富士山と富士五湖の情報局

河口湖に眠る埋蔵金
【埋蔵金が眠ると伝えられる河口湖】
埋蔵金の沈められたのは、鵜の島の南東で河口湖でもっとも深いところだといわれています。
武田三代の滅亡の年の秘話です。

河口湖に眠る埋蔵金

河ロ湖の湖底深くに黄金が眠る、そう昔から語りつがれてきました。戦国時代、金山からひそかに運ぴ出された軍用金の埋蔵伝説です。

 戦国時代の天正十年、甲斐の国はいくさの舞台でした。武田家三代が滅亡し、恵林寺が焼き打ちにあったのはこの年です。信長、家康と、相次いで甲斐にせめ入り陣をしきました。
 信玄の姉の子の穴山梅雪は、このとき、領内の金山から大量の砂金や金塊を運ぴ出しました。戦に備えるためです。富士山麓においては、下部の湯の奥全山、川尻金山、駿河の麓金山から運び出されました。二つの隊が編成されました。一隊は白糸滝の裏に隠し、もう一隊は人穴から鳴沢、河口湖と運ぴ、御坂峠を越えて甲府へ向かおうという計画です。白糸滝への運搬は成功しましたが、甲府行きは苦労の多い道中です。人目をさけるため、金は植木の盆栽の根もとに隠されました。
 河口湖のほとりまで来たとき、一隊に梅雪の死がもたらされました。「さて、どうしたらよいものか」と、隊の人々はとまどい、おびえ、身の危険を感じました。密議の結果、いったん河ロ湖に金を隠し、状況をみきわめることにしよう、ということになりました。金はいくつものかめに移され、厳重に油紙に包まれ、さらに麻袋に入れられました。ひそかに船に積んで沖に出ると、縄を結びつけて湖底へと降ろしていきました。
 その場所は鵜の島の南東で、河口測でもっとも深いところだといわれています。戦国という乱世のなかで、主をなくした理蔵金は二度と引上げられることはあリませんでした。そして、河口湖には埋蔵金が眠っているという謎の言葉だけが、四一○年もの間、まるで遺言のように語りつがれてきました。


前の物語へ 昔話の目次へ 次の物語へ