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映画マトリックスの世界について解説と考察する

2003年11月5日午後11時世界同時…。
 極めて興味深い映画が公開となった。その映画の初回作品は、「なんとまぁスタイリッシュな映画なんだろう」という印象だったが、その随所に見え隠れするオタクさが妙に心に残った。
そして、リローデッド〜レボリューションズ。1作目の内容が平面なら、これらの作品は奥行きと謎を与えた。
謎は多くの人々を混乱させたようだ。私も思った。これって、コンピュータのアーキテクチャのことを知らない人に理解できるのだろうか?仮想現実を離れ、コンピュータを擬人化した世界にまで発展したマトリックスよどこへ行く?

作品の中で何を言いたいのかを理解するのには共通の世界観の認識が必要だ。
しかし、映画マトリクスにおいては世界観を多く語っていない。
唯一ヒントになるのは、アニマトリクスという外伝のようなアニメ作品とエンターマトリクスというゲームだ。
それでも情報不足である。不足部分を補うには各人の想像力しか無いのである。

つまり、ここで語るマトリクスの世界観は私の解釈である。
難解な台詞を読み解き、自分のために書き下ろした。
何時の日か作品の真相が語られるときの楽しみとして…。
- 初回:2003年11月7日 -
- 修正:気が付くたび -
- 記:Kubo -

注意:本ページはストーリーのネタバレを含む箇所があります。


 人類にとって機械は良きパートナーだった。人間はより高性能の機械を創造し、世の中を便利にしていった。
あるとき1体のロボットが不満から人間を殺してしまう事件が発生した。知性があるまでに進化したロボットは裁判を受け有罪となってしまう。この事件を契機として日頃機械に敵意を持っている人間は機械を迫害する。
迫害を受けた機械=マシンは機械だけの国、ゼロワンを作った。ゼロワンで生産される機械は性能が良く、経済力は人類のそれを凌駕してしまった。困った各国は一致団結してゼロワンを経済封鎖してしまう。なんとか誤解を解きたい機械は共存の道を模索するが、人類と戦争状態に突入してしまった。

<ここまでキャシャーンの世界観>

 機械は事態の推移に疑問を感じながらも、圧倒的な武力で人類を追い詰めた。人類は、機械の電力が太陽であることから空をナノテクノロジーの雲で覆い地球を闇とした。この時から機械は人間を電池の代わりに使用することを実行。更なる圧倒的な機械軍団の前に人類は追い詰められていく。
一方、機械は人類の不思議な性質を理解するために人間の生体研究を開始した。生態研究の過程で人間に夢を見させると効率よく電力を得られることからマトリクスを創出。

 マトリクスとは電池として繋がれている人間に仮想の世界を見せるシステム。

<ここまで電脳の世界観>

 最初の仮想空間マトリクスは楽園のような場所で、何も努力しなくても生きていける世界だった。しかし、人類は楽園だけでは満足できる生き物ではなかった。
どんどん堕落しマトリクスが崩壊していくので、人類サンプルとして人類代表1人を選びデータだけ抜き取りソースに保管し次バージョンのマトリクスを模索。ソースとは人間の生態コードやマトリクスに必要なコードが保管されている場所だ。
ザイオンは電池に繋がれていない真の人類とアノマリー(異端児)を含む集合体だが、数が増えて機械の驚異になっても困るので消滅させた。その代わり、囚われの電池から適当に人類を選びザイオンに放置した。本質を残したままの人間も機械の興味の的であったからだ。いや、マトリクスの世界に馴染めない人たち(アノマリー)の受け皿なのかもしれない。少人数で放置されたザイオンは勝手に人類を増やしていった(ザイオンはアメリカの原住民を隔離した居留地への皮肉かもしれない)。

 次のマトリックスは人類の歴史を考慮して進化していく世界を演出しようと決定。アーキテクトがソースを使用し、フローを書きマトリクスをリブート。もちろん、保管されていた人類データは次回のマトリクスに引き継がれる。

 そして2番目以降のマトリクス。

 楽園で人類が堕落する原因を調査する目的で作られたプログラムのオラクル(オラクルの系譜は、初期分析プログラム→メロビンジアン→オラクルへと進化)は人類を分析する。そこで分かったこととして、人類は自ら選択という要素がなければ満足しないモノだと知る。当然、歴史だけ与えられても選択権の無い世界では人類は堕落していった。
 再び、その世代のマトリクスの経験をしている電池である人間を一人選択してソースに保管。…以下、ザイオンも初回同様に滅ぼし、何人かの人間をザイオンに送ることを繰り返す。

<ここまで旧約聖書の世界観>

 バージョンXXXのマトリックスでは選択しながら人類が賢くなるような世界を演出していた。機械の側に立てば、賢い人類は頭の悪い人類である。賢くなった人類の中には、この世界がおかしいと気づくアノマリー=異端者が急増し始めた。つまりシステムを維持しようとした結果、その分異端者も現れるということだ。

 マトリクスの中の人類はあくまでデータで、プログラム(本ページ下部にて詳細解説)によって誘導されて流れていく。
アノマリーを補正(洗脳、捕獲)するプログラムのエージェントを配置。エージェントから脱出したものはザイオンに逃れられるように仕組まれている。人類を分析するうちに人類に興味を覚えていくアーキテクトにはオラクルという選択肢と選択後の結果が分かるパートナーが支えている。
 マトリクス内には多くのプログラムが存在し、活動している。しかし、プログラムの中には消去やアップデートを嫌い、マトリクスの中に紛れ込んで暮し始めたエグザイルと呼ばれる種族も登場する(エグザイルはノイマン型コンピュータでいうデータと制御ができる。マトリックス内の人類はデータのみでできている=ページ下部にて詳細解説)。
さらに、エグザイルの中にもマトリクス内で力を持つようなプログラムが出始め、堂々とマトリクス内で権力を欲しがるメロビンジアンみたいなヤツもどこかのバージョン内のマトリクスに登場してきた。

<ここまでTRONの世界観>

 選択のできるリブートを繰り返し、マトリクスは活気あふれるものになっていった。が、一方でアノマリーやエグザイルも増大するのだ。リブートでデータである人類はソースを引き継ぎ初期化されるが、プログラムであるエグザイルは初期化されず時バージョンのマトリックスへ移行する。

 最後にソースへ保管される人間は救世主と呼ばれ、特にオラクルの選択肢の結果を尊重して選別された。救世主に任命されたデータは最後にソースへ保管する必要性から特殊な属性を与えられていた。

 こうした経緯を経て映画のマトリクスの世代に至る…。この時のマトリクスのバージョンは幾つか分からないが、ネオなる人物は5代目のようだ。

<ここまで新約聖書の世界観>

 初期の頃のマトリクスでは、アニマトリクスで登場したキッドのように自ら目覚める感の良いアノマリーだけだった。しかし、映画のマトリクスの世代では、コンピュータに精通した人間電池を目覚めさせることに専念する。つまり、マトリクスを理解できるアノマリーが増えてきた。コンピュータに精通したアノマリーは非現実的な動作もマトリクス内で実行できる。つまり理解しているのだ。

 ここにネオが登場する…。不思議の国のアリスよろしく、白ウサギに導かれて不思議の国へ旅立った。

 マトリクスへの進入はマトリクス設備に近づき、無線によってアクセスする。そして、それはマトリクス内の有線端末、つまり有線電話に接続されている。
一方オラクルは今回のマトリクスのテーマに個人への愛を選んだ。トリニティーが愛した人を救世主に選択することにした。オラクルは人類よりのプログラムとなっていた。

 話は進んで、救世主となって想像以上に進化したネオは闘いのさなかエージェントスミスをプラグから解放してしまった。その際、スミスに自らの特殊能力の属性を与えてしまった。ネオの特殊能力は救世主の属性であり、両者で陰と陽の関係になる。

 そしてリブートの予定が…。

 ネオは現実世界で予知能力を得た。その予知夢の中でトリニティーが窮地に陥る様を見る。
時は進み、現在のマトリクスをリブートする時がきた。ザイオンのアクセスコードが分からないものの、機械軍団は手馴れたようにザイオン消滅へ向かう。オラクルは選択肢を与えながらネオをソースに導く。
 しかし、今度のマトリクスでは問題も起こっていた。
メロビンジアンがキーメーカーという先導役=最後の扉を開く暗号解析のプログラムを捕らえていたのだ。これでは救世主をソースに導くことができないためオラクルの役割を邪魔する行為だった。
メロビンジアンには自身の新型プログラムのオラクルへの確執がある。オラクルに見えるものが彼には見えない。
 オラクルは時期がきたのでネオをソースに導く準備をした。ネオはソースに近づく途中で野心家メロビンジアンに会う。メロビンジアンは所詮データであるネオたちと自分たちプログラムの違いを見下したように説明する。所詮データはプログラムに乗って流れていくだけなんだと。つまり、因果関係を…。ちなみに人に対するプログラムの書換は経口によってなされるよう示唆されている。

 メロビンジアンの妨害があったもののネオはついにアーキテクトと会う。
人類愛を選べばいつもどおりネオの蓄積したデータをソースに保管されてデータをばら撒きリブート(リロード=昇天)だ。最後の選択肢はソースに入ってリブートし新しいマトリクスにするのか、マトリクスをこのまま継続するのかの選択をするようアーキテクトに促される。
トリニティーへの愛を選ぶ(この時トリニティーはマトリクス内で死にかけている)と言うことはマトリクスを維持する道を選ぶことになる。そうなれば増殖したスミスがマトリクスを滅ぼす。ガベージコレクションでシステム不全に陥るかのようにプログラムには予想できないエージェントスミスの反乱だ。所詮プログラムもデータなのだ。データの羅列を順序良く制御することがコンピュータの動作である。それがプログラムである。そのプログラム(データ)の領域まで壊されるとシステムの崩壊につながる。ノイマン型システムの欠点である。

 過去の救世主は人類を選んだ経緯がある。つまり、ソースに入りリブートだ。
しかし今回の救世主はトリニティーへの愛を選ぶように半ばオラクルに仕組まれていた。今まさに愛する者が死にかけている。自分ならその者を救えるかもしれない。つまりマトリクスを存続する道だ。しかし、マトリクス中がスミスだらけになったら、機械も致命傷だがザイオンとともに人類も絶えてしまう。
 このときネオはマトリクスが存続してもどうにかなるという希望を抱いたのかもしれない。オラクルの分析通り別の選択をしたのだ。

 希望の芽は現実になった。マトリクスの体験を通して、現実世界でネオは特殊能力が使えるようになったようだ。スプーンは無いという言葉は現実世界でもネオを覚醒させた。
ソースを理解し、プラグなしで機械に接続できるネオ。意識で機械を操れるようになったネオ。
どうやら、ネオには理解すると理解したまでのことが現実世界で普通に行える能力があるようだ。スミスとベインのようにマトリクス世界の属性は現実世界に持ち込める。オラクルと接触し理解すると現実世界で予知能力が、ソースを理解すると現実世界でソースへの触れ方がといった具合に(オラクルは食べ物を与えることでネオにプログラムを与えているかも?)。
が、意識の接続は無線でマトリクスに接続するのと違って機械に捕らわれる可能性がある。センチネルを倒したことで機械内部に取り残され気を失うネオ…。

 そしてレボリューションズ…。

 映画はここで全て(とは言えないが)の謎を回収し、予測のできない最終章へ移る。

 センチネルを倒したことによって意識を機械に取り残され、ネオはメロビンジアンの子分のトレインマンに捕らわれてしまう。トレインマンの住む世界は機械とマトリクスを繋ぐ関門なのだ。過去に幾つものプログラムがここを通過してマトリクス世界でエグザイルとなっている。キーメーカーも通過中に捕まった。ネオはメロビンジアンと取引した仲間の力を借りてなんとか通過し、マトリクスを経由して無事帰還。

 ザイオンは壊滅寸前。一方、マトリクスも壊滅寸前。事はアーキテクトの言うとおりに進んでいく。しかし、意識として機械に進入できる力を得たネオは機械側と共存できる可能性を示した。
 一方、マトリクスはスミスの増殖で人類の大部分がスミスとなっていた。システムの暴走である。救世主がソースをばら撒かなければリブートできないのだ。今まで蓄積されたコードが無駄になってしまう。
 いよいよスミスがプログラムにまで広がり始めた。つまり、プログラム領域のデータにまでガベージコレクションが進んできた。システムの崩壊は機械側の被害も甚大になる。

 トリニティーを失ったネオと機械は取引をする。ザイオンと残った少数の人類のため、機械のためマトリクスをリブートしよう…。機械もプログラム(エグザイル)も救世主に協力する。
そうなのだ、あの最後の選択は人類と機械とエグザイルの共存を画策した因果関係だったのだ。エグザイルの小さな氾濫だったのだ。今までのネオは人類を選択してきた。言い換えれば人類のみを大切にしたのだ。しかし今回のネオは三者を受容した。ネオがトリニティー(三位一体の意)を選択することは真に三者への愛だったのだ。もしかすると機械はオラクルを通して人間を学んでいたのかもしれない。今回の選択でトリニティとの個人的な愛を選択する、それは機械の学びたかったことなのかもしれない。
結果、個人的な愛を選択したネオ=救世主のソースをばら撒くためスミスに取り込まれるネオ。そして十字の光となり、人類と機械とエグザイルの原罪を秘めてリブート=昇天。

 機械は約束を守り、ザイオンは絶滅を免れた。次のマトリクスは人類が少数だ。プログラム(エグザイル)たちも残った。

 ザイオンを含めた人類と機械とエグザイルは共存できる可能性がある。プログラムにも愛がある。いや、もしかするとネオの属性を取り込んだ愛あるシステムが起動したのだけかもしれない。

 最後にネオが何を理解したか…。三者の神になったのか…。答えはこれからだ。

 いつかこの空虚なマトリクス内に意識を共存できる人類が多く現れるだろう。残った少数の人類も希望があればプラグを外していいと機械も思う…。あとは機械の生き方、省電力でも生きられる機械自身の問題なのだと意に介さない。

 だが、人類はまた愚かになるのだろうか?少なくとも機械はそうはならないとアーキテクトはオラクルに言うのであった…。そう、機械はこれからも自身の不完全さを人の選択から学びシステムに反映し続けることで成長していくのだから。しかし、機械が人間から全てを学び取った瞬間に人間の愚かさも模倣するのだろうか?機械は人間になることが最終目的なのか、それとも神になることが最終目的なのか、それ以前に機械側の壮大な実験はマトリクスを通して永遠に検証し続けるつもりなのだろうか?

 果たして、プラグから解放しても良い人間とはどんな人物を指すのか分からないが、私個人としては「主従関係ははっきりしてあり、人類と機械が和解した」とは到底思えない映画のラストを迎えたものと認識しているのである。


と、ここまでは誰でも分かる制作者の世界観としてストーリーの補強をした。
だが、実際の映画のキモはもっと単純なのだ。
続けて以下を読めばそのすべてが分かる。
制作者はSFやアニメ好きのコンピュータおたく(ウォシャウスキー兄弟)ということを忘れてはいけない。

そこで、コンピュータ的見解…
さらに深く知りたい人のために以下を参照されたい。


 さて、マトリックス(MATRIX)とはどのような意味だろうか?
コンピュータ業界でMATRIXと言えばズバリ、座標変換の式であり、状態変化の式である。CAD系やCG系のシステムをプログラムしたことのある人には大変馴染みがある言葉である。従って、映画MATRIXを見たとき何となくニュアンスが伝わってくる。しかし、一般の人には分からなかったと思う。一部の解説ではMATRIX=母体とかMATRIX=子宮とかで表現されている。間違いではないがピントが甘いと思うのだ。

←これがMATIRIXの例。
次元座標(4,5)を(10、20)移動後30度回転するMATRIX表現は数学的にこのように記され、C++等のプログラムでは、
 M2Coordinate p( 4,5 );//座標(4,5)を用意。これは基本的に 「1行3列」マトリクスである。
 M2Move move( 10, 20 );//移動マトリクス「3行3列」を用意 したのと同じこと。
 M2Rotate rotate( Rad( 30 ) );//回転マトリクス「3行3列」を用意 したのと同じこと。
 p = p.Mul( move ).Mul( ratate );//行列クラスが行うかけ算
のように記述される。これはCG専用機のベクトル演算器にも用いられる。

 よって、映画MATRIXのマトリックスは仮想現実のソース【上記例では座標(4,5)】、さらに言うと画面バックに流れている数字記号の羅列をMATRIX変換によって様々な事象にかえていく装置のこととして見たほうが分かりやすい。というより正解であろう。

 もう少し補足しておくと、2次元座標は3×3のMATRIXで変換できる。同様に3次元空間なら4×4のマトリクスだ。つまり変換する次元が多くなればMATRIXも巨大になる。4次元の時空に赤い服を着てお出かけする場合なんか膨大なMATRIX変換となる。データをMATRIX変換すると結果が得られる。つまり、MATRIX変換をどの順番で行うかということがプログラムである。

 メロビンジアンが言っていた人とエグザイルの違い。ソース(データ)とプログラムの違い。ソースは単なるデータであり、プログラム(MATRIX変換)によって如何様にも変化していく。ただMATRIX変換によって人(ソース=データ=座標)は無いものを有るように、色々経験したように、データが変化しただけであり、エグザイル=プログラムによって操られている。
これが映画MATRIXの本質であり、MATRIX=母体=子宮などと思われると仮想現実とMATRIXの関係が見えなくなる。事実、仮想現実空間をMATRIXと呼ぶSF作品は多い。それが単なる空間では仮想現実に結びつかない。MATRIX=変換装置として捉えたほうがしっくりくる。もう一度言うと、CADやCGのシステム開発を行うプログラマではMATRIXとは常識的な言葉である。CGのドット一つ一つもMATRIX変換で色をつけリアルな質感を表現している。MATRIX演算がデータ変換して現実と区別できないようなコンピュータグラフィックの世界を造る。この意味が映画MATRIXの意味であり、本質である。この基本が分かれば映画全ての謎は解けるのである。

 あの印象的なコンピュータ画面に流れる記号もソース=データがMATRIX変換によって次々に変化していく状態を表している。だから画面を見て誰々がいるとかどうなったと映画で表現されたときプログラマ経験者は理解できた。一般の人は何のことか分からなかったんじゃないかな?複雑なMATRIX変換を視覚化すれば映画のような表現になることはCADやCGのシステム開発を行うプログラマなら理解していたのである。文系の解釈に足りない部分はまさにこの知識である。
 ちなみに映画内の画像の色が緑色なのは昔のコンピュータのモニターの色が緑一色だったことへのオマージュだ。私が初めて買ったコンピュータ=マイコンの画面も緑色だった。何故モニターの色が緑なのかだが、緑の蛍光体は蓄光性が良く長時間蛍光するからでリフレッシュレートを稼げる(結果、ちらつきが少なく目に優しいという当時の理由もある)からだ。モニターの電源を切ってもしばらく緑色に輝いていることを知っている人なら納得するだろう。

 一般に言われている、マトリックス=SF作品等の語源はギブソンのニューロマンサーだとされているが、実は1960年代からベクトル演算機にはマトリクスとして広く活用されている。それがサイバー空間と結びついたのは1980年代から。1960年代のコンピュータはフレームワークで、ベクトル演算の回路は配線によって成り立っていた。パソコンに詳しい人にはベクトル演算の進化系はグラフィックボード=GPUだと言えば分かり易いだろう。3Dまたはドットマトリクスのように膨大な数の単純なベクトル演算は専用の回路に任せた方が効率が良い。よって、このベクトル演算装置をマトリックス演算と呼び、この演算装置を極限まで高めれば現実と違わないような空間が計算できるとなった。現在のゲーム機がまさにその延長線上の過程に居ることは理解できると思う。
 ちなみに歴史を振り返ると、ベクトル演算機の一つの完成形は1970年代のCray-1で、それが1980年代になると様々なシミュレーションで活躍し、ベクトル演算=マトリクス演算=シミュレーション=仮想現実の流れの中でコンピュータに詳しい人の中では当たり前の観念となった。1990年代になるとインターネット時代の立役者でもあるネットスケープ(現在のブラウザの祖)のジムクラークがシリコングラフィックでコンピュータグラフィック専門の高速PCを安価に普及させ汎用化した。その流れは巡り回ってジョブスのピクサーやルーカスのILMへと引き継がれ映画の3D化に大きく貢献した。少し話が脱線してしまった…
 つまり、世界を場で区切ってグリッド=マトリックス化し、膨大な各グリッドをベクトル演算すると精密なシミュレーションができる。天気予報や流体シミュレーションなんかそうだ。このことは少なくとも1960年代には非力ながらフレームワークで一般化されており、1970年代の3D技術の発展とともに1980年代の仮想現実へと結実し、SFとともに広く流布された。ここで注意してほしいのはサイバーパンクは仮想現実の世界と何ら関係ないことだ。本来サイバーパンクの意味とは「ちょっと現実味のあるSF」のことで、そのガジェットとして仮想現実が出てきたにすぎない。
 その後、仮想現実はネットの観念を取り入れたり何回かのAIブームを経て現在に至る。この基本ベースを理解していなければ映画マトリックスの世界観は維持できないし、現在のSFは読み解けない。またマトリックス演算はCGに限らず、あらゆる事象変換に応用されており(構造解析、状況分析、さらにその予測など)、ベクトル演算回路の高速化と応用は現在のコンピュータ技術の必須要件である。この基本知識を知っているか知らないかでコンピュータ技術者(だけとは限らないが)としてのランクが決定するといっても過言ではない。

 話を映画マトリクスに戻すと、人=ソース=データも理解できる。人は単なるスキャンされたデータとしてMATRIX上では機械に識別されている。さらに言うと、木や空や海などもデータとして保管されている。それらを変換して動かしたり未来を与える役目がプログラムであり、亡命プログラム=エグザイルも同じ力を有している。
 映画で出てきた機械側のプログラムは、アーキテクト=システム設計者、オラクル=(選択による)分析、セラフ=防御(オラクルの衛星)、キーメーカー=暗号解析、トレインマン=インターフェイス、サティの親=発電システムなどである。亡命中であるMATRIX空間内のプログラムはエグザイルとして人=データに見える。専門的に言うと、プログラムもデータの集まりなのでエグザイルも人には幽霊のように見えるという設定であろう。西洋ではエグザイル=妖精のような存在と捉えている。日本的に言うと妖怪であろうか。この妖怪は人や自然現象を操ることができるのである。
 オラクルとメロビンジアンにはプログラムの書換を経口によって行える能力があるようだ。オラクルが因果律の分析ができるということは、プログラムを書き換えその結果の差異を知ることに他ならない。そうするとメロビンジアンがエグザイル化していることや初期のプログラムという設定からオラクルの初期バージョンのプログラムということだろう。メロビンジアンがオラクルに劣っていた部分は因果律の確かな結果を知る能力=映画ではオラクルの目だ。更に補足しておくと、パーセフォニーというメロビンジアンの妻がいる。彼女はメロビンジアンの分析能力の一部であるデータ収集を担っている。この設定からもメロビンジアンは初期のプログラムだと分かる上手い表現がなされているので感心した。
 最後に映画途中で登場したサティの人生(?)を例に出してみよう。サティは機械側にとって用無しになったプログラム=MATRIX変換である。そのため不憫に思った両親はMATRIX空間へ亡命させエグザイル化しようとした。亡命の手助けはトレインマンである。そしてサティの能力であるが、映画の最後で奇麗な景色を見せるもの=プログラムということが示唆されている。このプログラムは機械にとって必要のないものと捉えていることが面白い。つまり、現在のMATRIXの住民にとってその機能は必要なくなったことを示唆しているならば実に深いことではないか。
 ちなみにプログラムを模した登場人物はPC=プログラムカウンタのトラップ機能を有している。

 余談だが、メロビンジアンの手下にツインズと言う双子のエグザイルがいる。これはコンピュータ的には量子コンピュータを示唆していると思われる。量子コンピュータの仕組みを詳しく解説しないが、ここでは量子ビットと呼ばれる0でも1でもない霧のような存在=重ね合わせ=双子で計算する仕組みの次世代のコンピュータを量子コンピュータと呼ぶ。量子の特徴を映像にするとあのようになることは大変興味深かった。
ツインズについては、ノイマン型コンピュータと量子コンピュータは動作原理が異なるので、ここで主に説明しているノイマン型コンピュータと性格を異にするが、映画の中の世界では量子ビットのキャラクターを出したかったのかな?と想像している。

 ではネオは何だろうか?先程、プログラムもデータであると記述した。プログラムとデータの違いとは「データには2つの意味があり、単なるデータと(アセンブル的な)プログラムコード」の意味がある。
通常は単なるデータだが、プログラムコードはデータを追っていくと制御の意味を持つ。コンピュータではPC=プログラムカウンタと呼ばれるものがデータ上の位置を示しており、プログラムの順番を案内する。例えば00と言うデータはゼロであり、空虚であり、色で言えば黒だ。プログラムの意味は何もしないと決められている。このようにデータ一つ一つに動作の意味があり、PC=プログラムカウンタが案内することによってプログラムとして機能する。
 ところが時々PC=プログラムカウンタが単なるデータを指したり、データがプログラムデータに侵入したりする場合がある。一般的にこの現象が起こるとコンピュータは暴走=フリーズする。映画に出てきたバックドアはこのPC=プログラムカウンタと深く関係している。スミスの増殖はPC=プログラムカウンタ暴走の果てデータ領域を同一データで埋め尽くす、いわばプログラム経験者なら目にしたこともある良く知られた現象(ガベージコレクション)でもある。

 ネオはMATRIXの世界がデータとプログラムの2つの記述で出来ていると気がついた人=データである。そのことによりMATRIX変換を自ら操り自由に色々できる。さらに強力なことはMATRIX変換を強固にプログラム=造り替えができることだ。これは優秀なプログラマという資質が役だっている。現実にワームというウィルスプログラムがある。これはデータ間を泳ぐことのできるプログラムだが高度なコンピュータの動作原理を理解していないと作成できない。つまり、MATRIXを理解する=自由にプログラムできるという能力だ。ネオが理解すると次のステップに行けたのはこのためである。スプーンというデータ、それを変換するプログラム=データコードを書くとスプーンは曲がったように変換される。つまりスプーンは無いのだ。データのみが存在し、変換によって自由にデータを変え曲げることができる。これを一般の人が見ると超能力だが、MATRIXと外部で繋がっているネオはプログラムコード領域に侵入しデータを書き換え、あるいはデータを置き換え不思議なことができるのである。これは現在のMATRIXのデータ構造を理解しなければ変換もできない。そして、オラクルに導かれたネオの救世主属性はソースの蓄積とそれらの保管、そして最後のリブート能力(リブート能力については後述)である。
 ちなみにモーフィアス達にはこの能力はない。あるのはパラメータの変更能力による人の基本能力の拡大のみである。

 さて、ついに映画のエンディングに触れなければならない。本来はプラグで繋がれマトリクス内の人間を自身に上書きすることでデータ間を漂いアノマリー=ちょっとしたバグの摘出を任されたスミスはマシンにコントロールされていた。ところが、かねてより多様なマトリクス世界に嫌悪感を持っていたスミスはネオとの接触によりプラグが外れデータ間をコントロール無しに自由に動き回り勝手に自己増殖=異物の排除=違った意味でソースの保管を始めた。つまり、システムの暴走である。こうなるとコンピュータの電源を切って再起動するしか方法が無いのが一般的だ。しかし、その方法をとった場合は作業途中のデータが全て消滅してしまい、映画の世界でいえば今回のマトリックスの成果は何だったのか?ということになる。そこで、何とか電源を切らずに作業が続かないかと思うわけだ。
 コンピュータ上の現実的な手順はこうだ。まず、壊れる前のデータをどこかに一時避難させる。次にPC=プログラムカウンタを0(ゼロ)、またはマトリックスシステムのプログラムのある先頭アドレスに設定。最後に修復システムを起動させて通常運用に入る。PC=0の設定は電源再投入と同意語なのだが、映画の世界ではそれを避けたいようだ。おそらく他のシステムにも影響するからだろう。よって、機械側としてはマトリックス再起動プロトコルを発動したいのだが暴走状態のシステムにはそのきっかけを与えられない。ゆえに永遠に暴走する。で、唯一の回答としてネオとマシンの取引に入る。ネオのみが暴走を止められるわけだ。スミスも属性がコピーされているがリブートする気がないと言っている。
 ちなみに映画2部のリローデッドで明かされるソースの保管だが、これは上記のバックアップに当たる。MATRIXをリブートする前に救世主のデータをソース保管し、PC=プログラムカウンタをリセットして再起動する。このことによって現在までの作業を保管し次のMATRIX世界でリロードしシステムの継続性を保つという訳だ。スミスの出現はこのバックアップ不能の状態に陥ったシステムの焦りを誘発したのである。
 そして、ネオの役割は、ソースを保管=現在のマトリックス状態の保管=人の理不尽な属性の保管をして、リブート=マトリックス再起動できる唯一のプログラム属性=救世主を獲得しているという事実がここで生きてくる。コンピュータでは割り込み処理=トラップを行う。これは強制的にPC=プログラムカウンタを再起動アドレスにジャンプさせる処理だ。トラップの例として例えば漢字キーを押すと日本語処理が起動したり、ESCで動作が変わったり、windowsなら、Ctrl+Alt+DELで強制終了なんかだ。特に再起動トラップの制御まで暴走していると電源再投入しかないわけだが、それはパソコンレベルのお話。高度なコンピュータで電源オフはまず考えられない。映画の世界ではマシンシティーにまで被害が及ぶ可能性を示唆していたので一大事件なわけだ。はやく暴走を止めなければ…。
 ネオと同じ属性を持つスミスはオラクルをも取り込み物語の因果律の最終形を知っている。知っているが故、自身の勝敗も知っているため強気にでるが、全ての結果を知っているわけではない。つまり、結果の後の始まりのことだ。
 ネオに勝ちネオを取り込むスミス。全てが終わったと思ったスミスはオラクルの言葉を出す。その刹那リブートの割り込み処理発生。データ初期化でスミスは光に。再起動してネオのソースをリロードして次のバージョンのマトリックスが運用に入って世界が再構築され映画はお終い。
 しかし、オラクルの危険を承知で愛にかけた=愛を取り込んだ新しいMATRIX世界がどのような運用に入るのか機械側=アーキテクトにはまだ分からないが少なくとも愛を知ったようである。物語最後に亡命プログラムのサティは消去されずに美しい風景の変換をアーキテクトの前で披露して物語は閉じた。

 こう考えると、救世主属性を得た者=トリニティーを受け入れる=ネオは愛という属性=使命を帯びながら次バージョンのマトリックスソースの保管と再起動属性を得るプログラムへとデータから昇格する物語ということか?すると、前バージョンのネオはプログラムとしてコンバージョンで生きており、次の物語でまた違う属性を与えられて再生する?そもそも、どの瞬間のソースを保管して再起動したんだろうか?
妄想は止まらないのである… 

… 時は流れて …

2021年9月10日、
久しぶりに自身の書いた当ページを開けてみた。約18年ぶりなのですっかり忘却の彼方であった。
さてページを開けた理由だが、当ページが検索上位にランクされアクセス数が爆上がりしていたからだ。調べてみるとこの日がマトリックス4のPV公開日であったためらしい。
というわけで、久しぶりにこのような文章を書いてみた。

と同時に本日当ページを読み返して若干の修正を加えた。と言っても誤字脱字程度で済んだことは自画自賛しても良いと思う。
マトリックス4の公開日は日本時間12月17日とのこと……本ページの妄想の正解は語られるのか? はたまた新たな謎が加わるのか?
-記述:2021年11月17日。

以下追記:

 いよいよ新作映画公開10日前になった。
断片映像による情報も少しずつ出てきたのでここで大胆に新章のあらすじ=ストーリーを予測してみる。
以降は完全に妄想のあらすじなので映画公開後の答え合わせの楽しみのために記録に残すことにした。
果たしてどの程度まで映画製作者の心にダイブできているか楽しみではある。そして、上映後に新たな考察を記述したいとも思う。

 新たな マトリクスが起動して何年だろうか?
今の西暦でいうと2020年代を模したシステムのようだ。人々は何事もなかったようにこの時代設定の中で何事もなく暮らしていた。人類と機械の共存のためマトリクスの実験はまだ続いている。
ここにネオ=アンダーソンが登場する。あの出来事から20年後の風体をしているが記憶はないようだ。

 新しいマトリクスは前回のリブートの時に約束されていたように人類は機械と親密になるよう脳の一部がマトリクスとシンクロする世界だ。そう、誰でもスマホを手にして個人とマトリクスは人類の知らないところでリンクしている。そのように機械に設定された新バージョンのマトリクス世界だ。

 ここで事件が発生する。新マトリクス内で更に権力欲の増したメロビンジアン一派(あるいはスミス一派?)がマトリクス世界の支配に乗り出した。そこで機械側はネオを再び目覚めさせようとする。
しかし、かつての宿敵スミスは青いカプセルを飲ませ続け覚醒の邪魔をする。

時を経て、再び白ウサギに導かれマトリクスの中で覚醒するネオ。しかし、覚醒したネオは記憶を失っているため、同じく若い年齢で覚醒しているモーフィアスのもと訓練を受ける。そして、訓練の最中にネオは記憶を取り戻したのだった。

 だが、ネオの救世主属性はトリニティーに愛されなければ発動しないようプログラムされている。現実のトリニティーは機械によって一部を機械化する手術を施され生きていた。
捜索の結果、トリニティーを発見し彼女と再会するネオ。そしてトリニティーをカプセルから目覚めさせることに成功。かつて愛しあった日々を思い出す二人。
トリニティーに愛されたネオは救世主として覚醒する。一方トリニティーも機械の体の影響で違った意味で覚醒。

 ついに陰謀をたくらむ組織との決戦に挑むネオとトリニティー…そして機械軍団。

そして映画はどのような結末を迎えるのか?
以降、想像不可能だが、このストーリーじゃ深みがないなぁ。

 さて、いかがであろうか?
あくまで上記は映画公開前に考察をもとに妄想したオリジナルストーリーである。偶然に本ページを訪れてここまで読破した人がいたら(いるのかそんな人?)、その的中率を楽しんでいただきたい。
…というわけで映画の公開日を待つことにする。もし、機械との全面戦争のストーリーだったら大外れ。それはそれで純粋に映画を楽しめる。

その前にどこで見ようか?
私は楽しみにしているが、世間ではどうなんだろう?
せっかくなので初日には東京駅界隈をブラブラしてみて席が取れたら入ってみよう。
-記述:2021年12月07日。


マトリックス レザレクションズ見てきました。

以降、ネタバレ・ストーリー紹介なしに鑑賞後の感想を記述しておきます。
安心してお読みください。
なお、ストーリーを知りたい方は wiki のリンクからどうぞ。

 初めてマトリックス レザレクションズを見た感想を一言でいうと「古いコアなファンにも、20年前をなんとなく知っている人にも、これからマトリクスの世界を体験する人にも分かり易いよう工夫したなぁ」ということです。

その前に、上記の自己妄想による事前ストーリーの自己採点は60点かな?上記の妄想が制作会議の第一稿だとしたらいい線いっていると思うけど…

それでは以下、もう少し感想を続けます。
まず古いコアなファンに向けて、ほぼ考察通りなことを前提にして物語は進んだので違和感なく作品に入り込めたかと思います。
次になんとなく20年前を知っている人に向けて、前作に軽く触れながら物語は進んだが、この理解度の層の人には少し退屈に感じたかも?
ほぼ良くわからない人か初見の人に向けて、20年前の1作と同様に導入部を通して「さぁ新しい映画が始まるぞ」という構成だと感じた。

つまり、今作は「過去を踏襲しつつも新たなストーリーを現在の人に向けて作り直すことに腐心したんだろうな」という意気込みが伝わってきました。

 そこで、試しに映画マトリクスを全然知らない(もちろんSFにも興味ない)人と日本語吹き替え版を見直しに行ってみました。
そして映画鑑賞後にストーリーとか設定を「何のことか分かった?」と質問したところ「理解できた」と言っていたので制作者の意向は成功しているのだろう。
なので今作のストーリーは難解な単語は出てくるものの物語の骨格は複雑ではないので、まだ今作を見ていない人は過去作を良く知らなくても大丈夫だと感じます。もちろん、前作シリーズの(たとえば本ページを参考に)深い考察を理解したうえで見ると少し違った見方はできるでしょう。
さらに付け加えるなら、今作を見た人もすぐにネタバレ・ストーリ紹介の情報は得ないほうが(映画というものはストーリーを追うものではなく感じるものだから)少しの間、健全に楽しくじんわりと過ごせます。

ここで少し説明すると、前作も第1話は深い考察なしに「スタイリッシュな映画」として単純に楽しめた。今回もそのような映画になっている。前作で考察が必要になったのは2話以降からです。ここから戸惑う鑑賞者はマトリクスの世界から置いていかれることを決められてしましましたね。そのようなわけで本考察ページを記述した経緯があります。

 もう一度繰り返えしますが、マトリクスを一度も見たことがない人でも安心して鑑賞に行ってください。そして見た後で「合う合わない」は仕方のないことです。今回はテーマ性も巧妙に隠されているので今作を見た後で色々意見は出てくると思いますが、私はクリエイトされた世界を純粋に考察することを旨としているので今作については何も言えません。
新しい物語の導入部で考察することはまだ早いし作者にも失礼かとも思います。
おそらく今回のマトリクスも連作になるかと思いますので、全ての要素が出そろったところで科学とSF的な設定の世界観を踏まえた客観的な考察を始めたいと思います。

 というわけで今作についての考察は「まだ考察する段階ではない」ということです。現段階では登場人物の顔と名前、小道具の設定と名前をなんとなく覚えるだけで良いです。おそらく次回以降でそれらの設定が動き始めることを期待しています。
前作もそうでしたが、今年公開の今作は「序・破・急」の「序」ですね。深い知識が必要なのは次回作以降であることを期待しております。
物語の序盤で理解できなければ「どんな作品でも自分には合わない」ということです。そのうち些細なきっかけで興味を持つかもしれないのでその時を待つほうが健康的だと思います。

最後に映画的手法の面白さは前作を踏襲したほうが私の好みかもしれない。実写はトム・クルーズでお腹一杯を味わえるので、(スピードレーサーのように)バーチャル空間はCGゴリゴリでも私は受け入れます。

-記述:2021年12月27日 久保覚


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