富士五湖TV 東海道江尻田子の浦略圖(冨嶽三十六景)
葛飾北斎の富士山
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東海道江尻田子の浦略圖 冨嶽三十六景(1830〜1832)より
  富士山をバックに中景の浜では塩田が広がり、大勢の人が塩づくりの作業をしています。そして手前の海には大胆に船が配置され、漁師らしき人が漁をしています。一般的に「東海道江尻田子の浦略圖」は現在の田子の浦港(旧吉原宿沖)の風景であるとされていますので、まず最初に通説を一通り追ってみることにします。
 田子の浦と言われてまず思い出されるのは、山部赤人の詠んだ有名な和歌「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」が思い出されるでしょう。この和歌は江戸時代でも有名だったようで、当時の人々はこの歌で富士山を思い浮かべていたのでしょう。そしてもう一つ、大中臣能宣の詠んだ「田子の浦にかすみのかく見ゆる哉もしほの煙立やそふらん」という和歌があります。こちらの意味は、田子の浦で塩を作る際に立ち昇る煙が霞のようだという感じの歌です。
  そこで「東海道江尻田子の浦略圖」の一般的な解釈として、北斎は古典和歌を引用し(略図=やつし絵)、この画を仕上げたということになっています。さらに この説を補完する画が北斎富嶽百景二編の中に「文邉の不二」としてあります。ここで実際に現在の田子の浦から見える富士山と 「文邉の不二」を観察してみることにします。
現在の田子の浦沖
2017年3月28日
文邉の不二
国立国会図書館 富岳百景二編
武邉の不二(参考)
国立国会図書館 富岳百景二編
 田子の浦沖から見える富士山の右稜線には宝永火口があります。この「宝永火口の出っ張り」を通説の「東海道江尻田子の浦略圖」の中で描かれている「富士山右稜線を隠しているように見える山のような部分」に相当すると解釈すれば実際の風景に近いと判断できます。
 次に「文邉の不二」ですが、私にはこの人物が誰であるか断定できませんが(風体から塩田を詠んだ大中臣能宣か)、富士山に思いを馳せている場面に間違いはありません。そうなると「東海道江尻田子の浦略圖」は、やはり大中臣能宣の 詠んだ「田子の浦にかすみのかく見ゆる哉もしほの煙立やそふらん」という和歌の略図(やつし絵)なのでしょうか?ちなみに「東海道江尻田子の浦略圖」の江尻は「絵の尻」と解釈し、富嶽三六景の最後の画なのではないかとする説もあります。
 参考に挙げた「武邉の不二」は北斎富嶽百景の「文邉の不二」とセットで描かれており、画に描かれている仁田四郎忠常とは富士宮市に曽我兄弟の墓がある「曾我兄弟の仇討ち」で有名な兄の曾我祐成を打ち取ったことで有名な鎌倉初期の武人です。

「勝山記」曽我兄弟の仇討ち

富士宮市曽我兄弟の墓

曽我兄弟の仇討ち(wikiへ)
コラム:日本(画)を見るとき
やつしとは:古典的に知られている事象・人物を連想して(その時の)違うものを代用して作品に取り入れる表現手法。例えば古典で有名な「飛脚」の絵があった場合に現在の「郵便配達員」の写真でオリジナルを連想させるようなものです。
見立てとは:実際に持つべきものを他の物で代用した表現手法。例えば落語の扇子で箸に見せること。
すやり霞とは:絵の中に霧や雲を描いて場面を区切ってある表現。複数場面を入れ込む場合や時間経過を連想させたりする。単に余白や空想表現の場合もあります。
その他:江戸時代の画には洒落やとんちを利かせた表現が多くあります。例えば「板に輪」で「沸いた」と読ませ、風呂屋の看板とか。

 さて、「東海道江尻田子の浦略圖」の富士山がどこから見た視点であるのかを判断するのに田子の浦から見た富士山では少し無理があるとも言われてきました。一般的に言われている異説では「右斜面の山は愛鷹山なのでは?」というものです。沼津の千本松〜原あたりの沖合いが画の構図に一番近く、北斎はこの辺から描いたという考察があります。

左にGoogleEarthで見た東海道原沖のシミュレーション結果を掲載します。

いかがでしょうか?愛鷹山が富士山の右側を隠し、北斎の画の構図に近くなっています。

しかし、「近い」ことと「ここである」ということには大きな違いがあり、北斎の富士山の視点を正確に言い当てているわけではありません。私にとって度重なる北斎のス ケッチ能力を目の当たりに考察してきた結果、「東海道江尻田子の浦略圖」の構図にぴったり一致する場所がどこかにあるはずだと思えて仕方がありません。

  そこで、残雪の形状と右側の山並みの形状、さらに富士山の稜線の形状から北斎の視点を先入観無しにピンポイントで割り出してみました。以下にその地点を示します。

静岡県沼津市西浦久連付近

 次に「東海道江尻田子の浦略圖」の画が「文邉の不二」と一致し、さらに割り出した地点が2枚の画と一致する様子をシミュレーションします。

 いかがでしょうか?「東海道江尻田子の浦略圖」と「文邉の不二」は描き方は違いますが、同一地点で描かれた富士山であることが分かると思います。特に「文邉の不二」の右にある山並みの凹凸はシミュレーションされている地点から見た山並みの凹凸と完全に一致します。ちなみに富士山手前にある山は愛鷹山の山並みです。

それでは実際の風景と合わせてみます。

 ぴったり一致します。特に宝永火口の丸く雪のない部分も良く一致しています。つまり「東海道江尻田子の浦略圖」は沼津市西浦付近から描いたと結論付けても良いと思います。しかし、ここでは考察をもう少し進め て近景の塩田は本当に田子の浦なのかと疑ってみたいと思います。つまり「東海道江尻田子の浦略圖」の定説である「田子の浦の塩田のやつし絵なのか?」を 疑ってみたいと思います。
  そこで私の考察シリーズで北斎は良く航路を活用するという仮説を採用し、沼津市西浦付近から海路で沼津港に向かうシミュレーションを行いました。すると構 図の通りの風景を維持するように注意しながら出航すると、ほどなくして愛鷹山が富士山の稜線を越えてしまい北斎のスケッチ通りではなくなります。
しかし、ここで「凱風快晴」の検証で登場した「快晴の不二」が西浦近くの淡島付近の視点であることを考慮すると北斎は沼津付近で船を利用したと思えて仕方がありません。

←「凱風快晴」のもとになったスケッチと言われている「快晴の不二」(現在淡島付近と推察)。

 ここで後に展開する新説の一部を登場させたいと思います。

それは「東海道江尻田子の浦略圖」の中の雲のような霞は通説の「塩田の煙」ではなく、場面変化を表す「すやり霞」ではないのか?ということです。


 「東海道江尻田子の浦略圖」と「文邉の不二」をセットで考えるから「やつし絵」という理解になるのですが、ここは素直に「すやり霞」を利用した場面転換、さらに言及すると西浦付近から船で沼津に向かっていく光景の時間経過として見ると謎が解けると思います。

 つまり、近景(中景)は沼津市の塩場であると思われます。

  沼津市のホームページを見ますと、狩野川近くに「塩場」と呼ばれる地名があり、ここに塩田の浜が広がっていたことが記されています。そして以上を踏まえ 「東海道江尻田子の浦略圖」と「文邉の不二」を再び眺めてみると海岸の雰囲気が沼津に近いことが良くわかります。特に「文邉の不二」に至っては塩田の向こ うに河口と松原が見えるような気がします。また「快晴の不二」で描かれている遠方の海岸線も沼津浜のように見えます。

左の地図は明治期の古地図ですが、江戸時代は狩野川河口域まで海がありました。

 ここでいったん総括します。
「東海道江尻田子の浦略圖」はタイトルと描いた場所が一致しないという結果になりました。定説の田子の浦沖は沼津沖で富士山は沼津市西浦付近から見た富士山です。あくまで北斎の画がいた視点という観点から検証すると以上のように結論付けるしかないと思います。
また、画の解釈は古い和歌のやつし絵というより、そのイメージがあったかもしれないが作品として完成させた風景画として素直に見るほうが良いと思われます。

 北斎の近景と遠景には共通点があります。「甲州井澤暁」では近景に石和の風景、遠景には富士宮から見た富士山。「甲州石班澤」では近景に鰍沢の風景、遠景は富士市から見た富士山が真ん中に「すやり霞」をはさんで描いてあります(別項検証)。

甲州井澤暁

甲州石班澤
 
 以上の検証を新説とすると大きな問題が生じます。それは「なぜ、タイトルと描いた場所が違うのか?」という当たり前の疑問です。

しかし、大きなヒントがあります。それは「凱風快晴」が田子の浦〜江尻の航路で描かれたかもしれないという仮定です。つまり、「凱風快晴」こそが「東海道江尻田子の浦略圖」なのではないでしょうか?そうなると可能性は4つあります。

1.北斎は「凱風快晴」と「東海道江尻田子の浦略圖」のスケッチを混同して間違えた。あるいは順番が狂った。
2.北斎は田子の浦を沼津沖だと思い込んでいた。
3.北斎は「凱風快晴」と「東海道江尻田子の浦略圖」の場所を知っていてワザとタイトルを付けた。謎かけをした。
4.「東海道江尻田子の浦略圖」の遠景は沼津市西浦だが近景は田子の浦の塩田風景。

 「1」の場合は以下の仮説が考えられます。
北斎は船旅の途中でスケッチを精力的に行い、伊豆巡り〜沼津〜田子の浦〜江尻を同じ工程で巡ったためスケッチを混同し、「凱風快晴」と「東海道江尻田子の浦略圖」の順番がズレて行ったかもしれません。謎の多い北斎のスケッチ旅ですが、もしかすると工程のヒントになるかもしれません。

 「2」についての考察を記すと、江戸時代より前のいわゆる「田子の浦」は興津〜由比〜蒲原あたりの駿河湾西部を指し、現在の田子の浦漁港と場所が違います。

←北斎と同時代の国郡全図(1828,1837年)。田子の浦は富士川の西に描かれている。ただし、富士川の東に田子の浦を描いてある資料もある。

北斎は船に乗りながら「田子の浦」の場所を勘違いしたのかもしれません。

 「3」の場合は定説通り、「やつし絵」を念頭に田子の浦に似た風景をはめ込んだということです。または「凱風快晴」のヒントを他の画に託したのかもしれません。いずれにしても「ワザとタイトルを付けた」のならその真意は想像するしかありません。

 「4」の場合は「2」とも関連しますが、北斎は実際の風景と異なる風景を描く場合にタイトルを違える(地名を書かない)という共通点もあります。「凱風快晴」と「山下白雨」 は一部を別の場所のスケッチの部品にしたり、「甲州井澤暁」と「甲州石班澤」では遠景と近景が違う場所のため漢字を違えてタイトルにしています。そう考え ると「東海道江尻田子の浦略圖」も遠景と近景が同じ場所では無いため実際の地名にしなかったのでは?と思えてなりません。今風に言えば小説や漫画の中で 「T市」と言ったり「ネオ東京」と言ったりする感覚と似ているような気がします。

 ここにきて描いた場所は特定できたのにタイトルの謎で行き詰ってしまいました。しかし、描いた視点を特定するという作業はとても大切で、次の謎解きのヒントになります。

よってここからが本題になります

 前述のタイトルの検証で触れたように、理系人間の北斎が間違ったり勘違いすることは考えられません。きっと論理的な展開が隠されているはずです。
 ここで今一度通説を整理しておきます。北斎は古典和歌の「やつし絵」として「東海道江尻田子の浦略圖」を描いており、視点場所は「現在の田子の浦沖」、つまり吉原宿の沖ということになっています。
しかし考察の結果、北斎の視点は沼津対岸付近で塩田は沼津付近の「塩場」が想定できます。
と…、ここでタイトルの謎が浮上するわけです。
コラム:現在の揚げ浜塩田(写真は能登珠洲)との比較

海水を浜に撒き天日で塩分濃度を上げる

濃い海水を煮詰める窯小屋

実際に塩水を窯小屋内で煮詰める

点在する窯小屋の周りにある小さな構造物は塩分の濃くなった砂を海水でろ過する垂船か海水を溜めておく引桶

 それからしばらくの間、以上の謎が解けず「東海道江尻田子の浦略圖」の視点も不安になっていたある日、「凱風快晴」の視点が富士川〜蒲原沖であることが確認でき謎の一端が見えてきました。つまり、北斎は江戸時代でいう「田子の浦」を船で移動しているのです。ようするに興津〜由比の浜で行われていた塩田を見ているはずなのです。
私は広く広まっている定説の中で述べられていた「現在の田子の浦の塩田風景」という言葉に疑念を持っていたことに気づきました。私の塩田イメージは由比であり、昔の田子の浦、つまり駿河湾西部が古典和歌の世界でもあるのです。
ここで話を脱線させますが、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」という歌の意味は、作者が西(京)から旅をしてきて薩堆峠(さった峠)を超えた(船でと言われている)ときに見えた駿河湾と雄大な富士山を詠んだと想像できるし、「田子の浦にかすみのかく見ゆる哉もしほの煙立やそふらん」という歌は由比の塩の大生産地を拠点にした塩経済を想像させ、その塩は戦国時代において敵国である甲斐(山梨)にまで運ばれた事実を思い出させます。 → 田子の浦wikiへ

さった峠から旧田子の浦(富士山の下の湾)を見る
画像の右側に愛鷹山、その下に現在の田子の浦(港)、対岸の富士山の下は蒲原、手前の山陰に由比

 そしてもう一つ、富士山の形状が田子の浦から見たという定説も受け入れることができませんでした。何故なら現在の田子の浦から「東海道江尻田子の浦略圖」のような配置の富士山は見えないからです。

 北斎は江戸時代の田子の浦の地理を認識していました。そして実際に船上から体験し風景を見ています。それなのに沼津対岸西浦から沼津に向かう風景を「東海道江尻田子の浦略圖」と名付けたのです。
どういうことでしょうか?
いよいよここから新説の核心部になります。

 いきなりですが下の画を見てください。
 感の良い方はもう気づかれたと思いますが、上の画は左右を反転してあります。そして反転してあるこれらの画は田子の浦から見た富士山の風景に見えませんか?

むむ…、まさか…。

そうです、間違いありません…北斎は田子の浦の塩田風景を反転し、沼津沖の塩田風景で見立てを行ったのです。

 この新説は「珍説」なのかもしれませんが、北斎は「甲州三坂水面」で「御坂峠から見た河口湖と富士山」の構図をそれと同じように見える勝山地域の視点を使って表現しています。この「甲州三坂水面」は画の視点が簡単だったため通説と違うと判別できました。つまり、北斎の視点を特定することは北斎研究をする上で非常に大切であるということです。一見すると大衆の思い描いている風景を描いているように思いますが、そこは葛飾北斎のことです。そんな一般的な画は描きません。
 なかには「何でもかんでも北斎を神格化して理屈を付けるな」と思う方もいると思います。しかし私はこう断言します。それは、私が様々な事実を積み上げて北斎の視点を客観的に考察してきた結果、北斎は画の中に謎解きを入れ込むのが好きだと思わざるを得ないということです。そして、その謎の答えもヒントも本人は明らかにしていません(唯一タイトルがヒン トかも?と思ってはいますが…)。
葛飾北斎という人は自分の画を見た人が謎を謎と思わない姿が面白いと思うだけなんです

 それでは北斎の隠れた視点と推定される場所のGoogleEarthを見てみましょう。
 いかがでしょうか?頭が混乱します。
「東海道江尻田子の浦略圖」を反転した風景に見えませんか?これならタイトル通りの画と言っても良いと思います。それから「文邉の不二」も反転しました が、この画はそのまま反転せずに鑑賞しても良いと思います。特に反転しない「文邉の不二」の画の中の船が反転した「東海道江尻田子の浦略圖」の船と同じ向 きになる部分が面白いと感じます。富士山の雪の量からも(塩田の時期は4月下旬〜9月上旬)初春、漁をしているのは今も行っている「しらす漁」か?

「文邉の不二」は沼津沖の風景をすやり霧で描いた、和歌「田子の浦にかすみ…」のやつし絵
「東海道江尻田子の浦略圖」は「文邉の不二」をもとに描いた旧田子の浦の反転見立て風景
「東海道江尻田子の浦略圖」は文字通り江尻〜田子の浦の船上から見た海路風景
 ちなみに本項を考察するにあたり、「東海道江尻田子の浦略圖」の画を反転させ、それと重なる視点を探しましたが現在のところ一致する場所は見いだせてい ません。もし、反転画と同じ風景が田子の浦で見つかれば(意味はなかったとは思いませんが)、視点位置は沼津沖ではなく、旧田子の浦ということになります。
また、反転画で思い浮かぶのは眼鏡絵ですが、この場合は考慮しないほうが良いでしょう。
ようするに、こういうことです

富士山のスケッチは沼津市西浦付近
↓ 
 
「凱風快晴」は江尻〜田子の浦の船上画

これ反転すれば田子の浦の風景じゃん
←→
北斎の原風景、旧田子の浦の富士

  塩田もあるし…
この航路のタイトルを付けようか…
タイトルは「東海道江尻田子の浦略圖」に決定
つまり、この画はタイトル通り
「江尻〜田子の浦」の人物や風景を略した(やつした・見立てた・反転した)画、
更にいうと、「江尻〜田子の浦を省いた画」という壮大な引っ掛け問題なのかもしれません。

コラム:船の漕ぎ方
 北斎の描写は実に細かく、船をこぐ櫓の構造もしっかり描いています。画をよく見てみると、櫓の支点部分に何やら引っ掛かりがあり、その部分の描写から「櫓は引くと進むのではなく、押すと進む構造である」ことが分かります。
 漕ぎ手は回転させるように櫓を操り、櫓を押すときに(1)支点を介して船尾の方向(2)に水をかきます。そして、低く引くときに櫓は水面上に出るというわけです。なるほど、この仕組みなら通常のボートと違い、正面を向いたまま船は進むことが出来ます。
 さて、奥にいる漕ぎ手らしき人は中腰で手前の人と反対を向いていますが、明らかに手前の人と力加減が違うようです。網入れの際の操船テクニックでしょうか?
 そんなことを想像させるほど北斎の画は面白いと思います。

 構図の考察は見た通り、通説のまんまでしょう。近景の船と中景の塩田、それに遠景の富士山。画を反転することにより塩田は由比の塩田風景となり、海岸線も違和感が無くなります。ただし富士山そのものは現在の時点で沼津対岸から見た富士山の反転だと思われます。

 つまり、富士山の部分は静岡県沼津市西浦久連付近から見た富士山を描いています。
中景の塩田は「すやり霞」で場面転換を果たし、遠景の富士山と繋がっていないことを示唆しているかもしれません。よって、沼津の塩場か由比なのかは断定できません
しかし、北斎は沼津付近でスケッチした富士山が旧田子の浦(由比付近)で船に乗って見た塩田に似ていることからスケッチを反転させ、「東海道江尻田子の浦略圖」のタイトルを付けて「やつし」と「見立て」とを同時に行ったと結論を出したいと思います。

北斎さん、200年の謎解きしましたけど、珍説じゃないですよね?

 最後に北斎が追い求め、参考にしたと思われる「河村岷雪」の画を掲載しておきます。

絵・写真・動画・文:久保覚(富士五湖TV)
資料:国立図書館・国土地理院・wikipedia
使用ソフト:カシミール・GoogleEarth
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