第七章


簡易裁判所相談センター

 労働基準監督署が役に立たないことがわかり、次は簡易裁判所へ乗り込むことにした。
 
 8月28日、やけに天井が高くだだっ広いその建物には、簡易裁判所の他にもいくつかの公共機関がある合同庁舎で、一体どこに相談センターがあるかわからない。デパートのように案内してくれるお嬢さんもいないので、しばらく和田と2人であちこち探して回った。
ようやく1階の奥の方に、簡易裁判所相談センターと書かれた案内板を見つけたので、そちらの方へ歩いていくと、ちょっと小綺麗なオフィスといった感じの部屋にたどり着いた。さらに奥に進むと、少し開けた部屋とカウンターがあるので、カウンターの相談員らしき女性に声をかけ、賃金未払いに関する相談だと告げた。するとその女性は、カウンターの前に座るよう指示をした。

 「で?どうしたいの?」と、20代後半に見える女性相談員が口を開いた。
「(給与を支払わせるのに)ど、どういう方法があるかをお聞きしたかったんですが…」と、あまりにエラそうというか、唐突な質問に多少動揺しながら答えると、その女性相談員は1枚の紙を取り出し我々に見せた。この手の問題には手馴れているようである。

<<<3つのパターンが書かれた紙>>>

◎支払命令申立 この申し立ては、「支払いなさい」という文書を裁判所がイーストに送り、送達後2週間以内にイーストが異議を申し立てなければ仮執行宣言が同じく裁判所からイーストへ送られる。さらに送達後2週間以内にイーストが異議を申立なければ差し押さえできるという仕組みだ。印紙代と切手代(6,400円)で申し立てできる。
◎調停申立 申立人(我々)と被申立人(イースト)、調停委員2名が話し合いを行い解決しようという申し立て。円満解決を目指すのが目的なので、相手が来なかったりお互いが納得できないといった調停が不成立になれば結局訴訟を起こすしかない。
印紙代と切手代(2,500円)で申し立てはできる。
◎訴訟申立 法定で審理し、和解もあり得るが双方の主張や立証をもって判決を出してもらう。つまりこれが最後の手段。印紙代と切手代(6,400円)で申し立てできる。

方法は3つあるというのだが、最後の訴訟以外はヤルだけムダのようだ。
池田幸一弁護士
 まず、支払命令申立は被申立人(イースト)が異議申し立てをしなければ差し押さえまで持ち込めるが、それがわかっていて放っておくバカはおそらくいない。いろいろ難癖をつけてとりあえず異議は申し立てるだろう。
 次の調停申立だが、話し合いで解決しないから裁判所に相談にくるのであって、裁判所に呼び出されたからといって簡単に折れる相手なら初めから賃金未払いなどしない。裁判所というところはこんな申し立てで問題が解決できると本気で考えているのかと、日本の行く末が少し心配になった。

 ところで、支払命令申立と調停申立はどちらかしか選べない。支払命令申立に異議を申し立てるようなヤツなら調停でも解決しないということかも知れない。

 一通りの説明を聞きながら、我々はどうしたらいいかを考えていた。相手が曽根社長1人なら、迷わず支払命令申立を行うところだ。とにかく権威というモノには非常に弱く、裁判所から何か送られてこようものならただオロオロするだけで素直にこちらの言い分も認めるだろう。
しかし、曽根社長には池田弁護士という相談相手がいる。以前本編にも登場したが、いくら頼りないといっても弁護士だから、当然支払命令申立の対処法ぐらいは心得ているだろう。そうなると調停申立しかないのかも知れないが、となりに池田弁護士がいればきっと大きな態度で臨んでくるにちがいない。
和田信也
 結局訴訟しかないのかぁ…とぼんやり考えていると和田が口を開いた。
「何か手はないんですか?」

 日本は法治国家だから、きっと我々の主張は通るはずだ。働いたから金をくれという当たり前の主張であり、まして他の社員には支払っていて我々に支払う分の金は残っていないなどというチンケな言い訳が通るハズがない。
労働基準法にも雇用者側は支払う義務があるとちゃんと書いてある。
 もし法律を犯すような悪徳業者が存在するなら、国家機関が何とかしてくれるはずだと、我々はまだ思い込んでいた(労働基準監督署では見事に裏切られたが…)。

 だから、いちいち被害者がお金をかけてまで面倒な手続きをする必要はないだろうという和田の質問だった。
「裁判所で説明できるのはこれぐらいよ。それ以外のことなら弁護士さんに相談するしかないわね。近くに東京弁護士会があるからそこに相談してみたら?」
女性相談員の態度は冷たい。
「なぜ未払いが発生したのかなどは聞かないんですか?」
湯川祐次 私も何とかならないかという気持ちで聞いてみた。
「うん、関係ないからねぇ」
…彼女は、どーでもいいかのような返事を返してきた。

 何だこいつの態度は!?と腹が立ってきたので、その女性が胸につけている名札を見て、次からは名前で呼んでやった。
「相田さん(女性相談員の名前)、イーストという会社は払うと言っときながら金を払わへんネン。こんな悪徳業者を裁判所が放っとくかいな。あんたどっちゃが悪いと思う?」
誰が聞いても怒っているぞぉーという口調で私は問いかけた。
「どちらが悪いかはお答えできません。違法かそうでないかもお答えできません」
法律を守るべき立場の相田さんはキッパリ答えた。つまり、そういうことは法廷で判決を下すのでそれまでは何も言えないとのことだ。
まったくお役所というところは自分の立場を守るためなら、どんな冷たい態度でも、強気な態度でもとるということを労働基準監督署に続き実感させられた。
相田、お前もか…。

 「自分の権利は自分で守る。それが個人に許された権利です」
ふぅ、大変貴重なご意見を相田さんは教えてくれた。
「それは良くわかっているんですが、で、実際に裁判で勝てるんでしょうか?」
「それは、お答えできません」
「それじゃ、裁判をして良いのかもわからないんですけど?」
関口担当者 「とにかく、このようなケースでは先に説明した通り3つの方法があります。私なら未払い給与を払わせる方法も知っています」
「だったら、その方法を教えてください」
「ですから、それはお答えできません」
まるで禅問答だ。勝てる方法があると言っているのに、方法は教えられない…。うーん、不思議な対応だ。
「じゃ、裁判費用は?」
「えっと…こちらの表になります」
どうやら、こういうことは教えてくれるようだ。つまり、相談員の役割って経緯の手続きを説明する仕事らしい。役所の仕事って、なんて公平なんだろう…。

 なるべく面倒をかけること無く、イーストに未払い金を支払わせる方法を探しに裁判所までやってきた。
しかし、結局は誰が悪いもヘッタクレもなく、自分の権利が侵されたと思ったら自ら動くしかない。やっぱり最後に行き着くのは訴訟しかないことを思い知らされた…。

 外に出た私と和田の顔には笑顔があった。
なんだかスッキリした気分で、「よーし、戦うかぁー!!」とどちらからでもなく声が出た。
そのまま夜の街へ繰り出し、覚悟を決めたことに乾杯した。

支払い命令申立--送達(異議申立期間2週間)--仮執行宣言の申立--送達(異議申立期間2週間)--確定
印紙 **円+切手6,400円位(書面だけで出来る手続。手続はいくらか面倒)
管轄 簡易裁判所(異議の申立->訴訟に移る)
注意:異議申立期間経過後、30日以内に仮執行宣言の申立をしないと支払い命令申立は失効。
調停申立--呼出し--調停委員2名が入り話し合い--調停成立 or 調停不成立
印紙 **円+切手2,500円(話し合いで、円満解決を目指す手続き)
管轄 簡易裁判所(調停が不成立->訴訟の申立が必要になる)
訴訟申立--呼出し--法廷で審理--(和解することもある)--判決
印紙 **円+切手6,400円(双方で主張・立証->裁判官が判決をする)
管轄 地方裁判所 簡易裁判所


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