第一章


社決は酒場で

 さて、入社1年もすると社内のことはたいていわかってくる。
湯川祐次 イースト営業丁度この年の新入社員3人の中に関西出身の湯川祐次がいた。
後に私と一緒に会社と戦い、また様々な智謀を施し会社奪回に動く腐れ縁となるのだが、この時は、ただの飲んべぇが来たという印象しかない。
そんな彼とは良く飲み歩いていたが、何故かいつもそこに曽根社長と木藤専務の姿があった。
 彼らは別の店で良く飲んでいるのだが、途中で寂しくなるらしく、私たちが飲んでいる店を探し当てては合流してくるのである。
はたまた、業務終了間際に、そうっと後ろに立って「まだおわらないのぉ?飲みに行こうよ」なんて誘うのだ。彼らにしてみれば酒を好きな私達の入社がうれしいらしく、それで良く誘うのだ。
私達にしても社長を交えると飲み代が只になるので歓迎なのである。
あくまで、当時は、だ。これが後に私達に飲み代を借りてまで飲みに来るとは想像も出来ない。

 さて、合流した私達は酒場でどんな会話をしているのだろう?
通常では信じられないだろうが、会社の重要決議を私達の前で惜しげも無く社長と専務が話し、さらに「どうする?」と私達にも相談してくるのだ。
それに対して強気な性格の私と湯川は、「あーしよう、こーしよう…」とおくびも見せず意見をする。
鈴木建設のプロジェクトであるDrawingの件も会社崩壊まで引き続けていたので、話題には尽きなかった。

 他の社員はといえば、出向者も多いので一緒に飲む機会も少なかったのだが、それよりも酒を飲むと社長は酒乱気味になり、木藤専務は調子者だから、私達以外の社員はこの2人と飲むことを避けていたようである。他の社員にすれば、完全に私と湯川は社長派と感じていた事だろう(その前に派閥なんて存在していないが…)。
当の私達にすれば、周りの社員はすねているとしか思っていなかった。
社長の酒乱にしても、子供をあやすように良く叱り付けたりもした。外部から一見すると、年代を超えた4人が単にワイワイ飲んでいるような雰囲気として映ったろう。私達も「しゃちょおお」とか「木藤さん」とかで呼んでいたし…。

曽根昭 イースト社長 社長は酔うと酒乱気味でわがままになり、知らない人がカラオケで歌を歌っていても、「あれは俺の曲だ!」とか言いながら歌っている人に近づき、「マイクをよこせ!」とか言う。普段は借りてきた猫のように「はい、はい」なんていっているのに、酒が入ると人が変わる時がある。
木藤専務は、またかなんて顔で無視しているが、酒の雰囲気を大事にする私達は「社長、いいかげんにしなさい」と怒り、「こっちに来ないと今度から遊んでやらないよ」とたしなめるのだ。
この叱りで一応社長はおとなしくなり、「ゴメンネ」なんて言いながら、「怒った?」と媚を売ってきて場が納まるのが常だった。本当にこんな感じなのだ。
 このような駆け引きが他の社員には出来ないのだ。一度社長と飲みに行くと、皆次回からは一緒に行きたがらない。
忘年会とかでもさすがに1次会は一緒にいるが、2次会以降は蜘蛛の子を散らすように解散する。そうするとまたいつものメンバー(社長、木藤専務、私、湯川)で夜の町に繰り出すのであった。
そして遂にその数年後、忘年会にも仕事が忙しいと理由を付けて来ない人が続出するのだった。

 しかし、私にしてみれば2人とも扱いやすい酔っ払いで、ヤダナ…なんて思ったことは無い。
おそらく湯川もそうだろう。
その前に私達は通常の酒量では酔わない体質なのだ。
こうして、いつしか会社の重要事項も酒場で話し合われ、方針が決定していったのだった。
木藤浩次 イースト専務 ただ一つ難点は、社長が翌日覚えていないことが多いことだ。
木藤専務に確認してみても、酔わないと社長に強くいえない彼は、貝のように口を閉ざし結局ムヤムヤになる事も多々あった。
まぁ、会社が順調な頃ならこれでもまだ良かったのだが…。
 今にしてみれば、なぜあの社長で会社が持っていたのか?不思議でしょうがない。
あの子供っぽさのおかげで、皆に助けようという気概があったのかもしれない(良く考えれば、こりゃ無いか…)。
はたまた皆、自分勝手に、給料分を働けば良いと思っていたので、その日暮らしの会社として存在していたのかもしれない。
いや、CADという特殊性による方針が幸いしたのだろう。
 今となってはどうでも良いことだが、社長に接する機会が多かった分、もっと叱れば良かったと今は思っている。
しかし私にも、どうせ人の話を聞かないからいいやという感じがどこかにあった事も事実だ。
将来性があった会社だけに、こんなことが悔やまれるのだ。

 このようにイースト社内で、今何が起こっていて、どう判断しているか?とかが常に把握できる立場に私達はいた。また会社に要望を出し、自分たちに有利なようにすることも出来た立場にいたことは間違い無い。
それで、克明に会社の軌跡を紹介することもできるのだ。
 しかし、社長と木藤専務はどこかで私達を子供扱いして、的確な助言に対して耳をふさぐこともあった。
それは結果として、世間に対し甘い彼らは後に深く落ちていくのだった(不思議に私達にも解る事なのに…)。
結局、私達のシミュレーション通りに事態が進んでいき、会社崩壊へとなるのだが、わかっていて、そうなるか?って思いがある。
 この辺の話は後の物語だが、本項の趣旨は物語全体を通じて酒場で会社の方針が話し合われていたという事だ。
それは事業者不在で、方針の不安定さ、会社の支柱の欠如にも繋がる。
読者の皆様には、この事情を理解して欲しく本項に記してみた。


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