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齋藤憲彦

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齋藤憲彦(さいとうのりひこ)

Apple(アップル) iPodの入力ディバイスの特許訴訟で注目された河口湖町在住の発明家。

 

Apple iPodの入力ディバイスの特許訴訟:
携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」の操作ボタンに使われた技術の特許権を巡る訴訟で、知財高裁(飯村敏明裁判長)は24日、1審に続き米アップルによる特許侵害を認め、発明家の日本人男性側に約3億3000万円の賠償を支払うようアップル日本法人に改めて命じる判決を言い渡した。

昭和32年1月20日生まれ
1980年、東海大学海洋学部海洋学科卒業
1980年、株式会社富士通SBC入社
      制御ソフト開発、制御用OS/BIOS開発
      米国JAIMS留学
1983年、デジタルリサーチジャパン入社
      OS周辺ソフトのポーティング
1984年、ポセイドンテクニカルシステム設立
      各種制御ソフト請負
      ロボティックス
      線形電子加速器制御
1998年、訴訟対象になった入力装置の特許出願
2004年、iPodミニ発売
2007年、特許侵害対抗開始
2013年、東京地裁(9月26日)判決
2014年、知財高裁(4月24日)判決
 ところで…齋藤さんとはひょんなことで知り合いになったのですが、出会った当初はこんなに世間を驚かすとは思いませんでした。Apple訴訟報道では東京在住と紹介されているため、地元でも彼が河口湖に在住していることは一部の人しか知らない事実でもあります。そんなわけで齋藤さんにあらためてお話を伺ったので紹介したいと思います。

 齋藤さんの経歴からも分かるとおり、コンピュータに精通した人物であることが思いうかがえます。中でも、マイコン世代には懐かしい、あのゲイリー・キルドール率いるデジタルリサーチ(ジャパン)社に在籍し、これまた懐かしいCP/M等を扱っていたそうです。私と齋藤さんの年齢差は6才あるのですが、お互いの年齢は違えど創業当時のASCII社を訪れ、当時のマイコンをリードする会社がマンションの一室にあることに驚いた話やマイコン=コンピュータに興味を持った話など、私と同じマイコン世代としては当時の話をお互い懐かしんでいたのでした。

 さて、私が齋藤さんに対して不思議に思ったことがあります。それは一般的に技術者という生き物はともすると版権というものに疎く、開発ができれば良いという人種なのですが、「何故、齋藤さんは特許を争点とした訴訟に入り込めたのか?」ということです。そして、そのような疑問に改めて答えていただいたことは、「齋藤さんの小さい頃はいわゆる発明おたくで、高校時代には発明協会や発明学会とやりとりを行っていた」という経歴が役に立ったそうです。学生の頃から特許出願の方法から書式、さらには特許の仕組みに対するテクニック等を学び、自身の発明は自身で特許出願していたそうです。

 今回争点となった発明部分は、「リング上に配置された入力ディバイスとその中心に位置するスイッチに関して」であり、昔SONYが採用していたジョグダイヤルをさらに使いやすくできないかと思いついたことに始まるそうです。齋藤さんは早速特許出願し、大手家電メーカー各社に売り込んだそうですが、興味を示すものの採用に至りませんでした。そして最後にたどり着いたのが当時のAppleだそうで、ライセンス交渉に取り組んだ末、物別れに終わったそうです。しかし、その後一連のiPodが登場し、革新的なスイッチ構造が直感的であり、人気を博したことはまだ記憶に新しいことと思います。
 残念ながら齋藤さんはこの革新的なスイッチの特許を日本国内のみで取得したため、日本国内限定の訴訟になっていますが、それでもiPodの国内販売数を想定しても判決の3億円は相当安すぎると上告しています。巷では丸が2つほど足りていないと話題になっています。

 齋藤さん本人は早くこの問題を解決して、本来の発明の道を進みたいと希望しています。また、版権に疎い技術者の手助けや今回の問題を通して経験したことを踏まえた啓蒙活動も視野に入っているようです。

2014年5月14日読売

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