、被告會社に對する賃金請求はない。

對=対 當=当 畫=画

 立場が違えばそれぞれの言い分も違う。それは良くわかる。しかし、なんなんだ?この言い分は…。私たちから言わせればあまりにも一方的で、最後にはイーストの社員でもないと言い切られている。もはやここに古き良き日のイースト時代の…そう、一緒に酒なんか飲んでいた社長と社員の関係など無い。
 池田弁護士が一通り説明を終えると、裁判官が口を開いた。この件の担当裁判官は若そうだった。35歳前後だろうか?
「すみません、これは本件に関係のあることが書いてあるのですか?この隠岐という人は何ですか?」
「はい、この隠岐という人がイーストにやってきて裏で会社のことを色々していたんですよ」
池田弁護士は、隠岐会長の理不尽さを切々と裁判官に訴え始めた。
「ちょっと、ちょっと待ってください…」
裁判官が頭を抱えて再び書面に目をやった。
「これらはそちらの内部的な問題ですよね?そのような愚痴をここで答弁されても困るのですけど」
「いえ、だから…この隠岐という人物が会社を取り仕切っているんですよ」
「え?すると被告会社の代表者はこの隠岐という人なのですか?」
「いえ、それは曽根ですけど…」
「そうですよねぇ。ここに書いてありますねぇ」
裁判官は会社登記簿を見ながら頷いた。

 それまで黙って聞いていた私達は事の面白さに苦笑いをしていた。そこにすかさず高田弁護士が発言した。
「どうせ、金なんか払えないのに関係の無いことを言いやがって…。(金が)払えないんでしょ?」
「ええ、払えないですねぇ」…池田弁護士が小さな声で答えた。
高田弁護士 すると裁判官が高田弁護士に尋ねた。
「原告側はどのような処置を望みますか?」
「どうせ、あちらは払う金が無いのだから、未払給与立替払を使うつもりです。だから、向こうが未払い給与の事実を認めればねぇ…(困ったもんだ)」
「そうですか。わかりました」

 初日は本当にあっけなく終わった。裁判初体験の私としては、少し拍子抜けした。
しかし、腑に落ちないことがある。それは、原告たちが会社設立を画策しているという部分だ。どうしてこの事実を曽根社長が知っているのだろう…。
考えられることは、裏で木藤と曽根は結託しているということだ。いや、結託かどうかは知らないが、曽根は準備書面を作成する際に木藤と会っているということだ。
会社を辞めた我々が新会社を設立しようとしていることは木藤しか知らない事実だ。
まぁ、曽根に知られたところで、会社を辞めた人間が自分たちの会社を設立しようが何をしようが自由なはずだ。
唯一気に入らないことは、木藤がヘラヘラと私たちのことを曽根に話している姿の想像だ。木藤は行方不明じゃないのか?曽根も木藤も逃げていないで、直接目の前に出て来い!っていう心境だ。

 2回目の裁判に備えて反論の書面を作成しなければいけないと高田弁護士に言われた。
「面倒だけど、向こうが関係ないことまで聞いてきているから反論しなくちゃいけない。資料を用意しておいてくれ」
「いいですよ。以前お渡しした資料(時系列で書いてある資料)で十分だと思いますけど、必要があったら連絡をください」
「あいつ(池田弁護士)は、俺の後輩にあたるんだよ。相変わらずわけのわからないことを言うよなぁ…。付合わされる君たちも大変だね」
「ああ、そうなんですか…」
どうやら、弁護士の世界もソフト産業同様に世間が狭いらしい。そう言えば先ほど廊下で何やら話をしていた。気のせいか池田弁護士が頭を下げていたように感じた。裁判の最中も高田弁護士は池田弁護士に対して高圧的な態度をとっていた。
「それにね、会社は金を払いたくないからゴネるんだよ。ゴネるってことは向こうが不利だからなんだよ。やましいからイチャモンを言うんだよ。ゴネればどこかで儲けるかもしれないってネ」
「はぁ、そんなもんですか…。裁判の場でもゴネるんですか…」
私は、裁判というのは法律の問題で、ゴネるという曖昧さは無いと思っていた。だが、民事訴訟はレフリーがいて決着のつく喧嘩の延長なんだと知った。

 それから2週間後、我々は再び東京地方裁判所にやってきた。同じ部屋で同じメンバーだった。曽根社長はまた姿をあらわしていない。
今度は高田弁護士が準備書面を説明し始めた。

準備書面

原告 和田信也 外1名
被告 株式会社イーストソフト

高田弁護士平成9年12月14日
右被訴訟代理人 弁護士 高田昇
           同    松島正明

東京地方裁判所
民事訴訟11部ろ係 御中

  1. 被告の主張第1項のうち、原告和田が平成6年頃から、DrawingのWindows版ソフトの開発を行っていたことは認めるが、その他は否認する。
  2. 同第2項のうち、原告和田が名目上株式会社クリエイトの取締役となったこと、同原告の給与が被告会社の名義で支払われていたことは認めるが、その他は否認する。
     同被告が右クリエイトの取締役となったのは、被告会社の業務上の命令に従ったまでのことであり、このことは被告会社代表取締役曽根も勿論承知の上のことである。
  1. 同項1ないし4のうち、隠岐敬一郎が原告らをクリエイトの従業員又は役員として働かせたことは否認し、その他は知らない。ここに記載されていることは、被告会社役員内の内部抗争に関することであり、被告会社の従業員にすぎない原告らの全く関与するところではない。
  2. 同項5については否認する。
    なお、同被告が同社の役員として被告会社に損害を与えたというのであれば、いかなる不法行為により、いかなる被害を与えたのか具体的に主張されたい。
  3. 同項6については否認する。
  1. 同項3項のうち、原告湯川が平成6年頃から、原告和田と共に、DrawingのDos版ソフトの販売メンテナンスを行っていたこと、同原告の給与が被告会社の名義で支払われていたことは認め、その他は否認する。
    なお、同被告がクリエイトの従業員として被告会社に損害を与えていたというのであれば、いかなる不法行為により、いかなる被害を与えたのか具体的に主張されたい。

和田信也原告らの主張

  1. 被告会社の原告に対する出社要請の有無について
  1. 原告和田は、平成8年12月末まで、被告会社地方営業所の所長として同所に勤務し、通常の業務に従事したが、よく1月7日、同原告が通常どおり、右同所に出勤したところ、同原告の知らなぬまに同所の部屋の鍵が変更されて、封鎖されていたものである。
     同原告がこのことについて被告会社に事情説明を求めたところ、被告会社は、同社の役員間が内部抗争をしており、そのため、同原告に対し、今後適当な時期に在宅勤務するように指示した。
     そして、同原告は、実際には同年1月末まで通常どおり出勤して日常の業務に従事し、給与についても通常どおり、被告会社から同月27日に支給されている。
     同原告和田は、被告会社の指示により、同年2月1日から、在宅勤務を開始することとなったが、同原告は、在宅にて従前どおり、DrawingのWindows版ソフトの開発にかかる業務に従事しており、同年3月10日被告会社においてDrawingのWindows版ソフトの開発中止を決定した後は、被告会社が販売しているDrawingのDos版ソフトのメンテナンスにかかる業務に従事してきた。
  2. 原告湯川は、平成9年2月末まで通常どおりに出勤して、通常の業務に従事しており、被告会社から同原告に対し、同年1月分までは、通常どおり給与も支給されてきた。
     しかし、同年2月末から、被告会社の原告に対する2月分の給与の支払いが遅滞したため、原告らは、被告会社に対し、右について説明を求めたところ、同社は、隠岐敬一郎の指示により給与の支払いができなかったと釈明し、原告らの遅滞分の給与については近々支給するということであった。
  3. 湯川祐次原告湯川も被告会社の指示により、同年3月1日から在宅勤務を開始することとなり、業務については従前どおり、ユーザーサポート(販売先からの電話及び訪問によるコンピュータソフトの問い合わせや苦情の対応)にかかる業務に従事してきた。
  4. その後、被告会社は、前記原告らの未支給分の給与を、原告湯川については同年3月3日に支給したが、原告和田の給与については依然支給しないままであった。
     しかし、その後、被告会社は、原告らの3月分の給与についても給与日(27日)に支給しなかったため、原告らが被告会社にその説明を求めたところ、被告会社は資金繰りに窮しており、その時点では支払えないが、同年4月20日には支給することを確約した。
     ところが、約束の支給日が経過しても、実際には支給されず、その後2度ほど支給日が延期され、結局、被告会社は、同年5月7日になってようやく、原告和田については2月分給与の半額を、原告湯川については3月分給与の半額をそれぞれ支給した。
  5. 以上のような経緯から、原告らは、被告会社の支給に対して強い懸念を持つようになったため、被告会社において遅延している原告らの給与の支払計画書を作成するように求めたところ、同年5月16日に被告会社から未払分及び今後の給与の支払計画書が送信されてきた(甲第1号証)。
     そして、被告会社は、実際に右給与支払計画に従って、原告和田については2月分給与の残額を、原告湯川については3月分給与の残額を、それぞれ同年21日に支給したものである。
     しかし、原告らは、被告会社が送信してきた給与支払計画書に記載のある給与の支払い予定日が先であること、原告ら自身の生活が困難になってきたこと等から、同年6月上旬から中旬にかけて、被告会社に対し、給与支給の時期を同計画書の支給予定日より早めるよう申し入れたが、同社は、原告らが出社しない等と口実を設けて原告らの給与の支給すら拒否したため、やむなく原告らも被告会社を退職することとし、原告らと被告会社と協議した結果、原告らが退職日を同年5月31日付とする被告会社宛退職届を提出することとなったものである。
  6. 以上のとおりであり、原告らの従事していた業務は、在宅においても十分行うことができ、実際には在宅において被告会社の各業務に従事してきたものであり、その間、被告会社において原告らに対する出社要請は一切なかったものである。
  1. 原告らがDrawingのWindows版ソフトを被告会社に持ち返さないとの主張について
  1. 原告和田は、被告会社の業務命令により、DrawingのWindows版ソフトの開発にかかる業務に従事していたものであるが、同原告は平成9年3月10日、被告会社から同ソフト開発の中止を命じられたため、同ソフトを完成させることができないまま、同業務を中止したものであるが、同原告は、右ソフト開発中止決定に至るまで、被告会社に対し、右ソフト開発の途中経過を電子メールやインターネット等を通じて随時報告していたものである。
  2. したがって、原告らが開発中のDrawingのWindows版ソフトを被告会社に持ち返さないということはない。

以上

 私たちが主張したいのは一点だ。
最初にイーストは隠岐会長のせいで給与が払えないと言い訳した。次に資金が無いから給与を払えないと言い訳した。
ところが最後に、君らが会社に来ないから給与を払わないと言い始めた。これはいつもの曽根社長の結果論だ。最終形から過去の事実を捻じ曲げて解釈するのだ。
これにはガマンできない。ここまでコケにされて黙っているほど私たちは間抜けじゃない。だったら、公の場でどちらの言い分が正しいか白黒をはっきりさせるまでだ。常に自分が正しいと思い上がっている曽根社長のプライドを崩壊させ、会社の崩壊より苦痛な結末を曽根社長に用意してあげるまでだ。
とにかく、それだけだ…。


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